(国際ニュース 韓国語 2017/02/19)

壬辰倭乱(文禄・慶長の役)当時、日本に強奪された『蔚山椿』(元記事は「蔚山冬柏」)が、去る2015年に光復70周年を迎え、400余年ぶりに蔚山市中区の故郷に戻って来て、2年後に区花に指定された。

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中区は16日、第193回中区議会臨時会に『象徴物管理条例の変更の条例案』を上程、議会がこれを承認したことにより、中区の区花が既存の『桜』から『蔚山椿』に変更されると19日、明らかにした。

中区庁が昨年11月21日から12月9日まで、住民と職員を対象にシンボルの変更に関するオン・オフラインでのアンケート調査を行った結果、全体1,071人が参加し、全体の82%の881人が『蔚山椿』への区花の変更に賛成した。

以降、区政調整委員会の審査を経て、今月16日、第193回中区議会臨時会で変更の条例案の承認を受け、最終的に変更を確定した。

鶴城山に自生していた『蔚山椿』は、3月から4月まで一つの木から五色、八重の花を咲かせる珍しい種だ。花が散る時も通常の椿のように一気に落ちないで桜のように一枚一枚落ちる。

薄紅色、真紅、ピンクなど五色で八重の花が咲くため五色八重散椿とも呼ばれる

この椿は、壬辰倭乱の時、蔚山鶴城を占領した倭将・加藤清正が華麗な姿に惚れて日本に持ち帰り、豊臣秀吉に捧げたと伝えられている。

豊臣は、この椿を日本,京都市の地藏院(昆陽山地蔵院)に植えさせ、この椿が有名になり、地蔵院は椿のお寺という意味で『椿寺』と呼ばれるようになった。

当時、日本に渡った椿の一世は1983年に枯れたが、樹齢100年前後の二、三世の椿10本余りがこの寺で育っているという。

蔚山から壬辰倭乱以降、姿を消した『蔚山椿』は、1989年に韓国芸総蔚山支部長のチェ・ジョンドゥ一行によって初めて発見された。その後、蔚山の民間団体と釜山慈悲寺のサンジュン住職などの努力で1992年、略奪400余年ぶりに三世の苗木3本が韓国に戻り、1本が蔚山市庁に植えられた。

中区は『蔚山椿』が鶴城山に自生した希少品種であるだけに、2015年に11本を日本から取り寄せ、5本は区庁広場に6本は鶴城公園に分けて植えた。その後、元市議員が育ててきた高さ2m、横1.9mの大きさの樹齢35年の蔚山椿の寄贈を受け、区庁に植えた。

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▲2015年5月21日、パク・ソンミン中区庁長が蔚山椿の苗木を区庁の噴水広場に植えているようす。

区庁の関係者は「蔚山椿の意味を『繁栄』と『希望』に決めた」とし、「中区の無限な発展の可能性と未来像を表現する象徴的な花として中区のアイデンティティとビジョンを込めて地域に広く広報し、蔚山椿の普及にも努力する」と伝えた。(機械翻訳 若干修正)


(椿寺だより 2009/02/28)

〈京都・浄土宗寺院 昆陽山地蔵院椿寺のブログです。椿やお寺の様々な情報を紹介します。〉

当山は境内に五色八重散椿があることから「椿寺」という通称を持っております。

この散椿は加藤清正公が朝鮮出兵(文禄の役)の際に、蔚山(ウルサン)より持ち帰り豊臣秀吉公に献上し、当山に献木された物と伝わっております。

秀吉公が当山に散椿を献木された理由は、その九年前に北野大茶会の際に当山を会所として使用したという縁があり、また秀吉公自身も地蔵信仰に厚かったからだと伝わっております。

この椿は白、赤、ピンク、絞りなどに咲き分け、沢山の色を見せてくれることから「五色八重」と呼ばれ、花びらが一片一片散るという特徴から「散椿」と呼ばれております。


樹齢四百年の一世は、昭和五十八年に惜しくも枯れ、現在は樹齢約120年の二世が本堂前に咲いております。


自生していたと言いながら、記録も現物もないんですね。

こんな、地域でどう親しんできたのかも分からない花を、「日本に奪われた花」という逸話だけで、すでに決まっている区花(桜と地域とのかかわりは知りませんが)から変更するなんて、さすが韓国ですね。