【こちら特報部】群馬の森「朝鮮人追悼碑」代執行で撤去方針…それで「政治的な紛争」はなくなる? 抗議が止まらない理由とは(東京新聞 2024/01/22)
群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」にある朝鮮人追悼碑について県は代執行で撤去する方針を固めた。戦時中に労務動員された朝鮮人犠牲者を悼む碑だが、県は設置更新を不許可としている。県の主張を認める判決が2022年に最高裁で確定しているが、存続を求める抗議活動は各地で続いている。都内でも在日コリアンらが「歴史をなかったことにしないで」と訴えている。(安藤恭子)
◆「公の場所で、戦争遺跡でもあるからこそ」
かつて陸軍の岩鼻火薬製造所があった群馬の森。火薬工場だった建物や射場跡、日本で初めてダイナマイトが製造された発祥の碑が点在する一角に、朝鮮人追悼碑がある。ハトのレリーフがはめ込まれ、円形の台座から空へ伸びる高さ約4メートルの金色の塔が印象的だ。
「祖国に帰れずに漂う人々の魂を悼む思いが込められています」。碑を管理する市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」の石田正人さん(71)は解説する。「群馬の森は多くの県民が訪れる公の場所であって、戦争遺跡でもあるからこそ、植民地支配の歴史や民族差別、人権のあり方を考える場所として碑を置く意義がある」と力を込める。
県内の朝鮮人労働者は群馬鉄山(中之条町)や、日本発送電岩本発電所工事(沼田市)、中島飛行機後閑地下工場工事(みなかみ町)などの各現場で働き、県内で6000人以上が労務動員されたという。
◆追悼式典で「強制連行」に言及したら…設置不許可に
埋もれていた史実を調べたのは、戦後50年にあたる1995年に県民らが結成した調査団。メンバーを中心とした「建てる会」が賛同金を集め、2004年にできたのが群馬の森の追悼碑だった。
後継団体の「守る会」によって毎年追悼式典が開かれてきたが、12年、参加者が「強制連行」に言及したことを挙げ「碑文は反日的」などと県に撤去を求める苦情があった。こうした抗議を受けて県は14年に更新を不許可とした。「政治的行事を行わない」との設置条件に反したからという。
更新を求めて「守る会」は県を訴え、18年の前橋地裁判決では勝訴したが、21年の東京高裁で逆転。「追悼碑自体が政治的な紛争の原因」「設置の効用を失った」として不許可処分を適法と認定され、最高裁で守る会の敗訴が確定した。
◆群馬県庁前でも、新宿駅前でも抗議活動
問題は今年に入り急展開をみせている。
県は守る会に対し昨年12月までの撤去を求めていたが、応じなかったとして今月、代執行による撤去の方針を固めたという。
危機感を募らせた県民らが県庁前や駅前で撤去反対の声を連日あげ、20日には250人を集める県民集会を開催。
東京・新宿駅東口でも今月7日、連帯するスタンディングが行われ、作家の中沢けいさんも参加。「友好の碑を建てた県民の努力を無にすれば、群馬県に今暮らす外国の人たちも安心して働けない」と撤去の撤回を求めた。
守る会は今月、代執行の手続き停止も前橋地裁に申し立てている。昨年10月には、新たに県が設置更新を不許可とした処分取り消しを求める訴えを前橋地裁に起こしており、再び法廷の場での論争も始まる。
◆撤去求める団体「国益に照らすべき」と主張
碑の撤去を求めてきた団体の一つが「日本女性の会『そよ風』」だ。そよ風は、都立横網町公園(墨田区)にある関東大震災時のデマで殺害された朝鮮人犠牲者追悼碑の撤去も主張している。2019年に同公園で開いた集会では参加者が「不逞(ふてい)朝鮮人」と発言、東京都が人権尊重条例に基づくヘイトスピーチと認定した。
