(朝日新聞 2024/08/27)
 地域社会に溶け込んでいても、外国籍ゆえに、公的な仕事に就けず、就けたとしても活動や昇進を制約される。そんなルールが、多くの当事者を苦しめてきた。社会づくりに参加する権利を阻む不合理な制限になっていないか、見直さなければならない。

 全国の15%の自治体に外国籍住民の消防団員がいることが、本紙の調査でわかった。消防団員は非常勤公務員だが、少子高齢化などを背景に団員が減るなか、外国籍の団員を受け入れ、頼みとする傾向がうまれている。

 政府はこの70年余、公権力の行使や公の意思の形成に携わる公務員には日本国籍が必要、との立場をとってきた。

 消防でみると、警戒区域を定める、延焼防止のため家屋を壊すなど公権力の行使にあたる行為もある。総務省消防庁は、外国籍団員に委ねる権限について年度内にも方向性を示すという。ただ、厳密にするほど活動の後退につながりかねない。消防団全体の活動ととらえ、対等な参画に道を開くのが筋ではないか。

 職員採用試験で、職種により外国人の受験自体を認めない自治体は少なくないが、法的根拠があるわけではない。自治相(当時)が、外国人が就けない仕事の範囲は各自治体の判断によると述べた1996年以降、各地で要件の緩和が進んだが、管理職については、大方は一定の役職以上に昇進させない制限を残している。

 東京都の管理職試験の受験を認められなかった職員が訴えた裁判での、2005年の最高裁判決の影響も大きい。国民主権原則を持ち出し「外国人が就くことは本来想定外で、区別は合理的」と、訴えを退けた。一方、管理職の職務は多様なのに、国籍だけを理由に一律に受験を拒むのは憲法の平等原則や職業選択の自由に反するなどと2人の裁判官が反対意見を唱えた。

 それからの20年弱、社会の一員となる外国人は増え、国会・政府が共生に向けた立法や施策を重ねたことをふまえても、少数意見の説得力がさらに増したのではないか。

 公立学校教員については、1991年の文部省(当時)の通知で採用の門戸は開いたが、外国籍だと「教諭」でなく「講師」で、管理職にはなれない。また、非常勤国家公務員である調停委員、参与員など司法分野の職種に外国人が就けないことも、はたして必要な制約か、考えたい。

 国籍の違いを超え、公的な役割を責任をもって担いたい、との思いを受け止めてこそ、より成熟した社会になるのではないか。


朝日が主張すると、在日外国人のためでなく、いわゆるザイニチのため? と勘繰ってしまいますね。