(読売新聞 2025/01/09)
【ソウル=小池和樹】北朝鮮が韓国内で運営する自国のスパイ組織に対し、東京電力福島第一原子力発電所の処理水放出に関して反日行為を扇動するよう指示する指令文を送っていたことが判明した。大量の指令文を証拠採用した韓国の裁判所の判決文を本紙が入手した。北朝鮮が反日機運を利用し、韓国内の分断と日韓対立をあおっている実態が浮かび上がった。

 韓国・水原地裁は昨年11月、北朝鮮の韓国工作機関・文化交流局の指示で在韓米軍基地の情報を収集したなどとして、国家保安法違反(スパイなど)の罪に問われたスパイ組織の男ら3人に懲役5~15年の実刑判決を出した。本紙は地裁への申請で判決(全468ページ)を入手し、スパイ組織への指令文89件、組織から北朝鮮に送った報告文13件の計102件を分析した。判決で伏せられていた部分は法廷取材で補った。

 判決によれば、組織のリーダー格である50歳代の男は、韓国最大規模の労組「民主労総」(組合員約120万人)で傘下団体などを統括する担当局長だった。組織には「理事会」があり、北朝鮮からの指令に基づき、下部メンバーに指示を出していた。北朝鮮とのやりとりは2018年10月から23年1月に捜査が本格化する直前まで、ほぼ毎月1~5回の頻度で行われていた。摘発されたスパイ事件では過去最多の規模だ。

 判決で証拠採用された指令文によると、福島第一原発の処理水放出を巡る指令があったのは21年5月上旬で、日本政府が放出を正式に決めてから約20日後だった。「反日世論をあおり、日韓対立を取り返しがつかない状況に追い込め。核テロ行為と断罪する情報を集中的に流せ」と韓国での活動を具体的に指示していた。

 当時の日韓関係は、 文在寅(ムンジェイン)政権が韓国人元徴用工(旧朝鮮半島出身労働者)をめぐる問題への解決策を示そうとせず、冷え切った状態が続いていた。

 指令文は、韓国の各階層で反日機運が急激に高まっていることが注目されると指摘し、「日韓の対立を激化させる戦術案を立て、積極的に実践するのが効果的だ」「日本大使館周辺での抗議集会、日本製品焼却のような闘争を果敢に展開しろ」と指示した。

 実際に韓国ではこの頃から市民団体による抗議活動が活発化し、21年7月の東京夏季五輪開会式を前に市民団体などが処理水放出に反対するデモを連日行った。

 日本政府が19年7月に元徴用工訴訟問題への対応を巡る文政権への事実上の対抗措置として対韓輸出管理強化に踏み切った際にも、北朝鮮は大使館への抗議活動などを指示した。

 指令文の内訳は、反日活動を含む「反保守、反米、反日」活動の指令が34件で、全体の38%を占めた。続いて多かったのは韓国の大統領選や総選挙、労組活動に関する指示で17件。スパイ組織運営に関する指示も8件あった。報告文では、20年4月の韓国国会の総選挙で当選した議員全員の携帯電話番号を提供したものもあった。

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 1審で有罪となった労組幹部の男らは、いずれも控訴している。

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◆文化交流局 =北朝鮮の朝鮮労働党で対韓国政策を統括する「統一戦線部」傘下で、韓国内でのスパイ網構築と協力者育成を主な任務とする工作機関。「対外連絡部」「225局」などと名称変更を繰り返してきた。韓国政府は、 金正恩 キムジョンウン ・朝鮮労働党総書記が2023年末に南北平和統一路線の放棄を表明したことを受け、統一戦線部の名称が「10局」に変更されたと分析している。


(読売新聞 2025/01/09)

【ソウル=小池和樹】北朝鮮の対韓国工作機関「文化交流局」が、韓国最大規模の労組幹部だった男らによって秘密裏に結成されたスパイ組織に対して多数の指令文を送っていたことが、韓国・水原地裁の判決で認定された。韓国の労組を通じ、日米韓3か国協力の弱体化を狙う北朝鮮の思惑が見てとれる。

◇日米韓揺さぶり

 「韓国と日本の関係は最悪だ。高揚した反日世論の流れに乗り、『韓米日三角同盟』を破裂させるための活動が必要だ」

 北朝鮮は2019年7月から8月に3回にわたって指令文を送った。これに先立ち、日本政府は元徴用工訴訟問題への対応を巡り当時の 文在寅(ムンジェイン)政権が解決に向けた対応を見せない中、対韓輸出管理強化に踏み切っていた。

 指令文では「民族の利益を侵害する 冒涜(ぼうとく)行為だと社会に認識させ、文政府が日本に妥協案を出さないよう力を与えろ」と求め、日本大使館を包囲したり、日の丸を破ったりするような過激な反日闘争の強化を促した。この後、韓国内では市民団体などによる日本製品の不買運動が広がった。

 また保守の 尹錫悦(ユンソンニョル)政権が発足した直後の22年5月の指令文は、「(尹政権が)従属的な韓米同盟にしがみつき、反北朝鮮対決策動に狂っている」と対北強硬路線への転換に危機感を示し、韓国内での「大衆闘争」で糾弾する必要があると主張した。

◇米軍基地画像も

 スパイ組織に対しては、日米韓の協力強化が「平和と安定を害する」というメッセージの発信につながる記者会見や署名運動、抗議デモを指示。リーダー格の男が局長を務めていた労組「民主労総」は、尹政権発足後、3か国協力反対の活動を積極的に展開している。

 水原地裁の判決で「北朝鮮に渡れば攻撃対象になり得るなど、韓国に不利益をもたらす危険性が明白」と強く非難したのが、この男が所持していたデータだ。ソウル南方の 京畿道(キョンギド)平沢(ピョンテク)の米軍基地のヘリコプターや車両、ミサイル砲台の画像などが収められていた。

 北朝鮮の工作機関は19年1月の指令文で「有事に備えた準備を整える」とし、平沢の軍基地や軍港の配置図、「大統領府や主要統治機関をマヒさせるため」として、送電網システムの資料について入手を求めており、判決は北朝鮮の指示に従い、男がこうした情報を収集したと認定した。

◇「本社」「支社長」

 指令文は、北朝鮮の文化交流局を「本社」、韓国のスパイ組織のリーダー格の男を「支社長」、民主労総を「営業1部」と表現。19年8月には「『本社』の指示に従い、『支社長』が『営業1部』を通じ反日感情を高めるための闘争を戦術的によく練っていると評価する」との指令文もあった。流出した場合でも、実態解明を防ぐ 隠蔽(いんぺい)工作とみられる。

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 メールなどで送られた指令文は、別の文字や画像に内容が埋め込まれる「ステガノグラフィー」と呼ばれる暗号化手法で隠されていた。捜査機関の捜索や押収があってもやりとりが発覚しないよう備えていた。

 リーダー格の男は北朝鮮に報告文を送るたび、 金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党総書記を「総会長」との隠語で表現し、「いつも忠実な息子として闘争しています」(20年5月)、「我が民族の自主と平和のために努力されている総会長の領導に感服します」(同6月)とつづるなど、忠誠を示していた。

 今回の事件について、韓国に亡命した北朝鮮元工作員の一人は「スパイ活動の氷山の一角が明らかになっただけ」と指摘する。韓国の裁判所では今回の事件以外にも、北朝鮮からの指令文を受け取っていたなどとして国家保安法違反に問われているスパイ事件の公判が3件行われている。