(聯合ニュース 韓国語 2016/02/10)

2016年から日本の中学校に配布される歴史教科書8種すべてに“独島は日本の領土”という表現が入ったことが分かった。

10日、学界によれば、キム・ヨンス北東アジア歴史財団研究委員は最近出した論文『韓国と日本の中学校歴史分野の教育過程と歴史教科書の独島関連内容比較』で、2015年に検定を通過した日本の中学校歴史教科書8種(社会 歴史的分野)を分析した。

2015年に検定を通過した教科書は今年から日本の一線中学校で使用することになる。

分析の結果、2011年には日本の中学校歴史教科書全体7種のうち1種にだけ独島関連の内容が具体的に入っていたが、2015年には歴史教科書8種すべてが独島関連の内容を扱った。

具体的な内容を見ると、日本は教科書で独島が『日本固有の領土』であり『韓国は独島を不法占拠している』と主張した。

例えば〈1905年、明治政府は国際法に従って『竹島』を島根県に編入し、日本固有の領土と再確認しました〉(帝国書院 246~247ページ)、

〈1954年から韓国は『竹島』に警備隊を駐留させました。竹島問題は1965年の日韓基本条約でも解決されず、現在もなお韓国による不法占拠が続いています〉(東京書籍 252ページ)などである。

日本が独島領有権問題を国際司法裁判所に提訴をしようとしたが韓国が応じなかったとか、2005年に島根県が『竹島の日』を制定するなど、日本は韓国に竹島の返還を継続的に要求しているという内容も含まれた。

先立って日本は、2014年に社会科『学習指導要領解説』で自国の立場を代弁する内容を大幅に補強し、各出版社は2015年に改正規定に合わせて教科書を発行、検定を通過した。

キム研究委員は「日本は中学校歴史教科書にナショナリズムを強調する独島教育を全面的に強調した。これは日本が独島を領土問題として提起する水準を越えて歴史問題として全面拡大させたということを意味する」と指摘した。

それと共に「今後、韓国の教科書は独島に関する国際法的な側面、論理的な側面を補強し、近現代に日本が北東アジアの歴史葛藤を誘導したという叙述を補強しなければならない」と提言した。

この論文は、嶺南大独島研究所が発行する学術誌『独島研究』の最新号に載せられた。(機械翻訳 若干修正)


中学校社会(歴史的分野)を出版した8社
・東京書籍 「新編 新しい社会 歴史」
・教育出版 「中学社会 歴史 未来をひらく」
・清水書院 「中学 歴史 日本の歴史と世界」
・帝国書院 「社会科 中学生の歴史 日本の歩みと世界の動き」
・日本文教出版 「文中学社会 歴史的分野」
・自由社 「新版 新しい歴史教科書」
・育鵬社 「[新編]新しい日本の歴史」
・学び舎 「ともに学ぶ人間の歴史」

