(ヘラルド経済 韓国語 2018/08/13)
‐麻浦区少女像4回霧散…「観光客減少懸念」
‐大邱・光陽など住民葛藤…一部は敷地変わることも
‐「人権問題で接近…地域住民と十分に疎通を」
14日、今年初めて国の公式記念日と指定された『日本軍慰安婦被害者キリム日』(日本軍慰安婦被害者をたたえる日)を控え、全国では慰安婦平和の少女像設置の動きが活発だが、一部地域では少女像の設置をめぐって地域住民たち間で葛藤が絶えることなく続く。少女像を韓日外交だけの問題でなく、人権の問題として接近して地域住民間で十分に疎通をしなければならないという指摘が出ている。
13日、韓国挺身隊問題対策協議会(正義記憶連帯)によれば、現在までに全国に設置された少女像は合計102体だ。少女像は慰安婦被害者の名誉回復と歴史を正しく立て直すための意味を込めている。現在、ソウル市恩平区、全羅南道求礼郡、京畿道楊平郡など推進中の所だけで10か所だ。しかし、一部地域では少女像で地域市民の間の葛藤が発生し、設置が霧散する境遇になったりもした。
今年4月のソウル市麻浦区の事例は少女像設置が容易ではないということを示している。麻浦区の少女像は昨年1月に設置が推進されたが、少女像の敷地をめぐって住民たちの反対で4回も霧散した。
最初は日帝強占期当時、日本軍駐屯地(将校官舎)があったソウル市麻浦区上岩洞(日本国際学校)に設置される予定だったが、一部の住民反対で霧散した。また『弘大歩きたい通り』での設置計画も、一部商人が日本人観光客が減ると反対して止まった。麻浦区庁前は一部地域議員の反対に、弘益大学校正門のそばに設置する案は学校側の反対に、やはり霧散した。結局、麻浦区図書館前に設置することにした。
他の地域も同じだ。
全羅南道光陽市でも今年2月、少女像の設置をめぐる葛藤を経た。一部商人が「商圏活性化を阻害する」として反発した。結局、光陽平和の少女像建立推進委員会は緊急会議を開き、少女像の設置によって地域商圏が低迷した場合、移転を検討することでやっと合意した。
昨年、大邱市の東城路に設置される予定だった少女像は、商人会の反対で大邱2・28公園に場所を移した。
昨年、大邱市の東城路に設置される予定だった少女像は、商人会の反対で大邱2・28公園に場所を移した。
少女像設置葛藤の最も大きな理由は経済的な問題であることが分かった。
少女像が設置されると歴史的空間と映り、商圏が萎縮し、観光客が減るなど副作用が発生するということだ。一部では教育的問題も議論された。一部の学校では少女像について子供に性暴行事件をなぜ教えるのかと反対したという。
これに対して専門家らは、少女像を韓日関係でなく人権の問題として眺めるならば、このような葛藤を減らすことができるだろうと助言した。オ・ソンヒ正義記憶財団事務局長は「朝鮮が日本の植民地だったという特殊性があったりするが、慰安婦問題は韓国と日本だけの問題ではない」とし「慰安婦問題は女性の人権問題として眺めなければならない。それなのに過去パク・クネ(朴槿恵)政府の時、慰安婦を解決しなければ日本と外交をしないというなど、外交問題のみで映し出させるようにする誤りを犯した」と指摘した。
少女像を競争的に設置して、地域間の疎通が円滑でなかった問題も指摘された。オ事務局長は「地域で少女像の設置に対する十分な共感が作られ、段階的に議論を経れば葛藤が減らすことが出来る」と話した。(機械翻訳 若干修正)
少女像を競争的に設置して、地域間の疎通が円滑でなかった問題も指摘された。オ事務局長は「地域で少女像の設置に対する十分な共感が作られ、段階的に議論を経れば葛藤が減らすことが出来る」と話した。(機械翻訳 若干修正)
(ヘラルド経済 韓国語 2018/08/13)
‐慰安婦247人追慕…光復節控えて子供たち訪問
‐おばあさんの胸が痛い話に涙ぐむことも
‐市民「アクセシビリティ高めて広報して、さらに多く知らせられたら」
「日本軍に連行されて苦痛を受けた人達に私たちは何をしなければならないでしょうか?」
去る12日午後、ソウル市中区の南山に位置した『記憶の場』に子供たちの声が響いた。歴史探訪のためにここを訪れた約20人の子供たちは、慰安婦について説明する講師の話に静かに耳を傾けた。講師が今後このような悲劇を防ぐためには何をしなければならないのかと聞くと、「慰めて記憶しなければならない」と力強く叫んだ。

