(朝鮮日報 2025/08/13)
韓国語版は20025年4月14日に出された記事です。
〇1950年代に忠武公記念会が作った偽りの李舜臣神話
〇1950年代に忠武公記念会が作った偽りの李舜臣神話
忠武公・李舜臣(イ・スンシン)が国にもたらした貢献は、韓国人なら誰であれ尊敬の念を抱かせる。尊敬と敬慕は神話を作る。神話の中には真実もあり、誇張もあり、偽りもある。不必要な操作と捏造(ねつぞう)でその品格を落としてしまうとしたら問題は大きい。その偽りの中で代表的な主張が、「日本の東郷平八郎が李舜臣をたたえた」という虚構だ。
■日露戦争戦勝記念式
ソウルの世宗文化会館地下2階には「忠武公の話」という展示空間がある。展示空間の端の部分に、李舜臣についてのさまざまな人物の評価が記されている。その中に、こんな内容が見られる。
「東郷平八郎、日本の提督:賞賛を受けてありがたいのだが、私に言わせればネルソンは軍神ではない。真に軍神の称号を受けるに値する提督がいるとするなら、それは李舜臣だろう」。東郷平八郎は1905年、日露戦争において対馬海峡でロシアのバルチック艦隊を撃破した日本海軍の司令官だ。
こうした称揚は1960年代の日本の左翼系書籍にも見られる。「日露戦争のときに東郷平八郎が日本海海戦で大勝利をして凱旋(がいせん)した。彼は元帥になった。そのお祝いの席上である人がおべっかをつかって『このたびの大勝利は歴史に残る偉大なものだ。ちょうど、ナポレオンをトラファルガーの海戦で敗ったネルソン提督に匹敵すべきあなたは軍神である』と言った。東郷はそれに答えて『お褒めにあずかって恐れ入るが、私に言わせればネルソンというのはそれほどの人物ではない。真に軍神の名に値する提督があるとすれば、それは李舜臣ぐらいのものであろう。李舜臣に比べれば自分は下士官にも値しないものである』と言っています」(安藤彦太郎他『日・朝・中三国人民連帯の歴史と理論』、 日本朝鮮研究所、1964、pp6-7)
韓国国内の各新聞も同様だ。「東郷平八郎は『海軍の歴史上、軍神と言える提督がいるとしたら、李舜臣将軍ただ一人』と褒めたたえている」(2022年9月19日付『全南日報』)。個人ブログでは、同じような話があふれている。韓国人に民族主義的プライドと快感を与えるエピソードではないか。
ところがこうした話のどこにも、出典は出ていない。いつ、どこで、東郷がそんなことを言ったのか分からない。出典なしに、時期や場所、主人公を変えながら事実であるかのように出回っている。この発言は一体、どこが出所なのだろうか。
本当に残念で、そして驚くことに、この発言の始まりは民族主義の歴史学者、朴殷植(パク・ウンシク)だ。彼の主張を事実として確定してしまった主体は、1960年代まで活動していた大韓民国「忠武公記念事業会」だ。この事業会は、48年に申翼煕(シン・イクヒ)、安浩相(アン・ホサン)、李丙燾(イ・ビョンド)、鄭寅普(チョン・インボ)などが創立した。
以下の内容は完全に、韓国海軍士官学校教授のソク・ヨンダルとキム・ジュンべの論文「日本海軍提督東郷平八郎のネルソン・李舜臣比較発言についての歴史的考察」(『歴史文化研究』92集、韓国外国語大学グローバルキャンパス歴史文化研究所、2024)に基づいたもの。
■植民地時代:ネルソンから東郷平八郎へ
対馬海峡での戦いから1年半が経過した1906年11月、『太極学報』という雑誌にこんな記述が載った。
「乙いわく、東西海軍の名将はおそらく英国のネルソンと日本の東郷平八郎であるか。甲いわく、真の海戦の先生は朝鮮の李舜臣だ」(崔麟「甲乙会4」、『太極学報』第4号、1906年11月24日)
朝鮮の名将・李舜臣をネルソンや東郷平八郎よりも優れた人物だとした民族主義的な記述だ。これを書いた人物は、東京の留学生だった崔麟(チェ・リン)だ。日本の英雄・東郷が李舜臣に言及したのであれば、崔麟は当然引用したはずだが、言及はない。
