(済州新報 韓国語 2018/08/22)
ムン・ギョンス(文京洙)立命館大学 国際関係学部 特任教授
韓国も日本も災難級の猛暑に包まれた夏がいよいよ終わろうとしている。夏は日本では祈祷の季節でもある。8月6日には広島、9日には長崎で原爆犠牲者慰霊のための記念式典が開かれる。韓国では光復節祝賀の雰囲気に満ちる15日は、日本では“終戦”の日で『全国戦没者追悼式』が天皇や総理が出席する中で開かれる。
惨憺たる戦争の記憶を刻む15日の追悼式で、安倍総理は今年も侵略戦争や植民地支配の加害責任に対する言及をしなかった。1993年の細川総理を皮切りに、歴代の日本総理は15日に開かれる追悼式で加害責任に言及して「深い反省」や「哀悼の意」を明らかにした。だが、安倍総理は2013年に2度目の総理就任から6年間、一度も加害責任に対して言及していない。一方、天皇は「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」という表現を新たに付け加え、過去の過ちに対する「深い反省」(戦後70年の平成27年から加える)を再度表明した。
昨年8月、天皇は生前退位の意を抱いたメッセージを日本国民の前に明らかにした。これを受け入れて退位のための特例法が去る6月に制定され、来年4月には現天皇は退位し、その席を皇太子が受け継ぐことになる。1989年に裕仁前天皇が亡くなって始まった平成時代が終わり、来年からは新しい年号(年)が日本人たちの時間を刻むことになる。
天皇の退位は、江戸後期に119代光格天皇(1771~1840)以来、約200年ぶりという。日本敗戦直後の連合国占領期に、戦犯責任をマッカーサーによって免責を受けた裕仁前天皇は、退位さえせず、戦後病死するまでその地位にとどまった。
このように生前退位の決断というのは、歴史的に見ても極めて異例なことであり、そこには安倍政権に象徴される歴史修正主義の胎動、言い換えれば「戦後民主主義の破壊・空洞化に対する危機感(白井聡『論 菊と星旗』[国体論 菊と星条旗])」が反映されているという。
多くの韓国人は、日本天皇制がアジア侵略の温床で、敗戦とともに廃止されて当然のものと考えており、筆者もそのように考える。しかし、敗戦にもかかわらず、アメリカの東アジア戦略の枠組み中で、国民統合の象徴として天皇制は命脈を維持した。
現天皇は、新しい憲法に刻まれた天皇の象徴としての役割を広く理解して、戦後、民主主義や平和主義の象徴として国内外の戦争遺跡や災害地の歴訪を着実に続けてきた。このような天皇が“象徴”としての公務を“高齢と健康上の理由”で遂行できなくなった以上、退位は当然の帰結である。
だが、生前退位をめぐって水面下では、天皇というのは単に存在だけすれば良く、その公務は典範礼儀(典範儀)(皇室典範)で限定しなければならないという右派御用学者との葛藤まで生じたという。
侵略戦争の反省もなしく、自衛隊の海外派兵に道を開き、憲法改悪まで試みる安倍政権は、天皇が守護してきた平和主義と反する存在でしかない。現天皇が天皇として最後の『全国戦没者追悼式』であえて「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」という一節を加えたのも、安倍に対する警鐘とも見ることができる。他方、これは日本の戦後の平和主義が重大な岐路に立たされていることを示すことでもある。(機械翻訳 若干修正)

立命館に限らず、日本の大学に大量に巣食っている在日教授共はなんなんだ。
寄生虫は駆除すべし。