▲ソウル市中区の記憶の場に学生たちが立てて行った太極旗。太極旗には慰安婦おばあさんを慰める手紙が書かれてあった。
去る2016年8月29日の『庚戌国恥日』(大韓帝国が日帝に国権を完全に奪われた日)に開園した記憶の場は、慰安婦被害者を賛えるための追慕公園だ。小学生から慰安婦おばあさんまで市民1万9755人が3億5000万ウォンを募金して作られた。
36度を越える猛暑にもかかわらず、これらは慰安婦被害おばあさんを記憶するためにここを訪れた。釜山のある歴史探訪サークルから来たシム・カヒョン氏(12)は「日本は利己的な欲望で我が国の女子児童を思いのままに引っ張っていって性暴行した。新聞で見ると日本は申し訳ないとも述べず、単に『遺憾だ』と言うが、すごく悲しいこと」としながら「二度と戦争が起きてはいけない」と涙を浮かべた。

▲去る11日午後、記憶の場で『日本軍慰安婦記憶の場文化解説プログラム』に参加している人達の姿。

▲釜山歴史探訪サークルでもここを訪れた。
記憶の場の入口には『大地の目』という追慕空間がある。歴史の真実を読もうとするなら大地の大きな目を開かなければならないという意味であるここには、慰安婦被害おばあさん247人の名前と証言が時期別に刻まれている。
〈私の年が十二歳。姉さんとナムルを摘んでいると帽子をかぶった人達が車に乗れと言った。二人が抱きあって抵抗すると足で蹴とばし、姉さんの髪の毛を握って車に乗せた。台湾で別の車に乗せられて姉さんと別れて、今は生死も分からない。〉大地の目の壁に刻まれたシム・タリョンおばあさんの証言だ。
被害おばあさんの胸が痛い話に接した子供たちは悩む苦しんだ心を隠すことができなかった。イ・ジヘ氏(12)は「日本人たちはわが国が戦争のために大わらわな時にこんなに卑劣な事をした。午前には西大門刑務所に行って来たが、とても悲しくて衝撃を受けて足から力が抜けて目がくらむようだった」としながら「おばあさんは私の年にこんなことを経験した。どれくらい大変だったかも気に病む」と話した。
ソウル市で運営している『日本軍慰安婦記憶の場文化解説プログラム』に参加する人達もいた。昨年6月から実施している文化解説プログラムは、日帝時代の慰安婦問題などを説明する解説と希望の石塔積み、少女像づくりなどで構成されている。この日のプログラムに参加したホ某氏(14)は「光復節を控えて慰安婦について知らないことが多いため、歴史の勉強もすることを兼ねてここを訪れた」としながら「慰安婦について記憶できる空間があるというのが意味あるようだ」とした。
しかし、一部では記憶の場のアクセシビリティが低くて訪ねにくいという訴えも出ている。ある保護者は「忠武路駅からしばらく歩いてきたが、ちゃんとした表示板もなくて苦労した」としながら「南山梨泰院側からもここを訪れる人達がいるはずだが、ポスターや看板を増やしてここを訪れる人達がさらに多くなったら良いだろう」と話した。
実際、近隣住民たちによれば、平日には訪問客が著しく少ない。キム某氏(45)は「夕方にはホームレスが座っていて昼間には人があまり訪れない。近所に住みながらも、ここが意味ある場所というもことを最近知った」とした。
慰安婦おばあさんを記憶する場なら、記憶に残るほどの見どころがより豊かになったら良いという残念な声も出てきた。保護者ペ某氏(42)は「記念碑と銅像いくつかを見て回るのに数分もかからなかった」としながら「子供たちだけでなく、大人にも人文学的素養を育てるほどのコンテンツがあったら良いだろう」と明らかにした。(機械翻訳 若干修正)

昔の朝鮮女は身を粉にして国家の為に体を売り、今の朝鮮人は誹謗中傷で
金を強請って国家を支えた国民の象徴として。