2年後の1908年、申采浩(シン・チェホ)が書いた歴史小説『水軍第一偉人 李舜臣伝』にも「近年、ソンビ(学者・文人)たちが時折、英国の水軍提督ネルソン氏を李忠武公と対と成していわく」という記述が登場する(申采浩『李舜臣伝』、パープル、2011年、pp117-118)。だが申采浩も、李舜臣をネルソンになぞらえただけで、東郷の李舜臣賞賛には言及しなかった。
そして1921年、中国・上海で、東郷が李舜臣を称賛したと主張する記述が出現した。書いたのは上海臨時政府の要人だった民族主義歴史学者の朴殷植で、タイトルは『李舜臣伝』だ。「日本の海軍大将東郷平八郎は、李舜臣に似たいと願ったが、ネルソンに似たいとは願わなかった」(朴殷植『李舜臣伝』〈四民報〉。『白岩朴殷植全集』第4巻、2002年、p638)。この朴殷植『李舜臣伝』が、最初の記録だ。朴殷植は出所を明かさなかった。
そして14年後の1935年、「李舜臣はネルソンより優れている」と「日本の将軍」が発言したという主張が再び出てきた。だが、その「将軍」は東郷ではなかった。
「元連合艦隊司令長官末次大将の演説でも、李舜臣を名将だとしている」(弁護士ホ・ホン、『三千里』1935年3月号)、「大阪毎日新聞を見た宋鎮禹(ソン・ジンウ)が、末次大将が李舜臣をネルソンよりも優れた名将だと演説した、と伝えた」(7月号)
二人によると、こうした評価をした人物は東郷ではなく別の日本の司令官、末次信正だった。演説を行った時期は1934年10月15日で、場所は大阪公会堂だった。ところがこの演説文の録取記録を見ると、李舜臣について末次が行った発言はこのように記録されている。
「朝鮮では当時の名提督李舜臣の史跡を非常に誇りにしている」(ソク・ヨンダル他、前掲論文)
これが全てだ。李舜臣がネルソンより優れているという話はない。にもかかわらず、韓国国内の知識人は「新聞を見ると」という伝聞形式で、日本の将軍が李舜臣を称賛したと主張した。だがそれすら、「日本の将軍」は東郷ではなく第三の人物だった。朴鍾仁(パク・チョンイン)記者

(朝鮮日報 2025/08/14)
〇1950年代に忠武公記念会が作った偽りの李舜臣神話
■東郷平八郎本人の記録
1921年に東郷平八郎の参謀を務めていた小笠原長生(ながなり)が書いた『東郷元帥詳伝』には、李舜臣に関して東郷が語った言葉が出てくる。「半島古今の名将李舜臣」という言及だ。そうして、ネルソンに関しては、東郷本人が英国留学時代に受けた感銘が数回言及されている。
東郷がまだ存命中だった1930年に出た『東郷平八郎全集』では、「東郷とネルソン、二人は東西海戦史の名将」と評価されている。俗に言われる「私を李舜臣と比較するな」という言及はどこにも見られない。
ならば、一番最初にこうした主張を行った朴殷植は何を見たのだろうか。朴殷植が『李舜臣伝』を執筆した1921年、佐藤鉄太郎という海軍中将がいた。大佐時代の1908年に佐藤が書いた『帝国国防史論』に、こんな記述が出てくる。「李舜臣は実に蓋世(がいせい)の海将である。不幸にして生を朝鮮に享(う)けたればこそ、勇名も智名も西洋には伝らぬのであるが(中略)『ネルソン』の如(ごと)きは其の人格に於て到底比肩することが出来ぬ」(佐藤鉄太郎『帝国国防史論』上、東京印刷、p401)。わざとでないなら、上海にいた朴殷植は、佐藤が書いたこの一文を伝え聞いて、佐藤と東郷を混同した可能性が高い。
■解放、確定してしまった東郷の称賛説
ともかく、 植民地時代に増幅されていた「東郷平八郎李舜臣称賛説」は、解放と共に消えた。1954年12月13日付の「朝鮮日報」に載った「忠武公356周忌を迎えて」という、外部の人物によるコラムも、李舜臣をネルソンと比較しただけで、東郷平八郎の名前には言及していない。
ところが3カ月後の55年3月31日付「朝鮮日報」に、ついにおなじみの文章が出現した。李教善(イ・ギョソン)という人物が寄稿したコラムのタイトルは「忠武公の日を制定しよう」だ。
