石垣市「尖閣の日」式典開催 たちあがれ・平沼氏も出席
(朝日新聞 2011/01/14)


 尖閣諸島が属する沖縄県石垣市で14日、「尖閣諸島開拓の日」を定める条例の制定記念式典があった。同市議会は先月、1895(明治28)年に尖閣諸島の日本領編入が閣議決定された1月14日を「開拓の日」とする条例を可決。市が、日本固有の領土であることをアピールしようと初めて開催した。

 中山義隆市長は式典で、明治期に尖閣諸島でカツオ節製造などが行われていたことに触れ「先人の苦難の歴史のもと、現在のわが国の領土としての位置づけがなされていることを肝に銘じなければならない」とあいさつ。

 市が求めている島への上陸について「政府が認めないのは誠に残念だ。政府は尖閣諸島をしっかり管理し、日本の国益を守るよう改めて強く要望する」と語った。

 式には約300人が集まり、たちあがれ日本の平沼赳夫代表、自民、公明などの国会議員らも出席した。




「尖閣諸島の日」で記念式典 沖縄・石垣市
(産経新聞 2011/01/14)

 尖閣諸島を行政区とする沖縄県石垣市で14日、「尖閣諸島開拓の日を定める条例」制定を記念した式典が同市民会館で開かれ、石垣市や市議会などが中心となって固定資産税課税の実地調査などを含め尖閣諸島の領有権を明確にするための施策を政府に求めていく方針を確認した。

 また、来賓として出席した自民党の下村博文衆院議員は、国政調査権による上陸、調査を実施することを確約し、24日召集予定の通常国会に党として尖閣諸島での灯台の設置などを盛り込んだ法案を提出する考えを明らかにした。

 式典には下村氏のほか、たちあがれ日本代表の平沼赳夫衆院議員や自民党の島尻安伊子参院議員、公明党の遠山清彦衆院議員、みんなの党の柿沢未途衆院議員、地元住民ら約300人が参加した。

 中山義隆石垣市長は、政府が尖閣諸島への上陸を許可しないことを批判した上で、「尖閣諸島は歴史的にも国際法上もわが国固有の領土で石垣市の行政区だ。英知を結集して対応し、強く全世界に発信していく」と決意を表明した。

 下村氏は式典後、中国の外交政策や領海・領土政策が近年大きく変化していることを指摘し、「今までのような日中平和外交の延長線上では対応できない。国益を守るという明確な対応が求められている」と語った。




尖閣諸島43年間の開拓歴史を紹介 外務省200点の貴重な資料展示
(八重山毎日新聞 2011/01/14)

「日本の有効支配を示すもの」と位置づけ

 石垣市議会が昨年12月、条例で制定した「尖閣諸島開拓の日」(1月14日)。市民会館中ホールで14日から始まる市主催の「尖閣諸島開拓の歴史と自然展」(16日まで)では、歴史的資料やパネル写真など約200点が展示される。外務省が「同諸島に対する日本の有効な支配を示すもの」と位置づけている開拓の歴史を展示資料などに基づいて紹介する。

 尖閣諸島は主に南小島(324平方メートル)、北小島(258平方メートル)、魚釣島(3641平方メートル)、久場島(874平方メートル)、大正島(41平方メートル)からなる。八重山では昔から「イーグン・クバシマ」の名称で呼ばれていた。

 同諸島が沖縄県の所轄となったのは1895年(明治28年)。国立公文書館所蔵の資料によると、明治政府は同年1月12日、沖縄県の所轄として標杭を建てることを決定し、同月14日付で県に指令を出す。翌96年(明治29年)には、勅令第13号で尖閣諸島を含む八重山郡など5郡を沖縄県として編成した。

 これに先立つ84年(明治17年)、福岡県出身の古賀辰四郎が魚釣島を探検。95年(明治28年)に内務大臣に尖閣諸島の貸与願いを申請し、96年に県編入後の4島(魚釣島、久場島、南小島、北小島)を30年期限の無償貸与認可を受ける。

 古賀氏は翌97年から開拓事業に着手、4年間で計136人の労働者を派遣し、島毛採取、燐鉱石採取、かつお節製造などの事業を行う。1909年(明治42年)、政府は開拓の功で藍綬褒章を受けた。人口は248人(99戸)で全員が古賀商店の従業員だったとみられる。

 古賀氏は18年(大正7年)8月15日、63歳で死去。子息の善次氏が事業を継承し、32年(昭和7年)に魚釣島、久場島、南北小島の4島の有償払い下げを受けた。これにより4島は民有地となる。

