明成皇后殺害事件、日本のテレビ局が取り上げる

(朝鮮日報 2009/08/24)   




テレ朝の人気ニュース番組、24日に特集を放送へ



 1895年に起きた明成皇后(日本での呼称:びんぴ)殺害事件の全ぼうや、実行犯たちの子孫が110年ぶりに韓国を訪れ謝罪する場面を盛り込んだ特集が、24日夜10時からのテレビ朝日のニュース番組で放送される。



 日本の地上波テレビ局のニュース番組のうち、最も高い視聴率(20%)を誇るテレビ朝日の『報道ステーション』は24日、明成皇后殺害事件に関する14分間の特集を放送する。今回の特集は、韓国を代表するドキュメンタリー演出家であり、韓中日3国放送プロデューサー・フォーラムの常任組織委員長を務めるチョン・スウン監督が、2005年に制作したドキュメンタリー『110年ぶりの追跡 明成皇后殺害事件』を基にしている。テレビ朝日の関係者は「日本人があまりよく知らない歴史的事実という観点から、特集番組を放送することを決めた」と説明している。



 明成皇后殺害事件は、日本ではほとんど知られていない「恥ずべき歴史」だ。チョン監督のドキュメンタリーは、朝鮮駐在の日本公使だった三浦梧楼が、48人の刺客を動員し、景福宮に乱入して明成皇后を暗殺したという歴史的事実のみならず、実行犯の一人である国友重章の孫に当たる河野龍巳さん(88)、家入嘉吉の孫の嫁に当たる家入恵子さん(76)などが初めて韓国を訪れ謝罪したことにも触れている。



 テレビ朝日のニュース番組は05年以降、毎年韓国を訪れ、しょく罪を続ける子孫たちの姿を取材している。



 チョン監督は、テレビ朝日が明成皇后殺害事件を取り上げることについて、「韓流ブームなどで韓国に対する日本人の関心が高まる中、両国の歴史に埋もれた真実について知ってもらおうという趣旨によるものだ」と語った。なお、この特集番組は当初、日本の終戦記念日に当たる今月15日の前に放送される予定だったが、水害などの災害が相次いだため、放送が延期されていた。



 「韓日文化交流会議」の委員長を務めるタングク大の金容雲(キム・ヨンウン)碩座(せきざ)教授(寄付金によって研究活動が行えるよう大学の指定を受けた教授)は、「日本のテレビ局は最近、過去の植民地支配や帝国主義に対する反省を盛り込んだ番組を放送しているが、これほどまでに直接的な内容を扱ったことはなかった。日本の歴史上では存在しなかった出来事のような扱いを受けている明成皇后殺害事件について正面から取り上げ、当時の実行犯の子孫たちが韓国を訪れ謝罪する場面を放送することにより、相当な反響を呼ぶだろう」と話す。なお、テレビ朝日は近日中に、ドキュメンタリー番組『テレメンタリー2009』で、明成皇后殺害事件を取り上げた30分間の特集を放送することも決めている。また、チョン監督は来年春、2時間に再編集したドキュメンタリー映画を、日本全国を巡回して上映する計画も発表した。







初訪韓時↓。









明成皇后殺人犯の子孫が謝罪 (中央日報 2005/05/10)

 

「もっと早い時期に来るべきでした。 殺害事件について心からお詫びしたい」。明成皇后(ミョンソンファンフ)殺人犯の子孫らが、高宗(コジョン)皇帝と明成皇后(ミョンソンファンフ)が埋められた京畿道南楊州(キョンギド・ナムヤンジュ)の洪陵(ホンルン)を訪れて謝罪した。 殺害事件から110年ぶりとなる。


  10日午前に洪陵を訪れたのは、1895年に明成皇后を殺害(乙未事変)した国友重章の孫・河野龍巳氏(84)、家入嘉吉の孫の妻・家入恵子氏(77)と、「明成皇后を考える会」会員の日本人10人。 2人の子孫は墓に向かって3度、礼をした。



