【コラム】名料理人は一日にしてならず(上)(下)
(朝鮮日報 2007/12/21)   


 かつて日本では「東の清香園、西の食道園」が韓国料理の名店として並び称されていた。在日韓国人1世の張貞子(チャン・チョンジャ)さんが東京に清香園をオープンしたのが1952年、林光植(イム・グァンシク)さんが大阪に食道園をオープンしたのが48年だから、日本における韓国料理の歴史もすでに60年近くになる。

 この間、食道園には美空ひばりや力道山といった朝鮮に出自を持つ不世出の大スターらが常連として訪れ、清香園にも李承晩(イ・スンマン)元大統領や張勉(チャン・ミョン)元副大統領、全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領といった大物が足を運んだ。

 張貞子さんと林光植さんはいずれも創業者であると同時に、料理人でもあった。2年前、85歳になった張貞子さんは、半世紀にわたって蓄積してきた韓国料理のノウハウを著書『時の香り』で公開し、話題となった。その後日本には数え切れないほどの韓国料理店が登場した。

 焼肉が全国に広まり、韓国料理店が進化した焼肉店が、刺身料理よりも普遍化し、日本のサラリーマンに最も人気のある料理として定着した。数カ月前、日本で『The 焼肉ムービー プルコギ 』なる映画が公開されたのも、韓国料理に対する関心の高さを示している。焼肉名人の境地に達した在日韓国人の兄弟が「最高のプルコギ」をめぐって競い合うというストーリーだが、残念なことに作品の完成度が低く、興行的には失敗した。

 日本でのこうした知名度の向上とは裏腹に、今韓国料理店に好ましくない変化が起きている。有名な料理店が増える一方で、まともな料理人がいる店が減っているのだ。その原因として次の二つが挙げられる。まずは韓国料理ブームに便乗し、料理も知らないいわゆる「ニュー・カマー」たちが厨房(ちゅうぼう)を担当する料理店が雨後の竹の子のように登場したことだ。もう一つは、一財産築いた1世たちが自分の子どもたちを厨房に立たせなかったため、技術が伝承されなかったことだ。いずれも店の経営と、肝心な料理とが分離してしまう結果を招いた。そのため、韓国料理店から名人級の料理長が輩出されなくなってしまった。

 最近の有名店である東京は白金台の「高矢禮(ゴシレ)」も、有名なのはオーナーがペ・ヨンジュン氏だからであり、六本木の「真露(ジンロ)ガーデン」や「五味(オミ)」が有名なのも、それぞれ焼酎メーカーの真露とレジャー産業大手のパラダイス・グループが経営している店だからだ。名人級の料理長がいる店といった評判は、最近めっきり耳にしなくなった。

 先月出版された『ミシュランガイド東京版2008』は、世界でも最も多い150店に星が与えられたことで話題となった。選ばれた150店のリストには日本料理やフランス料理、イタリア料理、スペイン料理、中国料理が名を連ねたが、日本で60年近い伝統を誇る韓国料理は1店もなかった。

 それが残念で仕方なく、ミシュラン側に対し「最初から韓国料理は調査対象に含まれていなかったのではないか」と尋ねたところ、ややあきれた調子で「そういった区別をするはずがない」との答えが返ってきた。

 その後認証式の場面をテレビで見ていて、記者の疑問は解けた。最高級に当たる「三つ星」の栄誉を勝ち取った日本料理の5店から店の主人が出席したが、そのうちの4人は仕事着を着て出席した。中でも寿司屋の「すきや橋次郎」の主人、小野二?さんは82歳の高齢にして今でも寿司を握っているという話だった。またこの店をはじめ、店名に料理長の名を冠した店が5店のうち3店を占めていた。

