(東洋日報 韓国語 2015/09/14)

イ・ソクウ論説委員/詩人

日本列島には10万個の神社がある。ここに祀られている神の数は2000程度となる。果たして‘神の国’という彼らの言葉に実感が行く。彼らはなぜこのように多くの神の森をつくり、自らをその中に閉じ込めておこうとするのだろうか?

私たちは今年も台風を経験せずに過ぎ去ったが、日本はそうではない。台風で家屋を飛ばされ、洪水で所帯道具をいけにえのように流されてから夏を出る。津波は村全体を飲み込んでしまったり、地震は家屋と家族を土の中に埋めたりもする。彼らの人生の横には災難がポスターのように貼られている。

草の葉っぱぐらい揺れる人生だ。生の中に魂を取っておくために必然的に依託する所を探さなければならなかっただろう。朝起きるとまず目を開いて山が見える。まず神として祀る。日本列島の人々は富士山を神と考える。大きな石と大きな木が自分たちの生より丈夫だから神として作って部屋の中に、馬と猫は消え入る土地の上から素早く生き残ったので庭に神としてたてる。独島の東島と西島は東海で存命の標柱としてそびえ立っている。日本のどこかで神と敬われているかも知れないのである。

神社を信じる日本の神道は万物に神が宿っているという汎神論から出発する。山川草木の生命力に対する崇拝心が信仰として確立したのである。これは精霊と祖先崇拝などで整えられ、仏教と道教の影響に細工される過程を経たりもした。天主教とキリスト教もその隙間をうかがっている。しかし、彼らの信教のほかに他の宗教が日本列島で栄えることを期待することは難しい。

仏様も日本の山を占領することはできなかった。日本人たちは山の上に寺を作らない。それは山の神を犯すことになるわけである。

筆者は対馬で教会を探そうと非常に努力を払った。そうするうちに厳原でとても小さくて古い礼拝堂を見つけ満足した。対馬のキリスト教徒数は報告されていない。

日本の神社に安置した神の数2,000のうち、その半分は韓半島と関連しているのである。実際、神社は韓半島から始まったのである。対馬には“新羅神社”がある。しかし、対馬市が作った案内パンフレットのどこにもそのような内容を探すことはできない。対馬市が韓国との縁脈を快く思わないことにその原因がある。しかし、歴史的真実を隠して消してないものとすることはできないだろう。真実は懐に入っている錐のように機会があるたびに外にその姿を突きだすものであるから。

日本の政治家らは何かというと神社に行って参拝する。日本語で政治は別の言葉で『祭事』と呼ばれる。だから日本の政治は神を迎えて奉ることになるのである。

日本の多岐にわたる神社のうち否が応でも島根県の出雲大社を最も古い神社としてあげることができるだろう。これは約2千年前、韓半島に由来した天神を祀った祠堂であった。

東京大学の久米邦武(1839~1931)教授は、『神社』がまさに韓半島の『蘇塗』と同じようなものとして『神道は祭天の古俗』という論文を発表した。空の天神を先祖神として奉ずることが日本の王室の信仰なのに、これは「古朝鮮の先祖神祭祀様式を日本が受け入れた」とした。久米教授は東京大学から追い出されてしまった。

日本の王室は毎年11月23日に新嘗祭を執り行う。韓半島の神に祭祀するのである。

また、内閣が変われば首相以下、全閣僚が神社を訪れて天照大神にお辞儀をする。伊勢神宮はそもそも韓半島の天神を祀る所であったので、韓半島の神に泣訴しているのだろう
。

神社の入り口には天の字の形の門をたてるが、これは鳥が休んでいくという『鳥居』である。我が国のソッテ(鳥竿)と似た概念を含んでおり、神聖な場所であることを示している。鳥居の入口の両側には2匹のコマイヌ(高麗犬)(狛犬)が向かい合っている。左側のやつは口を開けている。開始を意味している雄である。右側のやつは口を閉じている。終わりを意味する雌である。高句麗の慧慈僧侶が連れてきた犬を崇尚して作って立てることになったというエピソードの主人公だ。神社の建物は韓屋の八作屋根の側面を正面として作ったものが多い。そして我が国のクムチュル(禁縄)ように縄をかけておく。

鳥と犬と禁縄と八作屋根が日本列島に渡来し、神の隊列に上っている。今も日本の神々は生まれている。歴史の歪曲のように……。(機械翻訳 若干修正)


締めが「日本は歴史を歪曲している」とは・・・・・・

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