〈奪われた文化財 未完の戦後処理〉

 日本による植民地支配下、韓国・利川市の五重石塔[利川五層石塔・利川郡浄土寺址五重塔]を東京都内の美術館に不当に持ち出されたとして、返還を求めている現地の民間団体の李愚靜(イウジョン)事務局長(30)が来日し「こちら特報部」の取材に応じた。日本では関心が薄く、消極的な声がある文化財返還問題。双方の溝を埋めるべく、あえて否定的な質問も投げかけた。(中川紘希)

◆朝鮮総督府が残した公文書に記録が

 李氏が事務局長を務める利川五重石塔還収委員会は2008年に発足した非営利民間団体。市内の政治や宗教の関係者、市民団体の代表などで構成される。年に1、2回程度来日し、石塔を展示する大倉集古館(東京都港区)を運営する大倉文化財団との対話を試みている。

 主張に根拠はあるのか。李氏は「搬出された経緯は推測ではない」と強調。韓国の国立中央博物館が、朝鮮総督府(韓国併合後、現地に置かれた日本の統治機関)が残した公文書を保存しており、集古館を設立した大倉喜八郎らが石塔の提供を求め、総督府が下付した記録があるとした。

 石塔が博物館の展示品ではなく、寺院という特定の場所に属する構造物だったと指摘。「元あった土地と分離されてしまえば、その意味は半分失われてしまう」と訴えた。

◆「精神的な役割を果たしている。民族の象徴」

 「著名な人物が作った」といった具体的な史実については李氏は、個人名の記録はないとしつつ「だからといって歴史がないわけではない」と語る。

 韓国の仏教における石塔は、人々が周回しながら家族の健康や国の安寧などを祈る儀式を行い「精神的な役割を果たしている。民族の象徴として重要視されていると理解してほしい」と求めた。

 「一部の住民が問題視しているだけでは」との疑問には、李氏は「市民の総意だと考えている」と返答。委員会は2010年に、市民の半数にあたる10万以上の署名を集め、2020年には石塔の複製である「還収念願塔」を市民の募金だけで建てたことを根拠に挙げた。

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▲還収念願塔の建立を祝う式典で、石塔の周りを回り願いをささげる仏教儀式に臨む市民ら=韓国・利川市で(利川五重石塔還収委員会提供)


 李氏は7月中旬、石塔の問題を考える集会に出席するために来日。集会には利川市の市長がビデオメッセージを送り、地元の思いの強さを感じた。

◆「今の世代で課題を乗り越え、新しい関係を築きたい」

 それでも日本では、韓国の戦後補償の要求に対して「いつまで批判されなければならないのか」との声を聞く。ためらいつつ、実情を伝えてみた。

 李氏は少し間を空けて「確かに過去の問題が今も続いていることは残念で、疲労感がある」。一方で「『もうやめよう』と言っても問題は解決しない。次の世代へと引き継がれていくだろう」とし、こう続けた。

 「私たちは当時の当事者ではないからこそ、個人的な感情に左右されず、冷静に議論し結論を導き出せると信じている。日本人一人ひとりを責めたいのではない。今の世代で課題を乗り越え、新しい関係を築きたい」

【五重石塔なぜ返してほしい?】
 利川五重石塔還収委員会によると、高麗時代(918~1392年)初期に作られたとされる高さ約6.5メートルの石塔。朝鮮総督府は1915年に開催した「朝鮮物産共進会」の会場を飾るためにソウルへ搬出。集古館の設立者で実業家の大倉喜八郎らは総督府に相談し、下げ渡しを受けたとされる。日本政府は、美術品の国外流出防止を目的とした法律に基づき1933年に石塔を重要美術品に認定し、現在も認定を続ける。文化庁は「集古館に渡った経緯の詳細は承知していない」としている。