「帝国ホテルで開かれた東郷元帥凱旋祝賀宴の席で、桂太郎首相から『東郷元帥の偉勲は朝鮮の李舜臣将軍と英国のネルソン提督に比するに値する』という要旨の祝辞があった。東郷は『私をネルソン提督に比することは辞退しようとは思わないが、李舜臣将軍に比することは到底、堪えられない』と言った」(1955年3月31日付「朝鮮日報」)

これまで見てきた全ての記述の中で最も完成度が高い。この記事が、東郷称賛説に言及した解放後の最初の記述だ。「東郷平八郎が、李舜臣には似たいと願った」という1921年の朴殷植、「末次大将が、李舜臣をネルソンよりも名将だと演説した」という1935年の宋鎮禹の主張を、半分ずつ編集している。同日、「平和新聞」にも全く同じ内容の社説が載った。新聞社説なので執筆者名は出ていない。
ならば、この「朝鮮日報」の寄稿記事を作り、「平和新聞」で社説を書くほどの影響力あるライター「李教善」とは何者なのか。「朝鮮日報」寄稿記事の末尾に、執筆者の身元が出ている。
ならば、この「朝鮮日報」の寄稿記事を作り、「平和新聞」で社説を書くほどの影響力あるライター「李教善」とは何者なのか。「朝鮮日報」寄稿記事の末尾に、執筆者の身元が出ている。
■「執筆者は忠武公記念事業会理事長」
ほかならぬ、忠武公の宣揚事業の指揮者が、「東郷は李舜臣を称賛した」と主張していたのだ。李教善はソウル大学副総長、国会議員や商工部(省に相当)長官などを歴任した。その後、ほとんど全てのメディアで、李舜臣を語る機会さえあればこの話がさまざまな形で編集され、無限に繰り返された。
ところで、「平和新聞」の社説には「スペインの無敵艦隊を全滅させた英国のネルソン提督」という誤った内容が含まれていた。無敵艦隊と戦ったのはフランシス・ドレークの艦隊だった。ネルソンのトラファルガー海戦の相手は、ナポレオンのフランス艦隊だった。19年後の1974年、「京郷新聞」に、李舜臣に関する全く同じ間違いを含むコラムが載った。寄稿者は李瑄根(イ・ソングン)という人物だ。「無敵艦隊をトラファルガーの海上で打ち破ったネルソンは、英国政府から最高の礼遇を受けた。東郷は戦勝祝賀宴で『私は朝鮮の名将李舜臣に比べると下士官に過ぎない』と述べた」(李瑄根、「忠武公の国家観:429回生誕日にかみしめる」、1974年4月26日付「京郷新聞」)。執筆した李瑄根は74年当時、東国大学総長で、50年代に忠武公記念事業会に関与した人物だ。
解放後、1950年代と70年代に「東郷が李舜臣を称賛した」と主張した人は、この忠武公記念事業会幹部らのほかにいない。
海軍士官学校教授のソク・ヨンダルとキム・ジュンベは、このように結論を下した。「東郷平八郎が『自分は忠武公李舜臣に比し得ない』と言ったという話は、忠武公記念事業会が創作したものだった」(ソク・ヨンダル他、前掲論文)
海軍士官学校教授のソク・ヨンダルとキム・ジュンベは、このように結論を下した。「東郷平八郎が『自分は忠武公李舜臣に比し得ない』と言ったという話は、忠武公記念事業会が創作したものだった」(ソク・ヨンダル他、前掲論文)
■正されなかった歳月
これが真実だ。忠武公記念事業会内部の人々が合作した神話は、その後、疑うべき理由すらない事実として固まった。民族の英雄・李舜臣に対して日本の英雄が投げかけた賛辞は、無批判的に受容され、拡散した。ついには1964年、先に紹介した日本の単行本でも、この話を出典なしに引用した。韓国海軍における李舜臣の精神的後輩として、東郷平八郎称賛説が虚構であることを立証した海軍士官学校のソク・ヨンダル、キム・ジュンベ教授は、このように結論付けた。
「歴史学者らの『ためらい』がかなりの部分で作用した。学者らはほとんど、李舜臣という人物が持つ重みに圧倒されたり、その重みに便乗したりして、長年にわたり真偽について沈黙し、傍観してきた。その結果、今では何が真実なのか区分することすら難しい状況がつくられてしまった」
李舜臣の優れた戦略とリーダーシップは歴史的史料を通して立証されている。虚構と操作は害悪だ。事実だけが偉人を作る。朴鍾仁(パク・チョンイン)記者



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