↓は東京都教育委員会が公表している〈平成28年度~31年度使用 教科書調査研究資料(中学校)〉から竹島部分を抜粋。
〈東京書籍〉
【注】
 日本海の竹島は1905年に島根県に、編入されました。(p168)
【コラム】
 日本の領土をめぐる問題とその歴史 竹島では、江戸時代の初めから、幕府の許可を得た鳥取藩の町人が漁業を行い、あしか(海驢)やあわびをとっていました。1900年代に入ってあしか猟が本格化したことを受けて、日本政府は日露戦争中の1905(明治38)年1月に閣議決定を行い、竹島を島根県に編入し、2月22日に知事が告示しました。それ以降、竹島での漁業は島根県の許可制になり、第二次世界大戦によって1941(昭和16)年に中止されるまで続けられました。ところが戦後、韓国は、1952年にサンフランシスコ平和条約が発効する直前、当時の韓
国の大統領の名前から「李承晩ライン」と呼ばれる線を公海上に一方的に引き、その韓国側に竹島を取りこんで、領有権を主張しました。日本政府は厳重に抗議しましたが、1954年から韓国は竹島に警備隊を駐留させました。この竹島問題は1965年の日韓基本条約でも解決されず、現在もなお韓国による不法占拠が続いています。島根県は、2005(平成17)年に竹島の島根県への編入を告示した2月22日を「竹島の日」と定めるなど、返還を求める運動を続けており、日本政府も外交努力を行っています。(p252)
【写真】
 島根県の告示、明治時代の竹島、あしか猟の様子とあしか猟の許可証(p252)
【地図】
 国境の確定(p168上)(p252上)
〈教育出版〉
【コラム】
 竹島は、日本海に位置する東島や西島などからなる群島で、1905(明治38)年の閣議決定で「竹島」と命名され、島根県に編入された日本固有の領土です。しかし、韓国は、1954(昭和29)年から島に警備隊を常駐させて、不法な占拠を続けています。日本は、これに抗議するとともに、国際司法裁判所での話し合いによる解決を提案してきていますが、実現していません。(p257)
【写真】
 (上空からの航空写真)(p257)
【地図】
 日本の外交と領土の歩み(p165)
 日本全図で位置を示す。(p257)
【注】
 1895年には尖閣諸島を沖縄県に、閣議決定により編入しました。(p165)
〈清水書院〉
【本文】
 日清・日露戦争のころに尖閣諸島や竹島を日本領として編入した。(p178)
【地図】
 明治時代の日本と領土の確定(p178)
【注】
 竹島については、江戸時代からその存在が知られていたが、1905年、正式に日本の領土とし、島根県に編入した。(p178)
〈帝国書院〉
【本文】
 1905年には、竹島も現在の島根県に編入されました。(p167)
【コラム】
 竹島では、江戸時代初期には米子の町人たちによって漁猟が行われるようになっていました。1905年、明治政府は国際法に従って竹島を島根県に編入し、日本固有の領土と再確認しました。サンフランシスコ平和条約作成段階には、韓国が「日本が放棄する島に竹島を加えてほしい」と願い出ましたが、アメリカも「竹島が朝鮮の領土であったことはない」として拒否しています。しかし1952年、韓国は一方的に境界線を設定し、竹島は韓国領であると宣言して不法に占拠しました。日本は抗議し、国際司法裁判所への共同提訴をよびかけていますが、韓国はこれに応じていません。(p247)
【写真】
 小谷伊兵衛より差出候竹嶋之絵図 1696年、江戸幕府の求めに応じて鳥取藩から提出された絵図です。当時、竹島は松嶋とよばれ、現在の鬱陵島を竹嶋(磯竹嶋)とよんでいました。(p247)
 隠岐の人たちによる竹島でのあしか猟のようす(p247)
 島根県が発行したあしか猟の許可証(p247)
〈日本文教出版〉
【コラム】
 韓国・中国との国交正常化と現在の課題 両国(韓国・中国)と日本のあいだには、解決を求められている大きな問題があります。それは、中国が「尖閣諸島」の領有権を、韓国が「竹島」の領有権を主張しているという問題です。…竹島については、やや事情が異なります。日本政府は1905年に閣議決定を行って、竹島を島根県に編入し、正式に日本の領土としました。その後、1951年に結ばれたサンフランシスコ平和条約では、日本が放棄する領土の範囲に、竹島は含まれていませんでした。韓国は、これに竹島を加えるよう要望しましたが、アメリカはこれをしりぞけました。しかし、その後、韓国の李承晩大統領は「海洋主権宣言」を行って、水産物などに対して自国の主権を行使する範囲を示したいわゆる「李承晩ライン」を公海上に設定し、そのライン内に竹島を取りこみました。そして、1954年には警備隊を竹島に常駐させるとともに、宿舎や監視所、灯台、接岸施設などを設置しました。日本政府は、韓国のこのような一方的な行為にくり返し抗議を行いましたが、この問題の平和的手段による解決を図るため、同年、竹島の領有権問題を国際司法裁判所にかけることを韓国側に提案しました。しかし、韓国はこの提案を拒否し、現在にいたっています。(p265)
【地図】
 「明治初期の外交と国境の画定」の中に「竹島」(p176)
 「占領地の日本復帰と近隣諸国との関係」の中に「竹島」(p265)
【注】
 政府は、国際的な決まりに従って、尖閣諸島を1895年に沖縄県、竹島を1905年に島根県に編入して日本の領土としました。(p176)
〈自由社〉
【本文】
 竹島は日本固有の領土であるが、韓国は竹島を自国領と主張し、1953年から、武装警察官を常駐させて不当な占拠を続けている。(p273)
【注】
 竹島は江戸時代には鳥取藩の人が幕府の許可を得て漁業を行っていた。1905(明治38)年、国際法に従ってわが国の領土として島根県に編入し以降実効支配を行っていた。(p272)
〈育鵬社〉
【本文】
 わが国固有の領土である北方領土(北海道)と竹島(島根県)は、それぞれロシアと韓国に不法占拠されたままです。(p273)
【コラム】
 竹島:竹島は、遅くとも17世紀半ばにはわが国の領有権が確立していたと考えられます。わが国は1905(明治38)年に閣議決定によって島根県に編入し、領土にしましたが、第二次世界大戦後、韓国によって不法に占拠され、今もその状態が続いています。(p173)
【地図】
「近隣諸国との国境画定」の中に「竹島」(p173)
〈学び舎〉
【注】
 日本政府は、1905年1月、竹島を日本の領土(島根県)として編入することを、閣議で決定した。(p199)


ちなみに自由社と育鵬社は『社会・公民的分野』の教科書では、この数倍の記述量です。


2015年04月06日
2015年09月04日