(中央日報 2014/06/03)

  50年前の叫び声と興奮を誇らしく記憶しながらも、今日や明日をさらに心配する覇気にあふれた70代の集い、まさに韓日協定反対6・3民主化運動(1964年に起きた日韓基本条約締結反対運動)の50周年記念学術会議の様子だ。「歴史とは過去と現在の絶え間ない対話」ならば、生きて呼吸している民主主義と揺るぎない民族の正統性を追求した6・3運動の課題は、いまだ持続するほかはない国民的対話のテーマであることを確認する重い場であった。 

  1960年代の中盤に韓日両国関係の正常化のための会談と協定が必要だという状況の論理を、6・3運動の参加者も否定していたわけではなかった。しかし6・3運動の起爆剤は、日帝の極悪非道な侵略と不法的な主権奪取に対する明らかな謝罪なしに、どうして国交正常化を論じることができるかという怒りと、会談に臨む韓国側が民族の正統性のために戦ってきた独立運動の勢力ではない軍事政権によって代表されているということへの不満から始まった民族感情だった。6・3運動の成功の可否に対する評価は別にしても、若者たちの民主主義と民族の正統性に対するそうした確固たる意志表示がなかったとすれば、韓日関係の間で私たちの姿はどうなっていただろうか。 

  半世紀が過ぎた今日、6・3運動の旗手は老いて成熟した知恵によって良い論文を発表した。第2次世界大戦を終わらせる日本との講和条約で、戦勝国隊列から除外されて賠償要求の資格を源泉封鎖された韓国が65年に日本と締結した請求権協定は、日帝の主権奪取と植民統治を清算する条約になれなかったのだから韓日協定の再協議を要求すべきだというイ・ブヨン代表の主張は説得力がある。

 多くの資料に加えて2005年から公開され始めた韓国と日本の外交文書を土台にした李泰鎮(イ・テジン)教授の論文は、韓国併合条約の強制性と違法性が国際学界ではもちろん日本の知識人の間でもこれまでの条約および協定の効力についての再調査の必要性を認識させていることを教えてくれる。 

  果たして韓日協定の再協議が実現されるかどうかはたやすく予断できない。しかしこれまでの韓日関係が全面的で真剣な歴史の再認識、国際法と規範の正しい解釈、互恵平等の原則に立ったアジア共同体の樹立という理想から大きくはずれたいたために、これを正す努力は韓国はもちろん日本のためにもどうしても必要だということを改めて痛感することになる。かつて安重根(アン・ジュングン)義士の大きな意志や3・1独立宣言書に明示された東洋平和の夢が、こうしたビジョンを提示していたのではなかったか。

  6・3からこの半世紀の間、韓国政治の理念的な基礎であると同時に内部的な緊張と葛藤の源泉になっていたのは民族主義と民主主義の共存関係だったとキム・ドヒョン元次官は指摘した。ただし民族主義が帝国主義時代に展開した独立運動の中心思想であったなら、民主主義は冷戦時代・イデオロギー時代・南北分断時代の動力であったという時代的な状況を考慮する必要はある。振り返れば韓国の国民運動は、歴史の流れに半歩ずつ遅れをとって追従して行くような物足りなさがあった。主権を奪われる時も、解放を迎える時も、冷戦が終わる時も、そういう物足りなさが度重なっていたので民主と民族を共に追求するのに必要な現実性のある予測と処方能力の育成を強めることになる。 

  このためにはソ・ジンヨン教授の指摘のとおり、統治または支配の論理と抵抗の論理の衝突不可避性にのみ執着するよりは、現実と理想を共に合わせることができる民主主義と民族主義の間に葛藤的でありつつも躍動的な生産的関係が摸索されなければならないだろう。しかもミン・ビョンソク大使が提示したように、国内政治が誘発した4・19とは違って6・3は韓日関係の再確立という外交問題をめぐる国民運動であったことに特に留意しなければならない。これを機に外交政策の樹立にも国民参加が必要条件になることによって近代的な国民国家の時代が開かれたのだ。 

  50周年を迎える6・3の主役たちの最大の関心は今、韓国が迎えている2つの危機をどのようにして民主・民族の原則に見合うように対処するかということだ。まず最初に、中国の台頭でアジア・太平洋時代の勢力図が新しく組まれる転換期にどのようにして私たちの自主的位置づけを確保するかとの課題だ。状況が難しいほどこれに対し強制されずに自主的に最善の選択ができる国民外交が難しい試練を経験している。2番目、そういう試練を乗り越えるにはすでに極度の疲労症状を露出している87年体制の発展的な転換を試みて、人間と共同体が中心の新しいパラダイムを遅くなる前に導き出さなければならない。このために国民の知恵と力を集めるのに必要な犠牲と譲歩を訴えることが、まさに50周年を迎えた6・3運動の時代の使命であろう。 

  李洪九(イ・ホング)元首相・中央日報顧問


さすが金泳三大統領が公式の場で、「日本の妄言に対し、悪い癖を直す」(他記事では「日本をしつけ直す」「日本をしつけなおしてやる」)と発言した当時の首相ですね。(1994年12月17日 - 1995年12月17日)

(中央日報 2014/04/03)

(略)1995年11月、金泳三(キム・ヨンサム)大統領と江沢民国家主席の青瓦台(チョンワデ、大統領府)会談だ。非公開首脳会談で、江沢民は「日本軍が南京で大虐殺をするのを私は幼い頃に実際に見た。それでも日本はそういうことはなかったとしらを切る」と話した。当時も日本閣僚の歴史歪曲があった。会談の後、記者会見が続いた。

 金大統領は「日本の妄言に対し、悪い癖を直す」と述べた
。 

  公開場所で江沢民の言葉は違った。彼の日本批判は原論にとどまった。彼は南京虐殺の話に触れもしなかった。江沢民の態度は節制と忍耐だ。韜光養晦(才能を隠して外に表さない)の中国リーダーシップ守則を維持した。一方、「悪い癖を直す」という勢いは弱まった。金泳三政権の末、通貨危機の時だ。韓国政府は日本に支援を要請した。日本政府は背を向けた。激しい攻勢に冷淡な反撃だった。韓国はIMFの救援を受けなければならなかった。(略)


>第2次世界大戦を終わらせる日本との講和条約で、戦勝国隊列から除外されて賠償要求の資格を源泉封鎖された韓国

韓国内では1919年の臨時政府樹立宣言で対日戦争開始-第二次世界大戦終戦の1945年8月に戦勝なのかもしれませんが、世界的には第一次世界大戦(1914年7月-1918年11月)以前から1945年8月15日(または9月2日)までは日本ですね。


日本マスコミでパク大統領に「(父親のパク大統領政権が締結した)日韓協約に不備はあるの?」と聞くくらいのところはないのかな?


朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実 韓国が主張する「七奪」は日本の「七恩」だった
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日本人なら知っておきたい 「反日韓国」100のウソ 
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