(東亜日報 韓国語 2016/11/10)
国民学校→初等学校に名称変えて20年…教育界に残る日本の影
代表的な日帝残滓であった『国民学校』名称が『初等学校』に変わって20年が過ぎたが、教育界では相変らず日帝残滓の清算作業が進められている。『幼稚園』という名称や日本式名付け方式によって建てられた学校名を変え、日本産樹種を校庭から退出する作業も進められている。
○幼稚園の名称変更は‘足踏み中’
9日、教育界によれば、日帝残滓と思われる『幼稚園』の名称を変更しなければならないという意見は継続的に提示されているが、改称議論は何の進展もない。
幼稚園という名称は、日本人たちが子供の幼児教育のために1897年に釜山に建てた『釜山幼稚園』で始まった。日本人たちがドイツ語である『キンダーガーテン(Kindergarten・子供の庭園)』を日本式にした用語だ。中国でも幼稚園の名称を使用していたが、1945年の終戦後に名称を幼児園に変えた。
幼稚園の名称を変更する試みは継続的に行われた。日王ヒロヒト(裕仁)が1941年に皇国臣民教育を強化するために作った名称である『国民学校』を1996年に『初等学校』に変更しながら、幼稚園の名称も一緒に変更すべきという意見が提示されたが注目を受けられなかった。2004年に幼児教育法が制定されながらも議論が一部あったが改称は行われず、2014年にもセヌリ党イ・グンヒョン議員が幼稚園を『幼児学校』に変更する幼児教育法改正案を発議したが法案は通過しなかった。ソウル市教育庁も同年、幼稚園を幼児学校に名称を変更する案などを含んだ幼児教育発展総合計画を出したが、何ら議論が行われていない。
韓国教員団体総連合会も幼稚園の名称は日帝残滓なので清算対象というだけなく、幼児公教育に対する認識を阻害しているという理由で幼児学校に変更しなければならないと要求する予定だ。
教育界関係者は「現在、『子供の家』(保育園)に比べて幼稚園の選好度が高い状況で公共性が強い『学校』という名称が幼稚園の代わりに使用されると子供の家との差がより一層大きくなるという保育界の反発のために改称議論がしっかりと行われていなかった」と述べた。
○日本式学校名・朝会台も退出推進
東西南北など方位が入った学校名も日帝残滓であると評価されている。日帝強占期に植民地統治の便宜のために学校の名称に方位名を入れたり、順序を付けて呼んだという。これにより、京畿道教育庁はこのような方法で名称がついた学校名を変更する作業を推進している。
道教育庁関係者は「校名に東西南北が付いているからといって無条件に日帝残滓と見るのではなく、何の疑いもなく日帝残滓の名称を使用していないか、今でも慣行的にそのような方法で名称を付けていないか、問題を提起したもの」と説明した。
道教育庁は、学校と地域社会が議論を通じて自主的に校名改正に乗り出すように支援するという計画だ。来年からは管内の学校の名称の由来など歴史的根拠などを探す考証研究を実施することにした。これを基に学校構成員と同窓が自ら校名変更が必要なのか判断できるようにするというのである。
学校施設のうち日本の軍国主義と関連したものと評価される朝会台(号令台)は新たな用途を探している。朝会台は最近、新たに建てられた学校には設置されないが、既存の学校には相当数が残っている。朝会台に床などを敷いて生徒たちの休憩場所として使用したり、授業ができるように改造して野外授業などに活用する案などが議論されている。
参考:朝会台





また、学校に植えられている日本の代表的な造園樹木であるカイズカイブキも日帝残滓に挙げられて除去対象だ。カイズカイブキは、1909年に伊藤博文が大邱市の達城公園に2株を植えたのを皮切りに全国に広がった。教育当局はカイズカイブキが校木ならば他の樹種に交換するように案内し、国旗掲揚台などの周辺にあるこの木は除去するように知らせている。
日帝残滓は清算する必要があるが教育的に必要な部分まで排斥してはいけないという反論もある。例えば、修学旅行が日帝強占期の時から始まったとしても、現在は教育の一部門として地位を確立し、日本式教育文化という指摘がある頭髪および服装検査なども生徒指導次元で肯定的な機能もあるだけに慎重な議論が必要だという指摘である。(機械翻訳 若干修正)
たのしい幼稚園 2016年 12 月号 [雑誌]

「東海」も日帝残滓ってことにになっちゃうよ。
海の名前と学校の名前は別なのかな?
それはそれとして、日帝残滓は徹底的に排除してくださいね。