(ニューシス 韓国語 2014/04/01)
日本,東京港区のオークラホテルにある高麗時代の『利川五層石塔』の返還は相変らず不透明だ。石塔を所蔵している美術館が3月31日から4年間の改修工事に入って門を閉め、対外接触も控えている。


4年休館の案内文 2014-04-01

高麗時代の石塔。閉じられた門の隙間から撮影した。2014-04-01
日本の古いホテルのうちの一つであるオークラホテルの本館正面には、オークラグループ創立者である大倉喜八郎(1837~1928)が設立した大倉美術館が位置している。江華島条約締結で釜山港が開港すると1876年に朝鮮に進出した大倉は朝鮮の文化財を収集し、日本に搬出した。


4年休館の案内文 2014-04-01

高麗時代の石塔。閉じられた門の隙間から撮影した。2014-04-01
日本の古いホテルのうちの一つであるオークラホテルの本館正面には、オークラグループ創立者である大倉喜八郎(1837~1928)が設立した大倉美術館が位置している。江華島条約締結で釜山港が開港すると1876年に朝鮮に進出した大倉は朝鮮の文化財を収集し、日本に搬出した。
このように集めた文化財で、日本初の私設博物館である『大倉集古館』を1909年設立、1927年に正式開館した。ここには大倉が中国と韓国などの地から持ってきた古美術品を展示している。
『利川五層石塔』は日帝強占期である1918年頃、展示を目的にここに移された。2008年に設立された『利川五層石塔還収推進委員会』の粘り強い要求により、2010年に日本政府の同意を条件として石塔を返還することができるという意向を明らかにした。
文化財団側(公益財団法人大倉文化財団)は、この石塔がちゃんと保管されており、韓国人観光客がいつでも見ることができるという理由などをあげて返還を拒否してきた。
しかし、先月31日付で一般公開展示が暫定的に中断されただけに、主要な返還拒否理由が消えたわけだ。
『文化財元の場所探し』によると、2011年の東日本大震災当時、石塔の一部が破損して補修中だと伝えられた。
当時、『文化財元の場所探し』事務総長へムン僧侶は「大倉側は過去、『景福宮・資善堂』を略奪して行き、1923年の関東大震災時の火災で消失させた前歴がある。オークラホテルは石塔の損傷の程度を正確に公開し、さらに石塔返還問題にもう少し誠実に臨まなければならないだろう」と明らかにした。(機械翻訳 若干修正)
当時、『文化財元の場所探し』事務総長へムン僧侶は「大倉側は過去、『景福宮・資善堂』を略奪して行き、1923年の関東大震災時の火災で消失させた前歴がある。オークラホテルは石塔の損傷の程度を正確に公開し、さらに石塔返還問題にもう少し誠実に臨まなければならないだろう」と明らかにした。(機械翻訳 若干修正)
このニュースを見て、また日韓の市民団体や議員が集まってくるんでしょうね。
| 2008年06月10日
日帝時代に奪われた高麗時代の石塔をホテルオークラから取り戻すニダ! 2008年09月11日 日帝時代に奪った高麗時代の石塔の返還をホテルオークラが拒否したニダ! 2009年02月19日 日本政府と大倉文化財団に対し石塔返還を正式に要請するニダ! 2010年04月22日 大倉集古館に「利川五層石塔」の返還を正式に要請したニダ! 2010年07月21日 大倉集古館が「利川五層石塔」の返還を“また”拒否したニダ! 2010年10月30日 大倉文化財団が「日本当局が許可すれば『利川五層石塔』を返還する」と言ったニダ! 2010年11月23日 『利川五層石塔』の返還交渉をしに地元議員が大倉文化財団に行ってきたニダ! 2010年12月13日 『利川五層石塔』が失われなかったのは日本が大切に保管してくれたからニカ? 2011年05月13日 韓・朝鮮の『五重塔』を返還するように大倉集古館に書簡を送ったニダ! 2011年05月21日 略奪文化財の『利川五層石塔』が東日本大地震で一部が損傷したニダ! 2011年08月04日 韓・朝鮮の『五重塔』の返還に大倉集古館が応じなければ訴訟ニダ! 2011年08月10日 大倉財団に「まず『略奪』という表現を使ったことを謝罪しろ」と言われたニダ! 2012年10月10日 2013年12月07日 |
TOKYO美術館 2014-2015

全裸美術館 [DVD]



サルにサルの居住跡の価値はわからない