(新亜日報 韓国語 2018/11/14)
高麗時代に忠清南道瑞山市の浮石寺で造成されて、日本,対馬に搬出された『金銅観世音菩薩坐像』が国内に搬入され、6年余りの時間が経過した中、韓日学者による深層的な討論会が開催されることになり耳目が集中している。
14日、瑞山浮石寺金銅観世音菩薩元の席奉安委員会と文化財還収国際連帯は、来る24日、釜山国際ライオンズクラブ別館で韓国と日本を代表する文化財関連の学者が参加して『瑞山浮石寺金銅観音像 元の席奉安のための韓日研究者討論会』を開催すると明らかにした。
この日の討論会には、広瀬雄一(元 名護屋城博物館学芸員)元釜山女子大教授の司会進行と、キム・ムンギル(釜山外大名誉教授)韓日文化研究所長の提案説明で〈韓国の浮石寺に戻そう〉、〈日本の観音寺に戻そう〉、〈韓日共同遺産にしよう〉などを討論テーマに決めて、韓日間の立場の差がある文化財懸案に対する赤裸々な討論会が行われる予定だ。
また、この日、学者間の指定討論に続く総合討論では、日本側代表と瑞山市を代表するアン・ヒョドン瑞山市議員、イ・サングン文化財還収国際連帯常任代表が参加し、文化財還収の正当性などについて討論する予定だ。
浮石寺仏像と関連しては、日本政府は盗難品なので返還せよと要求をし、浮石寺は倭寇による略奪品なんおで戻すことはできないという立場で韓国裁判所に訴訟を提起し、2017年1月、1審法院[裁判所]は浮石寺の勝訴判決をしたが、韓国政府が控訴したことによって、現在、控訴審が進行中だ。
6年余りが経過する間、韓国と日本はもちろん国際社会も、『不法搬出文化財の返還』問題に多くの関心を持ってこの『事件』の行方に注目している。
しかし、『事件仏像』の行方にだけ注目し、文化財の返還が持つ意味と役割、方向に対する韓日研究者の真剣な討論の機会がなかった点を振り返り、韓日学者による討論会が開催される予定で、世間の関心が集中している。
討論会を主導したキム・ムンギル韓日文化研究所長は「文化財返還は造成のいきさつ、流通経路、取得経緯、所蔵者との状況、外交的関係、国際社会の立場などによって解決方法が違い、『金銅観世音菩薩』はこのような点で事例としての価値も充分だ」とし「討論会を通じて相互間に真剣な省察と方案が用意されることを願う」と明らかにした。
一方、浮石寺金銅観世音菩薩坐像は、去る2012年に国内窃盗犯が日本,対馬の観音寺で盗んで国内で密搬入し、検察がこれを没収して現在、国立文化財研究所で仏像を保管中だ。
金銅観世音菩薩坐像は、1330年に瑞山浮石寺で作られたもので、倭寇が略奪したという事実が明らかだということで、法院で3年間仏像の返還を禁止するように仮処分決定を下したが、現在は控訴審進行中でまだ結論が出ていない状態だ。(機械翻訳 若干修正)
記事の中で唯一名前の出ている日本人、広瀬雄一氏ですら↓ですから、最初から結論が決まっている討論会でしょうね。
(朝日新聞 2016/03/05) 実家は東京の目白で、裕福な家でしたが、学校では一貫して劣等生。しかも、いじめられっ子でした。家庭教師のおかげで、なんとか学習院中等科に進めたけれど、40人中38、39番をさまよう状態。(略) いま私のテーマは縄文期の朝鮮半島との関係。縄文人は頻繁に渡海して交わりつつ独自の文化を育んだ、と私は見ています。来春定年退職したら、その見通しを確たるものにすべく、韓国で一研究者として再出発するつもりです。(略) (略歴) 1956年東京生まれ。学習院大文学部卒業後、慶大大学院で東洋史・考古学を専攻。その時の縁で25歳で韓国・釜山に渡り、2大学で日本語を教えた。30代半ばで帰国、県立名護屋城博物館の設立準備や吉野ケ里遺跡の発掘調査に関わった。2011年、名護屋城博物館に戻って現職。 |
| 【コラム】安倍首相に九州行きを勧めたいワケ (朝鮮日報 2015/01/24) 韓賢祐(ハン・ヒョンウ)次長 佐賀県唐津市にある名護屋城博物館企画係長の広瀬雄一さんが韓国人教師293人の前でマイクを握った。「私は釜山教育大学で6年間、日本語を教えました。家内も釜山出身です」。韓国人教師たちは「おおー」と歓声を上げて拍手した。すると、広瀬さんは『釜山港へ帰れ』を韓国語バージョンで歌い始めた。「花咲く椿島に/春が来たが」…歌詞を少し間違え、頭をかいていたが「兄弟が出発した釜山港に/カモメだけが悲しく泣く」と歌い続けた。今月20日、朝鮮日報主催の「日本の中の韓民族史」探訪団が佐賀県の名護屋城跡を訪問した時の話だ。 名護屋城は、豊臣秀吉が壬辰倭乱(文禄・慶長の役)を起こそうと5カ月で急ごしらえした朝鮮侵略基地だった。一番高いところに登ると90キロメートル離れた対馬が見えるほど韓国に近い。秀吉はここから朝鮮に向かう倭船(日本の船)を見て「朝鮮と明国を征伐し、インドに皇居を築きたい」という妄想にふけっていた。 そうした名護屋城跡の前に1992年、博物館が建った。この博物館は韓日交流をテーマにした遺物を常設展示している。ハングルと日本語で併記された展示説明文を見て驚いた。 「日本が起こした文禄・慶長の役は日韓の長い交流の歴史を断絶させた不幸な出来事だった」という言葉で始まるこの説明文には「多くの朝鮮人と文物が日本軍により略奪された」と書かれている。 日本による植民地時代を説明した文では「日本は朝鮮を徹底的に弾圧し、皇民化政策や強制連行などを行った」「日本による植民地支配は朝鮮の人々に深い傷を残した」と書いてあった。 安倍政権のことを思うと、新鮮を通り越して妙な感じすらした。名護屋城博物館は壬辰倭乱についての説明文で「14世紀の日本と朝鮮の関係は『倭寇』」をめぐって展開された」と書いている。韓国侵略基地だった名護屋が韓国交流センターに変わったのだ。(略) |

って言えば幼稚園児でも理解できる話なのに。
specificasia
が
しました