1901年京釜線鉄道起工
(東亜日報 韓国語 2007/08/20)  

 鉄道くらい多くの人と貨物を正確で安全に運ぶ交通手段が他にあるだろうか。

 韓半島を越えて大陸進出を夢見た日帝に鉄道が必ず必要だったのもこのためだった。

 1899年、ソウルと仁川をつなぐ京仁線が完工したが、日帝はそれより遥か前からソウルと釜山をつなぐ京釜線建設を念頭に置いていた。

 日帝は1880年代中盤から地形探査を始めたし、1896年には京釜鉄道株式会社を設立した。朝鮮民衆は抵抗した。測量機械を担った日本人が現わただけで「土地を取っていく測量士だ。追い出せ」として大声で叫んだ。日本人測量技術者らは商売人や旅人を装って秘密裏に測量をしなければならなかった。

 大韓帝国皇室も京釜線建設に反対した。高宗は1896年に2度も日帝の京釜鉄道付設請願書を拒否した。しかし日々弱くなった大韓帝国は日帝の執拗な要請を振り払えなかった。1898年、大韓帝国は日帝に京釜線建設を許諾する京釜鉄道合同条約を締結した。

 1901年8月20日午前11時。ついにソウル永登浦で京釜線鉄道起工式が開かれた。


 京釜線建設は朝鮮民衆の血と汗でなされた。

 日帝は安値で土地を収容したし、朝鮮の民らを強制賦役に動員した。働き手らには労務賃の代わりに軍用手票(軍票)一枚で済ませた。

 1905年1月1日、京釜線は世界の鉄道歴史上、最も少ない費用で完全開通した。

 開通当時、ソウルから釜山までは13時間45分かかった。その年の9月には釜関連絡船を媒介に京釜線と日本の鉄道が連結した。1906年には京義線が開通して日本から中国国境まで行く道が開かれた。

 1945年の日本の敗亡前まで、鉄道を通して日本から軍人と軍需物資が韓半島と中国に怒涛のように流れ込んだし、穀物と各種資源は日本に流れた。

 日帝強占期に建設された鉄道が我が国の社会の近代化に寄与した側面もある。光復(解放)後、韓国は日帝が建設した鉄道網を利用して人と資源を輸送しながら経済成長を成し遂げることもした。

 鉄道はどんな目的で使うかによってその意味が変わる。京釜線の不幸だった歴史は過去の記憶で終わることを…。(機械翻訳 若干修正)
 






京仁線 歴史(Wikipedia)

 京仁線は朝鮮半島で最初の鉄道である。

 1895年に日清戦争によって李氏朝鮮(後に大韓帝国)が清の影響圏を離脱すると、アメリカ合衆国が利権を獲得して首都京城(現ソウル)と港町・仁川を結ぶ鉄道の建設に取り掛かった。

  1897年に朝鮮半島を影響圏に組み込む意向を持った日本が利権をアメリカから譲り受けて鉄道建設を引き継いだが、アメリカ人技師らもそのまま鉄道建設に従事した。

  運営事業体として京仁鉄道合資会社が設立され、1899年9月18日に鷲梁津(漢江西岸にあった駅)~済物浦間が開業した。最初に営業についたのはアメリカ製の小型蒸気機関車「1C型」であった。翌年には漢江を渡る橋梁が初めて完成して、南大門駅(現ソウル駅)まで延伸した。

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京釜線 歴史(Wikipedia)

 朝鮮半島最初の鉄道は1899年開業の京仁鉄道(現:京仁線)で、アメリカ合衆国の企業が敷設権を獲得して建設を開始したものだが、京城(現ソウル)と釜山を結ぶ鉄道敷設権も同時に獲得していた。これを京仁鉄道と共に日本が譲り受けて京釜鉄道を設立し、1901年に着工した。

 建設中の1904年に日露戦争が勃発すると、軍事物資の決戦輸送のために突貫工事で建設され、一部河川などはフェリーで輸送する暫定的なものながら1905年に全線開通し、日本の対露戦勝に貢献した。
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京義線 歴史 (Wikipedia)

 元々は1904年、日露戦争の物資輸送のために、日本が京城(現・ソウル)から北朝鮮と中国の国境の新義州までを突貫工事で結んだ鉄道(全長499.3Km)が起源になっている(1905年開通、1906年4月3日全線(京城駅~新義州駅)開通)。京城の京と新義州の義を取って京義線と呼んだ。(略)

 第二次世界大戦の影響で1945年9月11日に京義線は南北に分断される。(略)
 今現在、韓国側はソウル駅から都羅山駅までの約56kmを結ぶローカル線になった。北朝鮮側では開城から新義州までを結び、平壌以北を平義線、平壌以南を平釜線(京釜線のソウル駅~釜山駅間も含む)と呼ぶ。


北朝鮮側の現状

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)側では、前述したように平壌を中心に以北を平義線、以南を平釜線としている。平義線のほうは、中国と北朝鮮間での物資輸送において重要なルートであるため、北朝鮮では平羅線とともに一、二を争うほどの幹線だといわれている。とはいえ、昨今の経済情勢の悪化もあって路線の整備は行き届いておらず、2004年の平義線龍川駅列車爆発事故のように鉄道事故も頻発して起こっている。また同様の理由で、最優等列車でも表定速度は30~40km程度にとどまっている。非電化の日本統治時代よりも低い水準である。

なお、京義線は第二次世界大戦末期に複線化工事が実施されていたが、朝鮮戦争で破壊された後はほぼ全線が単線での運行となっている。

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「鉄道は1910年より前にできていたから日帝がつくったんじゃないニダ」っていう韓国人はこの記事をよく読んでほしいですね。




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国分 隼人

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