(KBS 韓国語 2015/06/25)
<アンカーコメント>
朝鮮戦争当時のイ・スンマン(李承晩)政府の対処に対し、歴史的論議が少なくないですが、その中の一つが『日本亡命政府要請説』です。


イ・スンマン政府が実際に当時、米軍政を通じて日本政府に『6万人亡命の意思』を打診し、日本が『韓国人避難キャンプ』計画を立てたという内容の秘密文書をKBS取材陣が初めて確認しました。パク・ジェウ特派員です。
<リポート>
6.25(朝鮮戦争)当時のイ・スンマン政府の『日本亡命要請説』を確認するために山口県図書館を訪れました。

山口県の公式歴史記録...

朝鮮戦争勃発2日後、日本外務省は山口県知事に「韓国政府が6万人規模の亡命政権を山口県に作りたい」と知らせてきたとし、可能なのか尋ね、当時の田中龍夫知事は日本住民たちも配給が不足している状況とし、難しいという返事をします。




しかし、しばらくして田中知事は韓国人5万人を受け入れる内容の『非常措置計画書』を出します。
米軍政記録です。


山口県の阿武など4地域に20か所避難キャンプを作り、臨時テント1つに200人ずつ、計250のテントに5万人を受け入れるという計画でした。


<インタビュー>チョン・ウジョン(鄭祐宗、Chong Ujong)(博士/京都、大谷大学):「宿泊施設や衛生施設、食糧問題とかそういうことを5万人規模で(準備しました。)」


田中知事はこの英文の計画書を米軍政に提出し、予算支援を要請しました。
当時、山口県は『朝鮮情報室』という別途の部署を作り、韓半島(朝鮮半島)の情報を詳細に記録した『朝鮮情報』という文書を首相など政府閣僚に頻繁に報告していました。
朝鮮情報室は韓国戦(朝鮮戦争)勃発2日前、『北朝鮮の南侵略危険報告書』を日本政府に提出したりもしました。

文書によれば、イ・スンマン政府は亡命を打診し、実行はされませんでした。

文書によれば、イ・スンマン政府は亡命を打診し、実行はされませんでした。
事実ならば、6.25初期政府の状況がどうだったのか赤裸々に見せてくれるところです。山口からKBSニュースのパク・ジェウでした。(機械翻訳 若干修正)
(KBS 韓国語 2015/06/25)
朝鮮戦争当時のイ・スンマン(李承晩)元大統領の行動に対し、歴史的論議が多いです。その中の一つが『日本亡命要請説』ですが、朝鮮戦争当時、イ・スンマン政府は実際に日本に亡命要請をしたのだろうか?
■イ・スンマン元大統領の『日本亡命要請説』
朝鮮戦争発生直後、わずか3日でソウルが占領されるなど緊急な状況であったため、当時の韓国政府の公式記録は全く見られません。
事実確認のために“亡命地域”として議論された日本,山口県庁の図書館を訪れました。山口県の歴史を記録した『山口県史』で1950年の記録を調べました。
▲山口県史
当時、田中龍夫,山口県知事は、朝鮮戦争発生2日後である6月27日、外務省を通じて「韓国政府が6万人の亡命政権を山口県に作りたい」という電報を受けたと書かれています。
これに対し、田中知事は現在、地域住民たちにも配給がまともに支給されないでいるなど食糧問題が深刻だとし、“韓国人亡命”の受け入れに反対の意思を明らかにしました。
■日本『韓国人5万人受け入れ』計画
“韓国人亡命”についてもう少し正確な公式記録はないだろうか?
複数の人に確認する過程で京都のある大学の“在日同胞3世”の教授(講師・博士)が朝鮮戦争当時のこの問題に関するアメリカ公文書保管所の『米軍政文書』のマイクロフィルムを所蔵しているという話を聞いて京都に行きました。
複数の人に確認する過程で京都のある大学の“在日同胞3世”の教授(講師・博士)が朝鮮戦争当時のこの問題に関するアメリカ公文書保管所の『米軍政文書』のマイクロフィルムを所蔵しているという話を聞いて京都に行きました。
この文書は、朝鮮戦争発生から10日ほど後である1950年7月7日の記録でした。
山口県の田中知事は、日本の中国地域5県の知事会議に参加した席で『韓国人5万人受け入れ計画』を発表します。
山口県の田中知事は、日本の中国地域5県の知事会議に参加した席で『韓国人5万人受け入れ計画』を発表します。
田中知事は英文で作成された『非常措置計画』という題名のこの報告書で、山口県の阿武など4つの自治体に20か所避難キャンプと村を作り、臨時テント1つに200人ずつ、計250のテントに5万人を受け入れるという計画をたてました。
この報告書には病室などの医療施設と衛生施設、食糧支援などの内容も含まれています。山口県はこの英文報告書を当時、米軍政に提出し、予算支援を要請しました。
■日本は『朝鮮情報室』…イ・スンマン政府は『真っ暗闇』
当時、食糧不足で配給を受けるなど敗戦の傷を克服できていなかった日本の一地方政府である山口県が、このように韓国に関する問題に精通して素早く対処できたのは『朝鮮情報室』という別途の機構を運営していたためでした。
この『朝鮮情報室』では、日帝強占期のときに朝鮮総督府や警察に韓国で勤めて韓国語が流暢な日本人を特別採用して、韓国のラジオ放送などを毎日聴取し、山口地域の在日韓国人に会い、韓国に関する情報を収集しました。
これらはこの情報を集めて『朝鮮情報』という文書を作成し、日本首相と内閣閣僚に頻繁に報告をしていました。
朝鮮戦争発生2日前である6月23日にも、山口県知事が「北朝鮮が南侵する危険性が非常に高く対策が必要だ」という報告書を日本首相に伝えました。
当時、山口県の田中知事は、韓国が北朝鮮と中国、ソ連など共産主義勢力の“1次阻止線”であり、山口県は日本本土の“防波堤”のような役割をすると考えて、韓半島情勢の変化を几帳面に確認していました。
この『韓国人避難キャンプ』計画がどの程度まで進行されたのか、他の文書をさらに捜しだすことはできませんでした。
そして、イ・スンマン政府の“日本亡命”も仁川上陸作戦などで戦争の様相が完全に変わって実行に移されていません。
しかし、朝鮮戦争発生直前、イ・スンマン政府が韓半島と周辺情勢にどれほど暗かったのか、朝鮮戦争発生直後、イ・スンマン政府がどんな状況であったのか、赤裸々に見せてくれます。(機械翻訳 若干修正)
橋を落として逃げたうえ、高跳びまで考えていたとは・・・、さすが韓国初代大統領ですね。
朝鮮戦争 攻防38度線 CCP-919 [DVD]

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死に損ないの韓国なんぞ助けるんじゃなかった。
あんな腐った弱い国が「防共の盾」になるはずがない。
日本が再軍備して直に赤化朝鮮と対峙した方がコストパフォーマンスが優れている。
今からでも遅くない。
こちらは韓国を不買運動で不況のドン底に追い込み、向こう(北朝鮮)は財閥や青瓦台への不満を煽って共産革命を仕掛け、挟み撃ちであの死に損ないにトドメを刺そう!