(聯合ニュース 2020/12/14)

 韓国国会は13日の本会議で、情報機関・国家情報院(国情院)からスパイ活動など共産主義活動の捜査を行う「対共捜査権」の警察への移管を柱とする国情院法改正案を可決した。

 同改正案に反対した最大野党「国民の力」がフィリバスター(無制限討論を通じた合法的な議事進行妨害)で抵抗したが与党「共に民主党」などが強行採決した。

 対共捜査権は3年の猶予期間をおいて警察に移管される。改正案には国情院の職務範囲から国内保安情報、対共など不明確な概念を削除する内容も盛り込まれた。


(朝日新聞 2020/12/13)

 北朝鮮のスパイ工作に関する韓国内の捜査・情報収集が大きく変わる。情報機関の国家情報院が担ってきたが、関連法案が近く国会で可決されれば、2023年末にも警察に移管される。韓国中央情報部(KCIA)を源流とする国情院は今後、海外情報やサイバー対策、テロ防止などに権限が縮小される。組織改編の背景には何があるのか。(編集委員・牧野愛博)

◇北朝鮮スパイを捜査

 国情院の前身であるKCIAは1961年、朴正熙(パクチョンヒ)氏らの軍事クーデター直後につくられた。陸海軍の情報将校50~60人ほどが選抜された。そのうちの一人で、当時は海兵隊司令部情報局分析官だった康仁徳(カンインドク)元統一相によれば、朴氏の腹心だった金鍾泌(キムジョンピル)氏が「激動する国際社会のなかで、情報の収集と分析なしに国家戦略は立てられない」と主張し、結成が決まった。

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▲国家情報院の前庭に置かれた「情報は国力だ」と刻まれた碑=東亜日報提供

 朴政権は北朝鮮との激しい体制競争を繰り広げ、KCIAも北朝鮮のスパイ活動やテロ工作の防止に全力を挙げた。

 68年に北朝鮮の武装ゲリラが韓国大統領府の襲撃を企てた事件では計画を事前に察知。国情院元高官によれば、83年に北朝鮮工作員が全斗煥(チョンドゥファン)大統領らの暗殺を企てたラングーン事件や87年の大韓航空機爆破事件では北朝鮮への報復工作を行った。元高官は「詳細は言えないが、工作員を派遣しての軍事的な報復だ。北朝鮮も認識したが発表しなかった」と語る。

 韓国で民主化闘争が激しくなるにつれ、活動は国内の取り締まりに重点が置かれるようになった。康氏によれば、金鍾泌氏が63年ごろ、CIAとFBIのように国内と国外の部門を分離する考えを内部で示したことがある。北朝鮮に対する工作などの力が落ちるという反対意見から実現しなかった。

◇政治家にハニートラップ

 KCIAは水や電気を使った厳しい拷問を繰り返すなど国内の政治弾圧を担った。人々は当時の本部があった場所から、KCIAを「南山(ナムサン)」と言って恐れた。KCIAが拡大改編されて国家安全企画部に改称した全斗煥政権当時、国内部門で勤務した元職員は、「夜中に政治家を連行して、地下室で心理的に圧力をかけながら脅す調査をよく見かけた」と証言する。

 野党の力をそぐため、当時の組織にはターゲットの政治家を決めたり、脅すシナリオを考えたりする部門があった。「人員はたくさんおり、尾行をつけてスキャンダルを見つけたり、なければハニートラップで無理やり作ったりした。協力しなければスキャンダルをばらすと脅した」

 ハニートラップも徹底していた。別の元職員によれば、ホテルに出入りする写真のほか、部屋に入ってシーツなどを回収して体液や体毛を採取し、言い逃れできないようにしたという。

 73年8月には、当時の野党指導者だった金大中(キムデジュン)氏が訪日中に拉致される事件が起きた。国情院真実究明委員会の報告によれば、李厚洛(イフラク)KCIA部長(当時)が拉致を指示。関与したKCIA要員24人のうち一人は「当初、計画案には在日韓国人の暴力団幹部を使った金大中氏殺害案も含まれていた」と証言している。日本警察の尾行や盗聴から殺害を断念し、東京のホテルから金大中氏を連れ出した段階で、単純な拉致計画が確定していたという。

 当時の日本政府は、主権侵害だとして韓国に謝罪を要求。同年11月の金鍾泌首相の訪日で政治決着するまで日韓関係は紛糾した。93年に金泳三(キムヨンサム)政権が誕生したことで、金大中事件を再調査する機運が生まれた。KCIAは事件当時に金大中氏を一時収容していた秘密のアジトを処分した。偽名で借りていた古いマンションだったという。

◇日本に求める情報は

 韓国では進歩(革新)系の金大中、盧武鉉(ノムヒョン)、文在寅(ムンジェイン)の各政権に民主化闘争の経験者が多い。盧政権は国情院が起こした過去の問題を調べる真実究明委員会を編成した。文政権も国情院による政治家への情報収集活動をなくすなど、治安機関としての役割を減らすことに力を注いできた。国情院が常に権力維持の先兵役を担ってきた歴史が影響している。