そよ風に追悼碑の撤去を求める理由などを質問したが直接の回答はなく、記者への回答とする文章を20日、自らのブログに掲載。「国、自治体は国益に照らして裁判の判決に従うべきだ」などとした。
だが、司法判断への異論も少なくない。「検証・群馬の森朝鮮人追悼碑裁判」の著書がある群馬大の藤井正希准教授(憲法学)は、日本による植民地支配も含め、碑文の記述は政府見解の範囲内であると指摘する。「群馬の森の碑文は、建てる会が県と協議し『強制連行』を『労務動員』に改めている。碑の前で政治的発言をしても、物理的・客観的に碑の性格は変わっていない」と疑問を呈する。
「碑の表現に賛否があるのなら、碑を厄介払いするのではなく、議論の場を保障するのが民主主義であって県の責務だ」と藤井准教授。碑前の追悼式典は10年以上開かれておらず、撤去という重い処分に至るまでの理由はもはやないとみる。「むしろ県は撤去を求める右派の主張に偏り、日本の加害責任をなかったことにする歴史修正主義に手を貸している」と危ぶむ。
◆差別扇動を勢いづかせる行政、司法の対応
撤去の動きに抗議して7日に都内で行われたスタンディングでは、街頭に立つ人々を非難する団体も押しかけ、侮蔑や暴力をあおる言葉を連発。群馬県や裁判所の判断が差別扇動を勢いづかせる状況となっている。
暴言にさらされながらも、在日コリアン3世の金性済(キムソンジェ)さん(71)は「戦時中、日本で亡くなった朝鮮人の無念は各地に眠っている。歴史を忘れないで」と訴えた。日韓の団体でつくる「日韓和解と平和プラットフォーム」の一員として、歴史問題の解決や東アジアの非核化を求めてきた。「群馬の県立公園にある碑は日本の良心であると思い、当事者の子孫の一人としての心のよりどころとしてきた。日本で共に生きるための礎となることを願ってきたのに、撤去への危機感はとても強い」
歴史研究家の竹内康人さんによると、歴史用語として確立し教科書にも掲載されていた「強制連行」という言葉を避ける背景に、日本の植民地支配や侵略を認めない、1990年代後半以降の歴史否定論の台頭がある。第二次安倍政権が発足した2012年ごろにはヘイトスピーチが激化し、強制連行の歴史を伝える碑や説明板の撤去を求める動きが各地で起きた。
◆犠牲者や労務実態の把握こそ、やるべきことでは
「群馬の森の碑文は歴史の事実。労務動員の強制性を否定する主張自体が政治的なのに、騒動を起こせば撤去される、というあしき前例となりかねない」と竹内さんは現状を危ぶむ。
動員された朝鮮人の数が約1000人に達したという岩本発電所の工事現場は、請け負った旧間(はざま)組の社史によれば、慢性的な飢餓と過酷な作業で死者が続出、逃亡者も相次いだ。竹内さんは桃野村(現みなかみ町)の埋火葬記録や太田市の碑から病気やけが、空襲による死者を確認し、さらに多数の犠牲があるとみる。
企業は必要な動員数を群馬県に提出し、日本政府は承認数を朝鮮総督府を通じて現地で動員を割り当て、日本に連れてこられた朝鮮人は警察の監視の下、国策を担う現場に従事した。「強制連行の一端を担った県がすべきことは追悼碑の撤去ではなく、死者の把握を含めた労務動員の実態調査を行うことだ。それによって中韓との友好を進めることが、行政の歴史的責任ではないか」
◆デスクメモ
関東大震災で朝鮮人虐殺をあおったのは、デマにお墨付きを与えた軍と警察の行動だった。残念ながら災害時の流言飛語も差別も過去のものではない。「差別を許さない」姿勢を示せない国や自治体に、命は守れない。無自覚に差別をあおるのではなく、歴史に学ぶしかない。(洋)


撤去されて当たり前だろ。グズグスごねるなよ。
specificasia
が
しました