(聯合ニュース 韓国語 2020/08/24)
○朝鮮学校の学生たちが発見して神奈川県に復元要請
日本,神奈川県相模原市所在の相模ダム近くに設置された朝鮮人犠牲者追悼碑[相模ダム湖銘碑 建設中に亡くなった日本人・朝鮮籍日本人・中国人83名の名前が刻まれています]の案内板が毀損された事実が確認されたと共同通信が24日、報道した。
報道によれば、日帝強占期、相模ダム建設に動員された朝鮮人を追悼する碑石の横に設置された案内板が損傷していることを、今月9日、課外活動をしにきた神奈川朝鮮中高級学校校の学生たちが発見した。
案内板には、相模ダムを建設するために日本人だけでなく、中国人捕虜と朝鮮人などが動員されたという事実が記載されているが、このうち「当時植民地であった朝鮮半島から国の方策によって連れてこられた方々」と書かれた部分に、何かによってひっかいたような跡が残っていた。
学生たちは24日、神奈川県庁を訪れ、黒岩祐治,神奈川県知事宛てに、案内板を復元してほしいという要請書を提出した。
朝鮮学校の学生たちは、案内板の毀損が日帝強占期に徴用労役をした朝鮮人犠牲者の存在を否定する試みだとみて、憂慮を表明した。
要請書を提出しに来たある学生(17)は「当時の人々のことが否定されると、子孫である私たちの存在も否定されたという気がする」と話した。
相模ダムは1940年に着工して1947年に完工した。
工事途中、太平洋戦争で戦況が日本に不利になって労働力が不足すると、日本当局は中国人捕虜と朝鮮人などを動員した。
ダム完工までに少なくとも83人の死亡者が発生したと共同通信は伝えた。
神奈川県は「碑石は歴史的な事実を正しく県民に伝える目的で建てられたもので、毀損されたことは残念」と立場を明らかにし、毀損された部分を復元する案を検討中だ。(機械翻訳 若干修正)
『相模ダム湖銘碑』全文。看板は日本語と英語で、碑は日本語・中国語・韓国語。
| 相模湖は、わが国で初めての多目的ダムによる人造湖で、昭和15年に起工され、戦後、昭和22年に完成しました。 私たち神奈川県民は、今もこのダムと湖から、はかりしれない恩恵―命の水と水力発電によるクリーンエネルギーを享受しています。 工事には、戦時下の労働力不足のもとで、日本各地から集められた労働者、勤労学徒のみならず、捕虜として連れてこられた中国人、当時植民地であった朝鮮半島から国の方策によって連れてこられた方々など、延べ三百数十万人が従事されました。 この歴史的事業の完成にあたっては、水没者や地元の方々の大きなご協力と工事にかかわられた方々のご労苦、殉職、病没等の尊い犠牲があったことを忘れることはできません。 私たちは、世界の人々と共に生きる地域社会の創造を願い、ここにあらためて、礎石となられた地元をはじめ、関係者の方々に心から感謝するとともに、不幸にして亡くなられた日本各地の出身者、勤労動員の年少者、中国人、韓国・朝鮮人の方々のお名前を記し、謹んで哀悼の意を表します。 平成5年10月 神奈川県知事 長洲一二 |
| 朝鮮出身者ら追悼看板に傷 生徒ら補修要望、相模ダム (産経新聞 2020/08/24) 神奈川県が設置した、相模ダム(相模原市緑区)の建設工事で亡くなった朝鮮半島出身者らを追悼する石碑の看板が、何者かに傷つけられていたことが24日、県などへの取材で分かった。神奈川朝鮮中高級学校(横浜市)の生徒が課外学習中、被害を発見した。生徒らは同日、県庁を訪れ、黒岩祐治知事宛てに修復を求める要請書を提出した。 看板には、日本人だけでなく、朝鮮半島出身者らが工事に従事した経緯が、日本語と英語で書かれている。そのうち「当時植民地であった朝鮮半島から国の方策によって連れてこられた方々」という日本語の文の一部に、ひっかいたような跡があった。 要請書では「『歴史の事実』がなかったとでも言わんばかりに、その部分だけを取り除こうとした」と指摘し、「傷を放置することは犠牲になられた方々をはじめ、多くの人々を傷つけ続けることだ」と訴えた。 |
あっ・・・なんでもないです。
つくられた経緯がなんとなくわかる記事↓
| 歴史の暗部にいまこそ目を、相模ダムで追悼会/神奈川 (神奈川新聞 2011/07/13) (略)相模ダム。その建設工事で殉職した人たちの追悼会が31日に開かれる。戦時中の労働力不足から駆り出された朝鮮人、中国人が数多く犠牲になった。式典は33回を数えるが、事務局の太田顕さん(68)=相模原市緑区千木良=は「いまこそ過去に目を向けなければ」との思いを強くする。(略) 碑には、建設中の事故などで亡くなった83人の名前が刻まれている。1993年10月、太田さんら地元住民の要望に応じる形で県により建立された。 後日談があった。太田さんは「相模湖・ダムの歴史を記録する会」のメンバーとして、工事関係者から聞き取り調査を行ってきた。そのなかで強制連行、強制労働の実態について証言を得ていた。碑文に「強制」の文字を盛り込むよう求めたが、県は「議会の了解が得られない」と難色を示し、要望は通らなかった。 完成後、県の担当者は打ち明けたという。 「碑文のプレートは取り外せる。いつか『強制連行』という言葉が定着したら、取り換えればいい」 それから20年近く。文言は当時のままで、その4文字が消えた教科書まで登場した。(略) |



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