(朝日新聞 2016/01/29)
江戸時代に朝鮮王朝から日本に派遣された外交使節団、朝鮮通信使のユネスコ(国連教育科学文化機関)世界記憶遺産への登録をめざす日韓の関係者が29日、両国の史料計111件333点を「朝鮮通信使に関する記録 17~19世紀の日韓間の平和構築と文化交流の歴史」として申請することに長崎県対馬市で合意し、署名した。来年の登録を目標に3月、ユネスコ本部に共同申請する。
豊臣秀吉による出兵後、江戸幕府は朝鮮との国交を戦後9年で回復。対馬藩の外交努力もあり、1607年~1811年に12回、通信使が来日した。友好を確認する国書交換など外交だけでなく、各地で学問や文化の交流を繰り広げた。
申請史料は外交記録、旅程の記録、文化交流関係記録からなる。日本側は、対馬藩が国交回復実現のため改作したものも含めた「朝鮮国書」(京都大総合博物館、東京国立博物館所蔵)、「朝鮮国信使絵巻」(長崎県立対馬歴史民俗資料館所蔵)などの記録画、誠信の交流に力を注いだ対馬藩の儒学者・雨森芳洲の関連資料(芳洲会など所蔵)など48件209点。韓国側は各回の使行録(通信使の日記)や文化交流の中で作成された詩画など63件124点。
研究者らが日韓それぞれで学術委員会をつくり、2014年から検討と協議を重ね、資料の所蔵・管理者の同意を得て選定した。日本の学術委員長の仲尾宏・京都造形芸術大客員教授は「記録は長い間、平和体制の構築を目的に行われた外交的実践の結果物。平和的な共存と交流への模範的なテキストになる」と語った。
歴史認識をめぐる政治的な摩擦が絶えない中で、日韓が200年以上、平和を維持した歴史があることを世界に知ってもらおうと、対馬市、京都市、岐阜県大垣市、静岡市、栃木県日光市など、ゆかりの自治体も参加するNPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会(縁地連)と韓国の釜山文化財団が主体となり、12年から登録をめざしてきた。
29日は縁地連の松原一征理事長と財団の李文燮代表理事が申請書類に署名。松原さんは「日韓両国民の歴史認識が共有され、平和構築が前進することを期待したい」と話した。
記憶遺産の候補は1カ国2件の枠があり、日本ユネスコ国内委員会が審査で2件を選ぶが、2カ国以上が共同申請する場合はこれとは別に直接、申請できる。朝鮮通信使は、昨年秋の国内審査で選ばれた「上野三碑」「命のビザ」とともに17年の登録をめざす。
こういう記事↓を見ると、韓国の史観に沿った史料のみ登録されるんじゃないかという気がしますね。
(西日本新聞 2016/01/24)
(略)徳川将軍家の代替わりなどを祝おうと、通信使は計12回派遣された。うち相島に立ち寄ったのは11回。一行は「長崎・壱岐島-相島-山口・下関」の経路で航海しており「ちょうど中間の相島は絶好の休憩地」(篠崎さん)。数日間滞在し、幕府の命を受けた福岡藩が手厚くもてなした。
こうした史実は黒田家文書などで裏付けられた。だが、世界記憶遺産への申請資料の候補となったのは、数十冊の文書のうち15冊。日本側の推進母体である「朝鮮通信使縁地連絡協議会」(縁地連、事務局・対馬市)によると「特徴的な出来事の記述」を評価したという。それは-。
11回目の派遣となった1763年12月の深夜、荒波の中を到着した船群のうち、1隻が波止場近くで座礁。島に到着した際、通信使が激怒し、対馬藩が福岡藩との仲を取り持った。こうした事情などから、滞在日数は23日間と長期になったが、福岡藩が豪華な食事を振る舞うなど誠心誠意を尽くした-。(略)
日東壮遊歌―ハングルでつづる朝鮮通信使の記録 (東洋文庫)
金 仁謙

2010年04月09日
2012年07月20日
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