(韓国日報 韓国語 2009/04/20)
日本東京の新宿は韓国人観光客が東京を観光する際には省けないコースの中の一つだ。東京都心全体はもちろん、運が良ければ富士山まで無料で見られる都庁展望台があるうえに、東京最大の歓楽街歌舞伎町とヨドバシカメラなど電子製品量販店および有名デパートが密集しているためだ。
大久保一帯の名物はつつじ
新宿は元々韓国人学校があり、東京駐在員がたくさん居住した地域だ。それでソウルオリンピック以後、海外旅行制限が解けて日本行を選んだ若者たちが相対的に定着しやすいところだった。新宿の新大久保駅と近くの大久保駅を中心に一つ二つできたコリアンスーパーマーケットと食堂は、2001年の新大久保駅で酒に酔った日本人を助けようとして電車に轢かれて亡くなったスヨン氏事件と、2002年の韓日ワールドカップに続く韓流ブームが大きい刺激剤になって爆発的に増えた。今はこの一帯が事実上東京最大のコリアンタウンと同然だ。
行政区域で新宿区百人町に該当するこの地域と韓国の縁が数百年に遡るということを最近ある日本人の知人から聞いた。 百人町という名前は江戸時代にその付近に100人の幕府精鋭小銃部隊があったことに由来したものと彼は聞かせてくれた。当時、徳川幕府の護衛兵に抜擢された三重伊賀の忍者らがこの一帯に居住したという。
伊賀の忍者らがつつじを植えて、この地域は江戸から20世紀始めまでつつじの名所でもあった。これを記念して新宿区は1972年につつじを区花に制定したし、今でも毎年4月末『大久保つつじ祭り』が開かれている。
伊賀の忍者らがなぜつつじを植えたのだろうか。文献によれば日本につつじが広がり始めたのは9世紀に入る平安時代という。知人はこのつつじが韓半島移住民を通じて入ってきたと信じていた。伊賀の忍者らは韓半島移住民の子孫なので故郷を思い描いて他郷の東京につつじを植えたというのだ。
実際に伊賀で忍者の指導者を排出してきた服部家は、新羅からの移住民の秦氏の家系と知られている。伊賀地域には韓半島からの移住民が多かったし、伊賀焼というこの地域の伝統陶磁器や酒造技術なども共に伝来したものだという。
1990年代中盤に復活して、忍者の祭りとして有名になった伊賀市の敢国神社の『黒党祭』という祭事は、服部家の一族の祭事だ。この祭事で迎える3大神のうち少彦名命は移住民の秦氏が迎えた神様で、金山媛命は冶金技術と関連が深い神様だ。鉄や冶金術が伽耶を中心に日本に伝えられたことはよく知られている。
三重出身の忍者らがすでに数百年前に大久保駅近隣にコリアンタウンを作っていたという話だ。
新宿を韓国文化発信地に
新大久保・大久保一帯で300店舗余りを運営する韓国人らが22日、『新宿韓国人発展委員会』という親睦団体をスタートさせる。地方自治体や現地日本人たちと協力しながら韓国人通りを作っていく活動の出発だ。当初はコリアタウンの看板をかける心積もりだったが、住民たちから「周辺の清掃からちゃんとしなさい」という苦言を受け入れたという。
伊賀の忍者らがつつじを名物として残したように、大久保韓国人通りが日本人の胸に良い韓国のイメージを植える発信地になることを期待する。キム・ポムス東京特派員(機械翻訳 若干修正)
「これで“忍者の起源”と“新宿コリアンタウンの正統性”がわかったニカ?」
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服部氏 出自 (Wikipedia)
伊賀国阿拝郡服部郷(三重県伊賀市)が発祥地とされ、小宮神社の神主と伝わる(『延喜式』・『伊賀考』等々)。 服部氏の系譜は諸説があり、『平家物語』によると桓武平氏流とされ、その一族なる服部六郎時定(服部家長と同人物?)なるものが、源氏方の伊豆右衛門少尉有綱を討ち取ったとされる記述がある。 ただし、上記の平家の系統とするのは仮冒であり、実際は楠木氏(伊予橘氏)、あるいは秦氏の末流とされる(秦氏説については『三国地誌』・『永閑記』によると「服部氏を秦氏の裔とするは、非なり」と記されている)。 しかしながら、服部氏の系譜はいずれも確証が明確ではないので信憑性に乏しい。おそらく、伊賀地方の土豪(神官も兼務とされる)の出であると思われる。 |
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