(朝日新聞 2020/05/17)
韓国で、元慰安婦を支援する市民団体「正義記憶連帯(正義連)」による寄付金の不正流用疑惑などが相次いで報じられました。団体の前理事長は4月の総選挙で文在寅(ムン・ジェイン)政権を支える革新系与党から立候補して当選しており、保守系勢力が批判を強めるなど、政界を巻き込む騒動にも発展しています。渦中にある正義連とは、どのような団体で、騒動の背景には何があるのでしょうか。また、日韓関係への影響はあるのでしょうか。神戸大学大学院の木村幹教授(朝鮮半島地域研究)に聞きました。
――正義連はどのような活動をする団体ですか。
正式名称は「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」。元慰安婦を支援する財団法人です。ソウルの日本大使館周辺で日本政府に抗議するために、毎週の「水曜集会」を元慰安婦や活動に賛同する大学生らとともに催しているほか、生存する元慰安婦の福祉支援、家族への奨学金支給、被害の調査研究などをしています。重要なのは、正義連はあくまで「支援団体」で、元慰安婦自らがつくっている団体ではないということです。その点は、本人や遺族が主体になっている元徴用工問題などの団体とは違います。
――設立の経緯は。
1990年に発足した女性問題運動団体「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会(挺対協)」が前身です。挺対協は2015年の日韓慰安婦合意に対抗し、16年に寄付金を募るために「正義記憶財団」の設立を主導しました。この正義記憶財団が挺対協と統合し、18年に正義連となりました。ただ、基本的には挺対協がそのまま正義連に移行したと考えていいと思います。
――どのような人たちで構成されていますか。
女性問題の運動家が中心です。団体の定款によれば、理事会を構成する理事はいますが、会員は存在しません。ホームページなどでは「後援会員」が募集されていますが、基本的には少数の理事によって運営されているとみなしてよいと思います。韓国社会で大きな影響力を持ちますが、構成員は比較的少人数だというのが特徴です。
――元慰安婦が団体のメンバーでない理由は。
元慰安婦ら当事者を含まない団体の構造は、問題の性格上、当事者が声を上げにくい状況の中から生まれた過渡的なものだったと思います。その状況が固定化され、現在に至っています。正義連が当事者で構成されているわけではないため、すべての元慰安婦がその活動に賛意を示しているわけではありません。これまでも正義連や挺対協の活動に否定的な発言をしてきた元慰安婦の方はたくさんいましたし、正義連の活動に協力して顔を出す元慰安婦の数も限られていました。そもそも多くの元慰安婦は極めて高齢ですし、元慰安婦であると公表することを忌避する人も多くいます。ただ、今回の批判のきっかけとなった李容洙(イ・ヨンス)さんは自らの名前と顔を出し、正義連の活動に最も積極的に協力してきた一人でした。
――正義連は元慰安婦問題でどのような役割を果たしてきたのでしょうか。
韓国と国際社会に元慰安婦問題を大きく知らしめ、さらにはこの問題が植民地支配に関わる問題である以前に「女性に対する問題」であることを知らしめました。これにより、国内外で元慰安婦問題の位置づけが大きく変わりました。正義連は決して多くの人で構成されている団体ではないし、卓越した資金力を持っているわけでもありません。ただ、巧みな発信力と、女性問題で運動する人々の国際的なネットワークを使うことで、影響力を発揮したのです。
元慰安婦問題は本来、慰安婦になった経緯や慰安所の状況など、個々人で事情が大きく異なりますが、正義連は元慰安婦が持つ多様な経験の中から「女性の人権」に絞った観点をあぶりだし、「元慰安婦問題とはこういう問題だ」という共通認識をつくる役割を果たしたといえます。ただ、元慰安婦たちの像を単純化させたことで、その共通認識に合う特定の元慰安婦にだけ光が当たり、例えば日本人慰安婦など、ほかの人には光が当たらないという結果を生み出した側面もあります。
――今回の騒動で、主要な活動の一つである「水曜集会」も注目されました。そもそも水曜集会とは?
