〈物〉が語る歴史 第3部? 

(民団新聞 2006/09/27)

生活必需品のヨガン


劣悪な住宅事情に起因



 今年2月より在日韓人歴史資料館で研究員として働くこととなり、展示品一つひとつを丁寧に見て回った。写真でしか見たことのなかったもの、資料館で初めて目にしたものなどさまざまであったが、中でも目に付いたのはヨガンであった。



 館長は展示室にあるヨガンを指して「これ何か解る」と私に聞いたが、答えることはできなかった。お香を入れるもの、小物入れなど的外れな答えをした記憶があるが、館長の解説からそれがヨガン、つまりは「おまる」であることを知った。どうしてヨガンが家の中にあるのか、という問いに対し、解放前の朝鮮人の住宅事情が関係しているのだと答えてくださった。



 その後、資料館の来館者に対し、ヨガンを説明するたび、「え、おまるですか」と皆口をそろえて驚く。中学生や小学生は「おまる」自体を知らないということが多かった。それではなぜ、朝鮮人の住宅にヨガンがあったのだろうか。



 韓国併合を機に朝鮮総督府は、土地調査事業をはじめ朝鮮人から土地を奪った。土地を奪われた農民は、北部は中国東北地方と沿海州へ、南部は日本へ生活の糧を求めて故郷を離れざるを得なくなった。1930年代に入ると、日本への渡航制限が緩和され、このような朝鮮人がますます増えていった。



 渡航に際し朝鮮人は、日本での身元引受人が必要であったため、先に渡航していた親戚や知り合いを頼っていった。朝鮮人の多くは河川敷や埋立地、「不良住宅地区」にバラック小屋を建て、集住地区を形成した。ほかにも土地の所有が明確でないところ、湿地など住宅条件が悪いところ、飯場跡をそのまま使い、あるいは自力で家を建立した。



 集住地は全国に点在し、東京都内で例を挙げるならば、深川、芝浦、荒川、調布などであった。当資料館の展示室には多摩川べりでの砂利採取場のジオラマがあり、当時の様子そのままを再現している。



 朝鮮人集住地は下水・上水設備が整っておらず、共同便所も一つか二つしかなかったため、衛生的にも問題であった。そのような状況でヨガンはなくてはならない必需品であったのだ。小さなヨガンひとつが、当時の住宅事情を象徴しているといえる。(在日韓人歴史資料館研究員・崔誠姫)













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金慶子さん(埼玉)が寄贈した蓋つき金属製のヨガン




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鄭大聲さん(東京)の祖母が42年の来日時に持ってきた








































































>劣悪な住宅事情に起因

起因は『朝鮮人の劣悪な衛生意識』だと思います。

『気に入らない過去』はすべて“日帝”と“日本人の差別”のせいにするんですね。




 『ヨガン』を検索してみましたがドリンク剤の販売サイトしかなかったですがその中で『ヨガン』についての説明がありました。


覆盆子(フクボンシ)って何?

 覆盆子とは韓国産バラ科のクマイチゴ、およびトックリイチゴの果実のことです。

 「覆」という字は「ひっくりかえる」という意味です。

昔、トイレは母屋になく、別棟でした。用足しに行くのに冬は寒いし、夜は暗い。そこで韓国では、韓国語で尿罐(ヨガン)という簡易便器を母家に置いていました。男性がトックリイチゴを食べてヨガンで用足しをすると、小便の勢いが凄まじく、このヨガンがひっくり返ったというのです!「盆」は平たい互器の意味から、トックリイチゴは「覆盆子」と名づけられました。





で、これに対応する内容が『マンガ嫌日流』に載っていましたね。



(明治維新前後まで日本では路上に小便壷があった、と説明)

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実情はこれ↓


 日本の者が朝鮮に入り、朝鮮人家の間に雑居し、または朝鮮内地を旅行して朝鮮人の家に泊まると、一番に困るのは家の不潔であるのと、一種の臭気が吐き気を催すほどである
うえに、南京虫がやって来るので、実に快く眠ることができないからである。また小便壷はたいてい室の中に置いてあって、大人でも小児でも、客の前であろうが、誰が居っても構わず、、ジャ~と小便する、またその小便器を口の側に持って寄せて唾を吐き込む、彼らは久しい慣習で、別になんとも思わぬらしいが、日本人の目から見ればいかにも見苦しい、たまったものではない。これが田舎になると一層ヒドいのはいうまでもないが、しかし田舎のみではない、京城でも割合に不潔でないのは大路位のみで、少し折れて小路に入ると、その臭気は鼻をおおっていなくては通れない程で、塵や芥が道の上に散り乱れており、家々の便所から大小便は勝手に流れ出でつつある、そこらあたりを朝鮮の小児らは平気でガヤガヤと戯れ遊んでいる。

〈荒川五郎著 最近朝鮮事情 1906年〉







『嫌日流』では「通りにはあちこち小便壷が置かれていた」と説明される日本のトイレ事情はこちら↓。
住まいと暮らしの雑学探検隊

●江戸幕府が奨励したトイレづくり
 鎌倉時代より、肥料として注目されるようになった下肥(しもごえ)ですが、江戸時代に入ると、幕府レベルで“肥料確保のためのトイレ設置奨励”が行われたのです。(略)

 農家は下肥を無駄にしないために便所を母屋近くや家の隅々につくり、雨に濡れて薄まらないよう屋根などもつくれ、すなわち屋根付きトイレをつくれと幕府が指示しているのです。


●美しい街づくりに貢献した路傍便所の普及
 一方、大都市では路傍便所(共同公衆便所)が登場し、これを設置した者が農家に売り、その代金を収入として得ることが出来ました。(略)

 また、当時日本にやってきたある南蛮人の記録には、路傍の公衆便所に感嘆した、とあります。(略)

 こうして、公衆便所や長屋の共同便所、農家の外便所、武家屋敷や商家の便所というふうに、便所の設置は全国各地に広がり、その装飾も工夫するようになっていきます。



●上方 VS 江戸の便所比較

(略)長屋の共同便所は東西で大きく異なります。江戸の惣後架(そうごうか)(長屋の共同便所の呼び名)は、板葺きの粗末な屋根に、羽目板壁、開口部の扉は半戸(上半分が吹き抜け)。京阪の惣雪隠(そうせっちん)(長屋の共同便所の呼び名)は、瓦葺きの屋根に周囲は土壁、床は板張り、扉は開口部全体を覆う構造。(略)

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 ●モースが絶賛した日本のトイレ建築
 トイレビジネスが発達した江戸から、ついに明治時代へ。この時日本にやってきた学者E・モースは、当時の日本の住まいについてたくさんの記録を残しています。その中に「便所といえど日本家屋では芸術的感性ある職人がこれに注意を払っている」というトイレに関する記載もあり、町中と田舎の便所の例をあげています。







結局、在日が言いたいことは、

「日帝の圧政にも負けず、朝鮮の風習を日本でも守り通したニダ」って事ですか?




↓で戦後(?)、戦中(?)の朝鮮部落の一端が垣間見れます。

『フィオリーナの以心伝心』 恐怖の朝鮮バラックタコ足電線。

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在日の地図 ~大韓棄民国物語

在日の地図 ~大韓棄民国物語

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