韓国の遺族ら、遺骨問題で日本政府に要望書

(朝日新聞 2006/08/11)


 戦時中に動員され死亡した朝鮮人の遺骨問題に取り組む市民団体が、韓国から招いた遺族2人とともに11日午前、内閣府で日本政府に対し「遺骨の所在と死亡の経緯の調査を真剣に進め、遺骨返還の際は遺族に直接経過を説明し、謝罪してほしい」と求める小泉首相あての要望書を提出した。



 遺族はソウル在住の李今寿(イ・グムス)さん(62)と水原(スウォン)在住の金錦順(キム・グンスン)さん(60)。市民団体などでつくる実行委員会が、今月下旬まで全国で開いている催し「韓国・朝鮮の遺族とともに 遺骨問題の解決へ2006夏」のため日本に招いた。2人はいずれも父親が戦時中に連れて行かれたまま消息がわからないといい、「父の生死を確認する政府の記録と、遺骨を渡してほしい」と政府に要請した。 











市民団体のHPに要望書全文がありました。










 要  望  書 



2006年8月11日



内閣総理大臣 小泉純一郎 殿




  1.  朝鮮人の労務動員は、1939年7月4日の閣議決定以来、日本政府の責任において実行されたものであり、その結果戦後60年以上にわたり遺骨の返還はおろか死亡通知さえない遺族が、韓国・朝鮮に多数生じている。政府はその責任を自覚するとともに、遺族の悲痛な思いに応え、一体でも多くの遺骨の所在とともに、死亡にいたる経過、また遺骨が日本に残留した経緯などの調査を、人道上の見地から誠意をもって真剣に進めることを表明していただきたい。



  2. また遺骨が発見されない場合でも、死亡情報を可能な限り政府は集め、改めて韓国と朝鮮側の遺族に通知していただきたい。



  3. 6月末の第4回日韓遺骨協議で合意された日韓共同の遺骨実地調査が、ミサイルと竹島(独島)周辺の海洋調査にからみ日本政府の要請によって延期となった。これは遺骨の調査と返還という人道問題を外交カードの一つにしたことを意味しよう。中止されていた調査は先般、一ヶ月遅れて改めて実施されたとはいえ、こうした事態が今後二度と起こらないよう、遺骨問題をあくまで人道的案件として厳格にとらえ対処していくことを表明していただきたい。



  4. また「韓国・朝鮮の遺族とともに」全国実行委員会が招請した朝鮮の遺族の入国が日本政府によって拒否されたことについても、私たちは強い悲しみを禁じえない。ここでも、人道問題が制裁の対象とされたことを私たちは深く憂慮し、すみやかにこの措置を撤回し、人道精神にもとづく姿勢へと復帰するよう要請したい。



  5. 遺骨の返還方法については、日本政府と韓国・朝鮮政府の仲介によって、遺骨の保管者の手から遺族へ直接お返しすることを原則とし、その際、遺族への経過説明(わかる限りの死亡理由・経過と遺骨の保管経緯)とともに、遺族の思いを思いとし、日本政府よりのお詫びの表明を願いたい。



  6. また遺骨奉還に際して遺族が日本へ渡航を希望する場合、また帰国後故郷で遺族が葬祭をとり行うことについては、日本政府から人道上、誠意ある負担をお願いしたい。



 韓国・朝鮮の遺族とともに―遺骨問題の解決へ 2006夏―全国実行委員会

  共同代表    有田惠宗・上杉聰・内海愛子・清水澄子・殿平善彦 
  韓国側遺族  姜宗豪・楊 玄・鄭 倫?・李 金寿・全 承烈・崔 洛??
           魚 根栄・金 錦順・金 敬洙・金 旭・李 金珠・崔圭?G

           
韓 鶴洙










同じ市民団体のHPに遺族(?)2名の紹介文が載っていました。





李金寿(イ・グムス)さん (李今寿さんのこと)


62歳、ソウル市在住、本籍-忠清南道。父鶴雨さんが1943年頃動員され日本に行き、行方不明。生まれた時から父が不在で、困難な生活を送った李さんは、消息が全く分からない父の足跡を探しながら、運動の前線に立っている。

 



金錦順(キム・グムスン)さん


60歳、水原市在住、本籍-全羅南道。父包徳さんは徴用を避けるために隠れて生活していたが、1944年3月ごろ南洋のマリアナ諸島に動員され、死亡した。生まれた時から父を知らない。母が早死にし、叔父のもとで育てられ、苦難の生活を送った。1995年に訪日し、厚生省に真相究明を要求した。









市民団体と遺族はこれ↓をよく読んでから騒いでください。

(朝日の記者もちゃんと見てね!)


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一、戦前(昭和14年)に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前(昭和20年)には約200万人となった。増加した100万人のうち70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。残りの30万人は大部分工鉱業、土木事業の募集に応じてきた者で、戦時中の国民徴用令によるものはごく少数である。また、国民徴用令は日本内地では昭和14年7月に実施されたが、朝鮮への適用はさしひかえ昭和19年9月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年3月の下関-釜山間の運航が止るまでのわずか7ヶ月間であった。

【朝日新聞 昭和34年7月13日】







亡くなった方は気の毒だとは思いますが、遺族と市民団体はいいかげんウザイですね。



それにしても2人とも『生まれた時から父親がいない』なんてすごい偶然ですね。






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