(ソウル新聞 韓国語 2014/05/09)

日本国内の韓流熱風を主導した『韓流百貨店』が事実上破産した。韓日関係悪化で韓流の人気が徐々に冷めているという分析が出てくる中、最も象徴的な事件と評価される。

9日、日本の市場調査専門機関の『帝国データバンク(TDB)』によれば、日本で韓流商品や食料品を専門に販売する『韓流百貨店』の運営主体『(株)韓流百貨店』は先月21日、東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請した。

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日本の民事再生法は韓国の法廷管理(ワークアウト)と同様の制度である。超過債務で破産危機に陥った企業が裁判所の監督を通じた会社再建や債務返済のために申請する。

『韓流百貨店』は日本国内の韓流産業の発信地と見なされる名所であった。2005年4月に『KIM’S CLUB(キムスクラブ)』という商号で設立された。初期には韓国食料品販売が主軸だったが、韓流熱風に力づけられて韓国芸能人関連商品や韓国産化粧品などを取り扱い始めた。

2008年11月には韓流の中心地である東京都新宿区新大久保駅地域に、当時日本最大規模(496㎡)の韓流ショッピングモールである『韓流百貨店』の運営を始めた。

2010年に横浜チャイナタウン店、2011年に福岡店を開店した。

事業は繁盛一路に入った。2012年に入り一日の平均訪問客数は1万人、年間売上高は16億円(約160億ウォン)を越えた。

この会社のキム・ドクホン(金徳洪)代表(43)は日本で成功した代表的な韓商として注目された。

しかし、韓日関係の悪化と新大久保一帯の韓流ショップの氾濫で徐々に事業不振を経験し、昨年の年間売上推定額は前年比30%以上急減した11億円台に止まった。

債務額は3億4,218万円(約34億3000万ウォン)を記録した。TDB側は「韓流熱風が消え失せるなか、韓流百貨店側が自主再建をあきらめた」(韓流ブームがピークを過ぎるなか、自主再建を断念した。 )と説明した。

一方、日本大阪で推進された韓流テーマパーク建設事業も座礁の危機に陥った。在日同胞企業のハン・チャンウ(82)会長が率いるパチンコ企業『マルハン』が購入した1万4000㎡(約4300坪)の敷地に4階建規模の韓流テーマパークをつくる予定だったが着工が延ばされている。右翼指向である日本維新の会共同代表である橋下徹大阪市長が交通当局との契約内容を問題にしながらである。(機械翻訳 若干修正)


「日本で成功した代表的な韓商」と注目されていた記事↓


 <次世代韓商>①日本(株)韓流百貨店キム・ドクホン代表
(聯合ニュース 韓国語 2012/06/25)

「韓流事業をめぐり『少しの間の流行だ』『いつ終わるか分からない』と心配などするが、誤解しないでください。絶対そうではない」

日本で韓流をビジネスにつなげて成功した企業家として挙げられるキム・ドクホン(金徳洪)(41)『(株)韓流百貨店』代表が自身満々に周辺の人々にいう言葉である。

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キム代表は1998年の外国為替危機が真っ最中であった当時、単身日本に渡り、14年ぶりに韓流事業で年間16億円(韓貨約200億ウォン)の売上を上げる前途有望な韓商である。

彼は「日本での韓流はもう流行でなく一つの領域として位置しており、ビジネスでも十分に成功できる基盤が用意された」として「ただし、新しいスターや文化コンテンツが出現してその恩恵を受けるという受動的なビジネスではなく、新しい韓流を作り出すインフラを構築する方向にすると韓流が持続可能なビジネスになることができる」と強調する。

キム代表は「韓流の歴史は三国時代に遡る。当時も政治、宗教、文化、芸術などあらゆる方面で文化交流は続き、今も延長線上なので韓流は最近瞬間的に起きたのではなく、もともとあったものを再発見したことだけ」と説明した。

韓流をアイテムに日本で堂々と企業家としてそびえ立つまで彼の人生はそんなに容易でなかった。

1998年末、国際通貨基金(IMF)事態に国の経済が底をさ迷う当時、彼は韓神大学経営学科卒業を控えていた。

適当な就職口を探すのが難しかった彼は無酌定(もくろみや見通しがないこと)に玄界灘を渡った。日本語を一言も話せなかった彼だったが行けば生きる道があるという漠然とした期待感からである。

まず韓国食品店に入ってアルバイトをしながら語学院に通った。しかし4か月間月給が滞り、周りの人たちに貸した金も踏み倒されながら一瞬ですっからかんになった。

キム代表は「日本に派遣されてきた韓国の貿易会社のある幹部に会って助けを乞い、彼が快く職員として採用して事業に足を踏み入れた」として「当時行き場がなくて会社の倉庫で食べて寝たりして生活した」と回想した。

