(聯合ニュース 韓国語 2014/12/08)

軍慰安婦被害者の証言を記事化して日本の右翼の脅迫に苦しめられている元朝日新聞記者の植村隆氏(56)は「リベラリズムをつぶそうとする暴力に屈しない」と話した。

朝日新聞記者時代の1991年、韓国人軍慰安婦被害者の証言を記事化した植村は、8日に報道された東京新聞とのインタビューで「軍慰安婦関連の記事を捏造していない」とし、このように明らかにした。

去る3月に朝日を退社した後、月数万円(数十万ウォン)の時間講師の給料と退職金で生活している植村は、高校生の娘おかげでこのような状況を持ちこたえていると明らかにした。

日本の右翼は彼の軍慰安婦に関連した記事が虚偽と主張しながら、彼を“売国奴”と批判したし、さらに「自殺に追い込め」という文と共に高校生の娘の写真と実名、住所などをインターネットに載せた。

これに対して植村氏は、娘がインターネットに上がってきた写真を見ても「写りが悪い写真が出たので余計に腹が立つ」として毅然とした姿を見せ、自分も奮起できたと紹介した。

彼はまた“脅迫に負けるな”としながら、自分を雇用している大学を応援する運動を行う人々からも激励を受けたと伝えた。

植村氏は近いうち、自分の軍慰安婦関連記事を批判してきた月刊誌に自分の手記を発表するものであると紹介した。

神戸のある女子大学は、植村氏を教授に内定し、右翼の抗議電話とメールが殺到すると去る3月に教授採用契約を解約した。

また、彼を時間講師として採用した北海道の北星学園大は爆弾テロを予告するなどの脅迫が続くと、来年度に植村と再契約をしない案を検討中だ。

特に朝日が去る8月初めに特集記事を通じて、済州島で女性多数を慰安婦として強制連行したと明らかにした吉田清治氏(2000年死亡)の証言を裏付けるほどの事実があらわれなかったとして、自社の関連記事10件余りを取り消した後、植村氏に対する脅迫は加重された。(機械翻訳 若干修正)


元朝日新聞記者 植村隆氏に聞く
(東京新聞 2014/12/08)

「暴力に屈しない」
慰安婦証言 捏造ではない

 植村氏とその家族は、この一年間、脅迫と嫌がらせの渦中で過ごした。ほとんど公の場に姿を現さなかった植村氏だが、「こちら特報部」の取材を快諾した。「記事の捏造はなかったと理解してくれる人が増えた。今後はきちんと反証したい」との思いからだ。

 ネットに出回る写真とはまるで別人だった。黒々としていた頭髪は大半が白くなっている。だが、疲れた表情でも、目には力がみなぎる。キャスター付きバッグとリュックサックに資料とパソコンを詰め込み、精力的に札幌市内を移動する。記者は支援者宅や北星学園大、地下鉄、画廊、居酒屋などで話を聞いた。
 「娘のおかげだ。一人ではここまで来られなかった」。しわがれた大きな地声で言及したのが、ネットに写真がさらされた高校生の長女のことだ。

 朝日新聞を三月末に退社した後、収入は北星学園大の非常勤講師料月額数万円のみ。神戸松陰女子学院大からの契約解消要求には「大学も被害者だ」と応じた。退職金を切り崩しながら暗たんたる気持ちでいたころ、長女の写真がネットで拡散された。写真は、植村氏が撮影したものだった。長女は植村氏に言った。「写りが悪い写真が出たので余計に腹が立つ」。気丈に振る舞う長女の姿に奮い立った。

 運命を翻弄した九一年の慰安婦記事について尋ねると、「元慰安婦の女性はだまされて慰安婦になったと書いた。強制連行だったとはひと言も書いていない。報道に際し韓国人の義母の便宜を受けたこともない。捏造ではない」と強調した。

 八七年に朝日新聞阪神支局で殺された小尻知博記者は同期だ。「北星に迷惑がかかっているのも分かっている。しかし、リベラルな土壌がある北の大地だからこそ起きた支援者たちの『負けるなムーブメント』に励まされた。リベラリズムをつぶそうとする暴力に屈しない」。植村氏は、初の手記を近く月刊誌に発表する。慰安婦記事を九二年にいち早く批判していた雑誌をあえて選んだ。


雇用継続かどうかは4日に行われた北星学園の理事会で結論が出ず、11日に再び理事会で話し合われ、遅くとも年内に結論を出すようですが、どうなるんでしょうかね。