 同時に、進歩勢力は北朝鮮に親近感を感じる人も多い。金大中政権では北朝鮮担当部門の人員が縮小された。文政権が北朝鮮のスパイ工作に関する捜査や情報収集を警察に移管するのも同様の背景から来ている。

 ただ、国情院と警察では海外に張り巡らした情報網に段違いの差がある。97年に台湾が北朝鮮に向けて核廃棄物の譲渡を試みた際に秘密交渉で阻止したのは国情院だった。2007年にアフガニスタンで発生した韓国人拉致事件では、パシュトゥー語を操る国情院の要員が投入された。

 日本の情報当局者は「国情院が良い情報をくれるかどうかは、こちらが出す内容による。彼らは中東情報を非常に欲しがる。シリアやイランと北朝鮮の関係に関心があるし、輸出大国なので中東の政情に関する情報も欲しがる」と語る。

◇米大使館メールをハッキング

 元国情院幹部は「北朝鮮スパイの取り締まりは警察や軍の情報機関もやっていたが、国情院が全てを仕切っていた。情報やテクニックに雲泥の差があるからだ。国情院はこうしたノウハウまで警察には渡さないだろう」と語る。そのうえで「北朝鮮は日本や中国など第三国を経由して韓国に入ってくる。国情院でなければ防げないだろう」と語った。

 一方で今後も、防諜(ぼうちょう)機関として、海外への情報流出を防ぐという国情院の役割は変わらない。

 李明博(イミョンバク)政権当時の大統領府元高官は、在韓米国大使館の知人に簡単なブリーフィングを行った翌日、大統領府に出向中の国情院職員から注意を受けた。別の元高官は日本の報道機関と会食した翌日、国情院職員に注意された。職員は元高官らの発言内容を把握していた。米国大使館や報道機関が本国や本社に送った報告の電報やメールをハッキングしていたからだという。

 文在寅政権も過去の政権同様、情報漏洩(ろうえい)があったと判断すると、情報源とみられる政府職員らに携帯電話の提出を命じる。提出した経験がある当局者は「自分が忘れている数年前の出来事まで掘り返され、プライベートも関係ない。提出同意書にサインしなければ、犯人扱いされ、昇進できなくなる」と語った。
     ◇
<韓国の国家情報院をめぐる主な経緯>

・61年6月 韓国中央情報部(KCIA)創設。初代部長は金鍾泌元首相

・68年1月 北朝鮮による韓国大統領府襲撃未遂事件

・72年5月 李厚洛(イフラク)部長が平壌で金日成(キムイルソン)主席と会談

・73年8月 金大中(キムデジュン)氏拉致事件

・79年10月 第4代部長の金炯旭(キムヒョンウク)氏がパリで失踪。国情院は後にKCIAによる殺害と認定

・79年10月 金載圭(キムジェギュ)部長が酒席で朴正熙大統領を射殺

・81年1月 全斗煥(チョンドゥファン)政権がKCIAを改編して国家安全企画部に名称を変更

・97年2月 北朝鮮の黄長燁(ファンジャンヨプ)書記が来日。安企部が亡命支援を試みたが、黄氏らは北京で亡命申請

・99年1月 金大中政権が安企部の権限を縮小し国家情報院に名称を変更

・07年10月 国情院の真実究明委員会が金大中拉致事件を巡る報告書を発表

・10年12月 北朝鮮の柳敬(リュギョン)国家安全保衛部第1副部長が訪韓し、金塾(キムスク)国情院次長らと会談

・17年6月 北朝鮮、朴槿恵(パククネ)政権で国情院らが金正恩(キムジョンウン)氏の暗殺を企てたと非難

・17年6月 徐薫(ソフン)国情院長が国内部門の縮小を指示

・18年6月 ソウル中央地裁が元国情院長の李丙琪(イビョンギ)、南在俊(ナムジェジュン)、李炳浩(イビョンホ)3氏に実刑判決


パク・チョンヒ(パク・クネ父)政権で大学在学中の1975年、政権に反対する民主化運動に関わった容疑で逮捕され、その後なんだかんだでノ・ムヒョン大統領の側近として働き、ノ・ムヒョン死後にキム・デジュン元大統領から「必ず政権交代を果たしてほしい。」と託されたことに応えて政界入りした身としては、国家情報院は“左派としてのメス”を入れなければならないところなんでしょうね。

今後、有名無実の『情報機関』になるのか、右派・親米派を対象にした組織にまでなるのか、政権交代で再び対北捜査権を取り戻すのか・・・

任期は残り1年半ですが、もしバイデン新大統領が米朝対話(国交正常化)に(韓国の思惑より)積極的でない場合、その時の「アメリカの目」を無視して遂行する政策がどんなものになるのかは見てみたい気もしますね。