(デイリーアン 韓国語 2019/06/28)
・日本、秀吉が暮らした大阪城を背景にG20記念撮影
・韓国の反発予想にもかかわらず晩餐-記念撮影場所に選ぶ
日本は28日、主要20か国(G20)首脳会議の記念撮影の背景に『大阪城』を選んだ。大阪城は壬辰倭乱[文禄・慶長の役]を起こした豊臣秀吉が住居として使った所だ。韓国政府の反発が予想されたが、ここで晩餐行事とともに記念撮影が行われた。

▲G20首脳会議への参加のために日本を訪問中のムン・ジェイン大統領とキム・ジョンスク女史が28日午後、大阪迎賓館で開かれたG20首脳晩餐で記念撮影をしている。後に大阪城が見える。(c)青瓦台[大統領府]
ムン・ジェイン(文在寅)大統領はこの日、キム・ジョンスク(金正淑)女史とともに前列右側で撮影した。壬辰倭乱で苦痛を受けた歴史的問題と絡んでいるだけに、ムン大統領が“大阪城背景”記念撮影に応じないだろうという見通しも出たりもしていた。
大阪城は、1583年から1589年の間に秀吉が権力を誇示するために建てた城だ。秀吉は1592年、朝鮮に倭兵を派兵して壬辰倭乱を起こした。以後、復元を繰り返したが、ムン大統領の立場では“侵略者が築いた城”を背景に記念撮影をしたわけだ。
◇ノ政府時は日程拒否して反発したが...大阪城にこだわった日本
当初、朝日新聞など日本メディアでも、韓国政府の反発が予想されるとし、記念撮影の場所が他に調整される可能性もあると伝えた。過去、日本で行われた韓日首脳会談で、場所問題をめぐって対立した前例があったためだ。
2004年12月、鹿児島県指宿市で韓日首脳会談が行われた際、ここが『征韓論』を主張した西郷隆盛の縁故地という理由で、ノ・ムヒョン(盧武鉉)政府は問題提起をした。首脳会談は予定通りに鹿児島で行われたが、当時、ノ・ムヒョン大統領が日本伝統服の浴衣を着ることを拒否し、一部の首脳間の日程が実現しなかった。
一方、ムン大統領はこの日午前、『インテックス大阪』で行われた公式歓迎式で、安倍晋三総理と短い握手を交わした後、別れた。韓日首脳間の公式会談は実現せず、会議中にしばらく席を移して対話する略式会談もなかった。これに対し“1965年の国交正常化以来最悪”という評価を受ける韓日関係の一断面という指摘が出ている。(機械翻訳 若干修正)
大阪迎賓館:平成7(1995)年のアジア太平洋経済協力会議(APEC)に合わせ、国内外の賓客をもてなすために建てられた。世界遺産の二条城(京都市中京区)の二の丸御殿にある白書院(しろしょいん)をモデルに設計され、伝統的な日本の建築技術が随所に織り込まれているのが特徴だ。(産経新聞)


2019年05月24日
大阪迎賓館:平成7(1995)年のアジア太平洋経済協力会議(APEC)に合わせ、国内外の賓客をもてなすために建てられた。世界遺産の二条城(京都市中京区)の二の丸御殿にある白書院(しろしょいん)をモデルに設計され、伝統的な日本の建築技術が随所に織り込まれているのが特徴だ。(産経新聞)


大阪城(ウィキペディア) 復興天守 1931年(昭和6年)11月7日竣工。(略) 建物は、徳川大坂城の天守台石垣に新たに鉄筋鉄骨コンクリートで基礎を固めた上に、鉄骨鉄筋コンクリート構造を吊り下げ工法を用いて建てた。高さは54.8メートル(天守台・鯱を含む)。5層8階(入口のある1階部分は地下)からなっており、復興天守の中は博物館「大阪城天守閣」となっている。 外観は『大坂夏の陣図屏風』を基に、大阪市土木局建築課の古川重春が設計、意匠は天沼俊一、構造は波江悌夫と片岡安、施工は大林組が担当した。(略) 大坂城の天守は、豊臣大坂城と徳川大坂城のそれぞれで建っていた場所や外観が異なるが、復興天守閣では初層から4層までは徳川時代風の白漆喰壁とした一方、5層目は豊臣時代風に黒漆に金箔で虎や鶴(絵図では白鷺)の絵を描いている。この折衷に対しては諸々の議論があり、豊臣時代もしくは徳川時代どちらかの形式に統一すべきとの意見もある。(略) |

朝鮮人は少しくらい歴史を勉強した方がいい。
秀吉が築城した大坂城天守は大坂夏の陣で焼失し、現大阪城は朝鮮人の大好きな徳川が建立した城を復元したものだから、モノが違うよ。
それから秀吉が朝鮮出兵したのは明征服の野望のためで、高麗に対して「道を案内せよ」と要求したところ、明の属国高麗がそれを拒否して戦闘になったのだ。千年属国の朝鮮ではやむを得なかったんだろうけどな。
specificasia
が
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