 善次氏は40年(昭和15年)に事業継続を断念。尖閣諸島は無人島と化し、43年間の開拓の歴史に幕を閉じた。船舶用燃料が配給制になり、船舶の航行が困難になったためと思われる。

 善次氏は78年、妻の花子氏は88年に死去。夫妻には子がなく、4島の所有権は第3者に譲渡された。現在は政府が所有者から借り上げ、管理している。




【社説】尖閣諸島の日 中国に負けない対外発信力を
(読売新聞 2011/01/14)

 きょう14日は沖縄県石垣市が定めた「尖閣諸島開拓の日」である。

 1895年(明治28年)のこの日、政府が尖閣諸島を沖縄県に編入したことにちなみ、昨年末、市が条例で制定した。

 政府は当時、尖閣諸島がどの国にも帰属しないことを10年に及ぶ調査で確認した。中国の清朝も何ら異議を唱えなかった。

 1952年のサンフランシスコ平和条約発効により、尖閣諸島が米国の施政下に入った際も、中国と台湾は全く反応しなかった。尖閣諸島を日本領と認識していたことを示す地図や中国共産党機関紙の記事まで残っている。

 中国が領有権を主張し始めたのは、日本の領土編入から75年も後の1970年で、周辺の海底に石油埋蔵の可能性が指摘されてからに過ぎない。尖閣諸島が、歴史的にも国際法的にも日本固有の領土であることは明白である。

 このため、どの国に帰属するかを争う「領土問題」は日中間に存在しない、というのが政府の立場だ。政府は、「領土問題」化を狙う中国の土俵に乗るわけにいかないとして、中国への反論も抑制的な対応に終始してきた。

 しかし、中国は明朝時代の古地図まで持ち出し、インターネットや海外テレビ放送で盛んに「中国領だ」と喧伝(けんでん)している。香港の民間反日団体も、世界各地の華人系団体の連携組織を発足させた。

 尖閣諸島沖で起きた漁船衝突事件でも、欧米には中国の主張に理解を示す報道があった。

 「領土問題は存在しない」と繰り返すだけでは、対外アピールの面で中国に大きく差をつけられるばかりではないか。

 外務省のホームページは、尖閣問題の経緯や日本の立場について英語と中国語の説明文を設けている。だが、韓国と領有権を争う竹島問題の方は9か国語と充実している。尖閣問題の紹介も、多言語で対応すべきだ。

 「竹島の日」を2005年に制定したのも、島根県だ。領土にかかわる問題は自治体任せにせず、政府が先頭に立って内外の世論啓発に努めてもらいたい。

 これとは別に、係争海域での緊張緩和に向けたルールづくりにも取り組む必要がある。外国漁船が違法操業の取り締まりを逃れるため、巡視船艇に体当たりするような危険行為が横行しては困る。

 これは日中2国間に限った話ではない。東アジア首脳会議など多国間の枠組みを積極的に活用して実現を図るべきだろう。




中国の反応↓

きょうは「尖閣不法占拠の日」=石垣市条例に反発-中国党機関紙
(時事通信 2011/01/14)

 中国共産党機関紙・人民日報は14日、沖縄県石垣市議会が先に、同日を「尖閣諸島開拓の日」と定める条例を可決したことに対し、「他国の領土を不法占拠する行為を『開拓』とするのは横暴だ。1月14日は『開拓の日』より『不法占拠の日』としたほうが正しい」と指摘する評論を掲載した。

 条例は、日本政府が1895年1月14日に尖閣諸島の領土編入を閣議決定したことを根拠としている。評論は、「日本が釣魚島(尖閣諸島)を不法占拠した不名誉な歴史は、日本の公文からも見て取れる」とし、関連文書も列挙した。




北京の日本大使館施設に金属球 窓ガラスにひび
(毎日新聞 2011/01/14)

 北京の日本大使館によると、大使館の施設である広報文化センターで14日午後、1階と2階の窓ガラス各1枚にひびが入っているのを職員が発見した。地面にパチンコ球程度の大きさの金属球が落ちており、外から撃ち込まれたとみられる。大使館は公安当局に通報する一方、中国外務省にも連絡し、安全確保を要請した。

 14日は明治政府が1895年に尖閣諸島の日本領への編入を閣議決定した日で、同諸島を行政区域内に抱える沖縄県石垣市の議会が先月、この日を市の記念日「尖閣諸島開拓の日」とする条例を可決している。

 同センターは大使館本館の近くにあるホテル内に入っており、外から見ただけは日本の関連施設とは分からないが、尖閣諸島を巡る日本の対応に反発しての犯行の可能性もありそうだ。




韓国のようなおもしろデモは無かったようですね...




 

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