毎週1回、かつて在韓国日本大使館があった場所の正面の「少女像」を囲んで行われる、慰安婦問題での日本の責任を追及するデモです。1回目は92年1月8日。元慰安婦の金学順(キム・ハクスン)さんが挺対協の支援で初めて実名で記者会見した半年後で、金さんら3人の元慰安婦らを含む人々が日本政府を相手に裁判を起こした翌月でした。92年1月には当時の宮沢喜一首相の韓国訪問が予定されており、韓国社会に慰安婦問題をアピールするのが狙いでした。韓国メディアは1回目の参加者は30人あまりだったと報じています。
日韓でよく知られるこの集会ですが、普段の参加者はそんなに多くはありません。数人の元慰安婦を囲む形で、団体の関係者や大学生らが参加し、数十~数百人程度の規模で行われます。ただ、8月14日の「慰安婦の日」など節目の日の前後には、1千人以上の規模にまで膨れ上がることもあります。
――韓国にはほかにも元慰安婦の支援団体がありますね。
たとえば、有名な「ナヌムの家」は元慰安婦の方々に住居を提供するなど、実際のケアに力を入れています。一方で、正義連の活動の特色は、元慰安婦に対する物質的・精神的なケアよりも、元慰安婦問題を内外にアピールし、日本政府や韓国政府に対して圧力をかけるという政治活動に力を置いています。その上で、慰安婦問題の解決には日本政府の法的賠償や真相究明、責任者の処罰などが不可欠と主張しています。
――日韓問題にも影響を及ぼしてきたのですか。
挺対協は、90年代初頭には大きな勢力ではありませんでした。それが大きな影響力を持つようになったのは90年代後半、当時の金泳三(キム・ヨンサム)政権が元慰安婦問題に対する韓国政府の方針を転換した際に、挺対協などの意見を根拠の一つとしたことが大きな契機でした。それ以降、挺対協は元慰安婦の声を代弁するような立場となり、日韓で元慰安婦問題に関する協議が行われるたびに、一種の拒否権を持つかのようになっています。
――今回の騒動に至った背景にはどのような事情があるのでしょうか。
経緯の詳細は現段階では不明ですが、背景には「元慰安婦問題において得られた募金や国際合意などにより得られた資金は、自分たちに配分されるべきだ」という一部の元慰安婦の強い不満があったとみてよいと思います。元慰安婦には、様々な事情から依然として貧しい生活を送っている人も多くいますし、また、家族がいる元慰安婦には、子どもや孫に少しでも多くの財産を残してやりたい、と考えている人もいます。
元慰安婦らのこうした不満は近年、顕著になっており、たとえば15年の日韓合意の後、挺対協は元慰安婦に対して支援金の受け取りを拒否するように求めましたが、多くの人は受け取る意思を示しました。このあたりに、団体と元慰安婦の考えの違いが出ていると思います。
――今回の騒動は、元慰安婦問題や日韓関係にも影響をおよぼすでしょうか。
今回の事態は、あくまで正義連の運営を巡るトラブルでしかありませんから、短期的にはこれが日韓関係に影響をおよぼすとは考えない方がいいと思います。仮に資金管理の問題が明らかになったとしても、これにより韓国社会で元慰安婦問題の位置づけが変わるわけではありません。そもそも今回抗議の先頭に立っている李さんは日本政府の責任追及においても急先鋒(きゅうせんぽう)でした。今回の問題により、元慰安婦問題における日本政府や日本社会に対する追及が弱まるとは考えにくいと思います。
とはいえ、戦後75年がたち、一般の人々が元慰安婦の昔の境遇について想像、共感することが難しくなってきたことなどから、近年は正義連が持つ韓国世論や元慰安婦に対する影響力は弱まっています。その意味で今回の問題が、正義連の影響力に決定的な打撃となる可能性はあります。そうなれば、「正義連が元慰安婦の意見を代弁する」という構造が変わり、今後は元徴用工問題のように、元慰安婦自身や遺族ら「当事者」が主導する状況になっていくのかもしれません。だとすれば運動のイデオロギー色は後退することになりますし、個々の当事者の事情を勘案し、是々非々で対応することも可能になるだろうと思います。ただし、元慰安婦の方々は高齢であり、残された時間を考えることは重要になるでしょう。(大部俊哉)

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