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  2人は、明成皇后殺害事件のドキュメンタリーを制作しているチョン・スウン・プロデューサーの招請で、9日に入国した。 河野氏は「家族にしか知らせてこなかったが、日本に帰れば多くの人に、ここで見て感じたことを話すつもり」と語った。



  河野氏らは、ちょうど英親王の忌日を迎えて洪陵近隣の墓地を訪れた明成皇后のひ孫イ・チュンキル氏(67、米国居住)と偶然、出くわした。 河野氏と家入氏から謝罪の言葉を受けたイ氏は「謝罪を受ける、受けないは、自分がすることではない」とし、「政府レベルの謝罪がなければならない」と語った。



 河野氏は「日本の皇室が謝罪しなければならない」と答えた。



  昨年7月に熊本県の教師30人余を中心に「明成皇后を考える会」を設立した甲斐利雄氏(76)は、「10年前の100周忌に参拝したかったが、自分と同じ考えの人はいなかった」とし、「今回を逃せば、次の機会はないと思った」と話した。



  彼らを招請したチョン・スウン・プロデューサーは「殺人犯らは、これまで伝えられてきたのとは違い、エリートだった」とし、「殺人犯47人には、日本人が韓国に設立した漢城新報社の職員20人が含まれていたという事実を確認した」と主張した。 河野氏らは11日午前に景福宮(キョンボックン)を訪問した後、12日に出国する。













乙未事変 事件の首謀者 (Wikipedia)


実際の暗殺の真の首謀者、実行者は誰であったかについては、日韓外交資料、梅泉野録、アジア歴史資料センターによる公文書、ロシア参謀本部中佐の「朝鮮旅行記」による記述の検討がなされているが、真相はいまだに明確ではない。



首謀に関しては、国立国会図書館憲政資料室 憲政史編纂会収集文書の整理番号 546 「朝鮮王妃事件関係資料」によれば、当時の日本政府による計画的な策謀でないことは判明している。加えて 殺害の実行犯に関しても様々な説はあるが、統監府文章に収録されている該当年の往電第31号によると、殺害現場にいた純宗の言で『乙未事件ニ際シ、現ニ朕ガ目撃セシ国母ノ仇、禹範善』となっているだけでなく、『禹ハ旧年王妃ヲ弑セシハ自己ナリトノ意ヲ漏セリ』と自ら犯人であることを漏らしている。この禹範善は、純宗が放った刺客、高永根と魯允明によって広島県呉市において1903年(明治36年)11月24日暗殺された。これに関して1907年2月4日、広島控訴院で高永根に無期、魯允明に12年の刑が言い渡され、判決が確定している。



なお、2005年、ロシア科学大学の教授が、偶然、Aleksey Seredin-Sabatin (Алексей Середин-Cабатин) というロシア人による事件についての報告書を発見した。Seredin-Sabatin は大韓帝国政府に仕えており、同様に契約によって大韓帝国政府に仕えていたアメリカ人将軍のWilliam McEntyre Dyeの指揮下で働いていた。 なお、この記録は韓国においては2005年5月11日付に公開されたが、それに先立ち、米国コロンビア大学において1995年10月6日付でその翻訳が公開されている。



Seredin-Sabatinは以下のように記録している:

「王妃の居住する王宮の一角には、おおよそ20人から25人程度の日本人が詰め掛けていた。彼らは奇妙なガウンを羽織っており、サーベルで武装していた。そのうち何人かはサーベルを鞘から抜いていた。…複数の日本人兵士が宮殿のあちこちを捜索し、他の者は女王の居住区域になだれ込み、その場で見つけた女たちに襲い掛かっていた。…私は…日本人が王妃の居住区域で物をひっくり返したりしているのを観察し続けた。二人の日本人が女官たちの一人つかんで建物から引きずり出し、そして彼女を引っ張って階段を駆け下りた…また、日本人のうち一人は、私に向かって、英語で『王妃はどこだ? 答えろ!』と繰り返し聞いてきた。…私が謁見の間を通り過ぎたとき、私はその場所が日本人兵士と将校、そして韓国人の高級官僚の協力によって包囲されていることが分かった。しかし、その中で何が行われていたのかは、私には知る由も無かった。」









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