2002年、彼に絶好の機会が訪れた。自分を助けてくれたその幹部が食品流通会社を構えて独立し、事業パートナー資格で横浜地域を担当することになったのである。初めは物を車に積んで通いながら配達するいわゆる“車単位の取り引き”営業で事業を始めた。当時の韓日ワールドカップブームにのって事業も繁盛した。

2004年には東京新宿に自分の姓をつけた韓国食品店『キムスクラブ』を開き、韓国にいたご両親と妹を順に日本に招請した
。

2005年の名古屋エキスポ期間に韓食堂とマートなどを臨時で開店して運営したのに続き、2008年に新大久保に韓国レストラン『ホンアホンア』をオープンした。また、韓国産食品や化粧品、ドラマCDなどの韓流商品などを販売する韓流百貨店を相次いで開設し、売上額も垂直曲線を描いていった。

2010年と2011年には韓流百貨店2,3号店を横浜と福岡に開店した。

引き続きホンアホンアと韓流商品店を一緒に利用できるように『韓流アウトレット』という複合店舗をオープンし、韓流百貨店で取り扱わない商品だけを販売する特化店舗である『韓流グランドパーク』を新大久保に開いた。

現在、新宿の韓流百貨店は一日平均1万人の顧客を引き入れ、年間130億ウォンの売上を上げている。

キム代表は「冬のソナタを通じてまき起こった韓流熱風が歌手ボアをはじめ東方神起などアイドルグループに広がるのを見て、韓流が単純な流行を越えて様々なビジネスに派生する可能性があると考えた」と話した。

彼は韓流をビジネスに結びつけながら“はやく、賢く、笑おう”という3S(speed,smart,smile)精神を実践することに力点を置いていると説明した。韓流百貨店が現地の新聞や放送を通して韓流熱風の本拠地として紹介されている秘訣である。

キム代表は今年4月、キムスクラブの社名を(株)韓流百貨店に変更し、本社も新宿に移転をした。

来る30日には新大久保職安通りに3階建の建物を賃貸し、日本最大規模の韓国ショッピングモールをオープンする予定である。(↓の記事の「デザイン89」)

日本全域に韓流百貨店をオープンすることが目標というキム代表は「今まで韓流が私たちを食べさせたとすれば、これからは私たちが韓流を現地化するのに中心とならなければならない」と強調した。(機械翻訳 若干修正)
 ユン・サンヒョン、日本の韓流百貨店のモデルに抜擢..韓流スター立証
(スポーツ朝鮮 韓国語 2012/06/28)

俳優ユン・サンヒョンが日本の韓流百貨店のモデルに抜擢された。ユン・サンヒョンの所属会社側は28日「ユン・サンヒョンが最近、日本の韓流百貨店の『デザイン89』の広告モデルに抜擢され、去る24日に広告撮影を終えた」として「来る30日午後2時から1時間『デザイン89』でファンサイン会を開催する」と伝えた。

『デザイン89』は日本最大規模の韓国ショッピングモールで、韓国有名ブランド化粧品や韓流スターの商品を購入しようとする日本人たちには必須コースに挙げられる韓流百貨店の8番目の店舗である。『デザイン89』は日本国内の韓国文化の地位に浮び上がった東京新大久保に位置し、来る7月の正式オープンを控えている。

特に韓国の有名ブランドを購買できると同時に韓国料理を味わい、最高の韓流スターの商品にまで接することができて“韓流の中心”と呼ばれる韓流百貨店は、『デザイン89』を含み『韓流アウトレット』、『韓流グランドパーク』など東京、横浜、福岡に計8店舗を保有し、現地の新聞と放送を通じて韓流熱風の本拠地として紹介されている。

韓流百貨店のキム・ドクホン(金徳洪)代表は「日本で歌手と俳優として活動して大きな愛を受け、すでに韓流スターに位置づけられたユン・サンヒョンは様々な魅力で消費者と十分に交感できるモデル」としながら「ユン・サンヒョンが『デザイン89』のモデルとして活動することにより、ブランドの広報効果と波及力は相当なものだろう」と抜擢理由を明らかにした。(略)(機械翻訳 若干修正)


(新大久保コリアンタウンホットガイド 2012/12/14)

今年6月に「Design89」の仮名でオープンした職安通りの韓流アミューズメントビルが、12月11日(火)に「K-SQUARE(ケースクウェア)」として名称を正式決定した。


賑やかではなかったけどシャッター通りでもなかった新大久保ですが、韓流バブルがはじけた新大久保は数年後どう変わっているんですかね。