(韓国毎日新聞 2008/10/08)
百瀬格(ももせ ただし)と言う日本人がいる。日本企業の韓国駐在員で40年間を我が国で暮して来た古株であるこの日本人が10年前に出刊した本のタイトルは”韓国が死に物狂いになっても日本に追い付く事ができない18の理由”というものだった。
私たちからすれば苦々しい題名だったが”韓国人になりたい日本人”という告白とともに誤った韓国文化を率直に指摘したこの本はかなりの人気となったと記憶している。その中に注目に値するエピソードがあった。
あるとき百瀬さんが韓国の友人と共にある酒席で「あなたは百済が滅亡したときに日本へ逃げだした人の末裔なんだよ」という話をされたというのだ。初めにはその話を不快に思ったという。”先進国日本の国民”が韓半島から逃げだした卑怯者の子孫だなんて…。
しかし、自分の姓の百瀬が日本ではあまり多くはない氏姓であるのと、彼が生まれて育った日本の群馬県高崎近辺の地形を照らし合わせてみると、その言葉が事実かも知れないという気がしたというのだ。
気になった百瀬さんはある日決心し、百済の首都の扶余があった場所へ赴いた。一種の”ルーツ探しの旅”'だったとでも言おうか。扶余の中心で彼は馬に乗った階伯将軍を目撃し、その銅像に刻まれた説明文を読んだ瞬間、階伯将軍に魅かれてしまった。
”黄山平野の戦いへと赴くに先立ち、愛する家族を自らの手で殺害し決死隊として選ばれた5千の部下とともに5万の敵陣へ飛び込み勇ましく戦って最後を迎えた猛将…”彼は”階伯将軍と5千の決死隊”に日本の侍の”原点”を見つけたのだ。 ”ぱっと咲いて散る桜”に象徴される日本侍精神の源流が思い浮かんだのだ。その後に自分の先祖が百済からの流民で、階伯将軍の後裔かも知れないと考えるのはあまりにも'恐縮'な気分だったと告白している。
良心的な日本知識人たちの '本音'はこのように現在の日本の歴史や文化の源流が韓半島であったことを否定していない。しかし日本指導層の人士は”建前”の問題で拒否するだけでなく、むしろ歪曲しようとする。
どうしても振り払うことの出来ぬ韓・日両国民の憎悪と葛藤はここから始まったのかも知れない。日本人は胸の片隅に残っている”韓半島からやってきた人々”の後裔という事実を徹底的に否定したいのだろう。
韓国人はそのような日本人の小児病的な根性に軽蔑の視線を送る。
そうすればするほど韓半島に向ける日本の侵略と挑発が悪辣になり、そんな日本がどれほど経済大国で自分達のほうが先進国民だからと自慢しても私たちにすればただ'外敵'であるだけなのだ。
彼らが母親のような国へ向けて暇さえあれば倫理を破り犯すことも韓半島から捨てられた渡来人たちの後裔という根深い劣等意識が発現したものではないのか。夜逃げをした原初ともいえる故郷に対する愛憎と悔恨がそんな形で突出することは階伯将軍の後裔らしくない姑息な人々の仕業だということだ。そしてそれが自らの荒廃と破滅につながるという歴史的教訓が分かっているのだろうか…。
毎日新聞は最近再び水面上に浮び上がった'独島倭乱'に臨み、韓国メディア史上初めて独島へ常駐記者を派遣した。老父母と妻子の引きとめにもかかわらず40代後半の記者を絶海の孤島へと導いたのは庚戌国恥時に絶命詩を残して殉国した梅泉黄●(王へんに玄)の遺書である”遺子弟書”であった。
"この国(李氏朝鮮)が士(侍)を育てた500年。国が滅びた日に士一人が責任を負うことで他の死人がでなかったからといって(国民が)悲しみも痛みも感じないわけがない…。"
私たちはここに日本が どれだけ物理的な強国となり死に物狂いとなっても韓国に精神面で勝つことのできない理由を再確認できる。
百瀬さんが侍の源泉国に恐縮な心を持ったように、日本はこれ以上居直り反駁の悪業を繰り返さず、母土に対する最小限の礼遇を取らなければならないだろう。
侍の精神を受け継いだ記者が常在する独島に、これ以上武装し刃で狙ってはいけない。(翻訳 2ch 壱軸冠蝶φ氏)
「自国に誇る文化が無い」ということは、ここまで人を狂わせるものなんですかね。