 それ以来、韓国料理店に行くたびに、店の様子を観察するようになった。ほとんどの店では厨房で従業員が決められた通りにスープを調理している一方、主人は韓国の連続ドラマを見ながら暇そうにしており、やることといったら手が足りないときだけキムチやカクテギ(大根のキムチ)を盛りつける程度だった。こんな調子では、サラリーマンの胃袋を満足させることはできても、ミシュランから星をもらえるはずがない。一流と二流には根本的に違いがあるのだ。仮に経営者を100回入れ替えても、厨房で心血を注いで料理する料理人の姿が無ければ、一流になることなど不可能だろう。東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員




肉料理で「焼」をお客さんに任せる焼肉屋を“ミシュラン”が認めるとは思えませんね。


それと、「韓国料理店」が進化したのが「焼肉店」ではないですよ。

焼肉(Wikipedia) 
 焼肉(やきにく)とは、肉をあぶったり、鉄板などで焼いたりした肉料理。広義にはステーキ、ジンギスカン鍋、バーベキューなどが入る。

 肉を焼く方法には、直火焼き(網焼き、串焼き等)と鉄板焼きとがある。直火焼きは、焼くときに脂が滴り落ちるので比較的さっぱりとした味となる。また、火で直接炙るので焦げ目がつきやすく、落ちた脂による煙で多少燻されるので香ばしい風味となる。一方、鉄板焼きは脂が落ちにくい為コクのある味となる。また、直火で炙られることが無いため水分が飛びづらく、柔らかな食感となる。

 日本生まれの焼肉の場合には味付けは、醤油を基本として酒、砂糖、ニンニク、ゴマなどを調合して作った配合調味料(タレ)を使うものと、塩、胡椒やレモン等に焼いた肉を箸でつまみ、漬して味付けをするものが一般的である。アジア各国ではこのような焼肉料理は「日式焼肉」と呼ばれ定着している。


起源
 肉を焼いて食べるという基本的な調理法である為に、起源には様々な説が存在する。2001年のNHK人間講座で「焼肉は韓国文化と思いがちだが、戦後の日本が生んだ食文化である」と放送されたように、焼肉の起源は(その成立過程に西欧・極東アジア各国の影響が少なくないとはいえ)日本であると考えられている。

 別冊BUBKA2006年7月号33ページに「焼肉」の起源は日本であるが、日本発祥といえども始めたのは朝鮮人であるという説が掲載された。戦前に捨てるか肥料にするかしていた臓物肉を朝鮮人女工がもらってきて焼いて食べたのがホルモン焼きの始まりであり、ホルモンを焼いて食べる習慣は朝鮮にはなく、ホルモン焼きは日本で始まった。そして戦後、ホルモン焼きの屋台が「ホルモン屋」や「朝鮮料理屋」という名称になって行く中、新宿にミノやセンマイといったホルモンだけでなくロースやカルビなどの精肉を用いる店が出来る。この在日朝鮮人女性が経営する明月館が焼肉の祖であるとするのが同誌の主張である。

 さらに同誌は、「焼肉」と呼称するようになったのは1965年に日韓基本条約が結ばれ、韓国籍に移る者が増え、在日朝鮮人の主張した朝鮮料理屋と在日韓国人の主張した韓国料理屋との呼称論争を収拾する案としてプルコギを直訳した「焼肉」が用いられることとなったのだとの説を主張している。

 しかし、「焼肉」という語は夙に仮名垣魯文の『西洋料理通』(1872年)にバーベキューの訳語として使用されており、朝鮮料理の「焼肉(プルコギか)」としても張赫宙の『権といふ男』(1933年)という小説に登場しているので、同誌の主張は矛盾している。

 最も一般的な説では江戸時代ももんじ屋などでひっそり続いていた焼肉文化が明治維新後に西欧のバーベキューの影響を受けて変化し、更に世界各国に存在する肉を焼く料理(ヨーロッパのステーキ、北米のバーベキューなど)の影響をも受けて変化したのが現在の日本料理の焼肉であるとされている。



仙台の「牛タン」と一緒で、戦後の駐留米軍の“残り物”ですね。

で、その“残り物”が手に入りやすかったのが『第三国人』だったということですね。



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