(ソウル新聞 韓国語 2016/02/09)
イ・チョンガク東洋大教養学部教授
明仁日王が最近、フィリピンを国賓訪問した。日王としては史上初の訪問である。フィリピンは太平洋戦争当時、アメリカと日本軍の間で激しい戦闘が行われた激戦場であった。1945年8月に日本が降参するまで、日本軍の死亡者は約52万人、フィリピンの犠牲者は罪のない市民など約111万人に達する。明仁日王は皇太子時代の1962年にフィリピンを訪問した際、マニラ市内の無名勇士の墓を訪れて参拝し、当時激しかったフィリピン人の反日感情を緩和させる決定的な契機を作ったと日本のマスコミは伝えている。
明仁日王は今回の訪問でも日本人戦没者慰霊碑に献花する前にまずフィリピンの犠牲者墓地を参拝した。彼は大統領の宮殿で開かれた歓迎晩餐でフィリピン人犠牲者に言及しながら、「私たち日本人が決して忘れてはならないこと」、「戦争を体験していない若い世代が戦争のことを忘れてはならない」(「戦争を~」の発言はないです)というなど原則的だが日本の戦争責任を強調した。
韓国で日王のフィリピン訪問のニュースはあまり重く扱われていないが、私たちとしては見落としてはいけない点がある。内閣責任制である日本では、政府を代表する首相が植民地支配と侵略戦争を謝罪しても、政権が変わったりすればこれを覆す閣僚などの妄言と靖国神社参拝のような行動が繰り返されて、過去の問題が正しく清算されていない。
日本の過去史に対する謝罪は首相より、むしろ日王(1945年の日本敗戦後日王は『象徴天皇』に格下げされたが)から受けることが私たちとしては、より大きな意味があると言える。しかも明仁日王は、過去の日本軍の統帥権者であり、大元帥として日本の侵略戦争を陣頭指揮した裕仁日王の息子である。
日本人死亡者約310万人を含む約2300万人の犠牲者を出した侵略戦争の頂点にあった裕仁日王は、韓国大統領が初めて公式訪日(チョン・ドゥファン(全斗煥)・1984年)した際に「今世紀の一時期において両国の間に不幸な歴史が存在した」という、加害者が誰なのかすら分からないあいまいな発言で終えた。
明仁日王も1990年に訪日したノ・テウ(盧泰愚)大統領に「痛惜の念を禁じえません」という辞書にもない有名作家が作った言葉で遺憾の意を表わしただけである。
明仁日王も1990年に訪日したノ・テウ(盧泰愚)大統領に「痛惜の念を禁じえません」という辞書にもない有名作家が作った言葉で遺憾の意を表わしただけである。
[※ジ・ミョンクワン(池明観 翰林大学校日本語学研究所所長 72~93年に日本在住)の「辞書にもない言葉で、日本の有名な作家井上靖が作り出した単語」(東亜日報 1998年10月08日付)によるものと思われます。
高麗王が書かせた『三国史記』(1145年)の百済本紀第三(25巻)の阿シン王(くさかんむりに辛)のくだりに「關彌城者 我北鄙之襟要也 今爲高句麗所有 此寡人之所痛惜 而卿之所宜用心而雪恥也」とある通り、『井上靖が作り出した』ということはありません。]日本の侵略で最も苦痛を受けた国は35年間の植民治下で苦しんだ韓国である。明仁日王はすでに日本の侵略戦争(満州事変、中日戦争)当事国である中国を訪問したし(1992年)、今回、最大の激戦地であったフィリピンも訪問した。もう残った国は韓国だけである。彼の‘最後の課題’は韓国訪問といえる。
パク・クネ(朴槿恵)大統領が任期中に日本を公式訪問して日王訪韓を丁重に要請し、明仁日王が答礼として訪韓することを期待している。
日王の訪韓が実現され、彼がフィリピンの無名勇士の墓を参拝したようにソウル市銅雀洞の国立墓地を訪れて抗日殉国烈士の墓地に参拝し、晩餐の席上で植民地支配に対してより進展した形態の謝罪発言をすることを期待している。
日王の訪韓が実現され、彼がフィリピンの無名勇士の墓を参拝したようにソウル市銅雀洞の国立墓地を訪れて抗日殉国烈士の墓地に参拝し、晩餐の席上で植民地支配に対してより進展した形態の謝罪発言をすることを期待している。
そこに日王夫妻が時間を割いて慰安婦被害おばあさんに会って謝罪して慰めるなら、両国間の過去の問題を関係者が問題解決する意味もあるだろう。
昨年、韓日修交50周年を迎えた韓日両国は、交易、文化、人的交流などでは括目相対(「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」のこと)に値するほどの進展を実現したが、過去の問題をめぐってはずっときしみをたてている。昨年末に両国政府が苦労して慰安婦問題に合意した後にも冷淡な反応である。日本では慰安婦動員に強制性はないという主張を国連に送るなど安倍政権発足後に悪化した韓日関係は容易に回復していない。
もちろん、日王の韓国訪問は当事者の意志と日本政府の立場を考慮して決定されるだろう。何より、明仁日王の訪韓は両国で雰囲気が成熟しなくては実現することは難しいだろう。
韓日間の過去の問題が両国関係の足を引っ張っているだけに、日王の訪韓は未来指向的な両国関係の構築に相当な助けになるものである。80代初めである明仁(1933年生まれ)日王の海外旅行が可能な時、訪韓が実現するように特に両国の指導者はもちろん、社会指導層がこうした雰囲気醸成のために先に立たなければならない。(機械翻訳 若干修正)
11年前のサイパンで↓ですから、行かれたいお気持ちはあるのかも知れませんが、“両国で雰囲気が成熟”することは当分なさそうですね。
皇室 Our Imperial Family 第69号 平成28年冬

11年前のサイパンで↓ですから、行かれたいお気持ちはあるのかも知れませんが、“両国で雰囲気が成熟”することは当分なさそうですね。
| 断がいに慰霊の祈り=韓国、沖縄の塔にも-両陛下、激戦の地サイパン (時事通信 2005/06/28) 戦没者慰霊のため、北マリアナ諸島のサイパン島(米自治領)を訪問した天皇、皇后両陛下は28日午前、島内の慰霊碑に供花。「バンザイクリフ」など、多くの日本兵や民間人が身を投げた断がいを訪ねられた。沖縄出身者の慰霊塔や、朝鮮半島出身の犠牲者を対象とした「太平洋韓国人追念平和塔」にもそれぞれ立ち寄り、車から降りて沿道から黙礼した。 戦後60年を機に実現した初の海外「慰霊の旅」で、両陛下は国籍を問わず全犠牲者を追悼。平和を祈念した。 沖縄と韓国の慰霊塔立ち寄りは発表された予定にはなかった。宮内庁幹部は「陛下の気持ちに基づき行われた。計画はあったが、いろいろな状況を考えリスクもあり、27日夜に最終決定された」と説明した。 |
皇室 Our Imperial Family 第69号 平成28年冬

