(朝日新聞 2020/08/30)

 約7年8カ月にわたり、日本外交のかじ取り役を担った安倍晋三首相。安定した長期政権下、継続性のある取り組みが可能となり、「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」や「戦後外交の総決算」を掲げた。世界は安倍外交をどう評価するのか。対峙(たいじ)した国の足元から報告する。

 「韓日関係の発展に多くの役割を果たしてきた安倍首相の突然の辞任発表を残念に思う」。安倍氏の辞意表明後、韓国の文在寅(ムンジェイン)政権は大統領府報道官名の短いコメントを出した。「多くの役割」について、韓国政府関係者は「具体的に頭に浮かばないので、抽象的な表現になった」と明かす。

 2012年末に第2次安倍政権が発足した際、日韓関係はすでに悪化していた。この年の夏に李明博(イミョンバク)大統領が大統領として初めて、日韓が領有権を争う島根県の竹島(韓国名・独島)に上陸したからだ。

 日本の植民地支配を受けた韓国では、平和憲法の改憲に意欲的な安倍氏を、過去を反省しない「極右政治家」とみなす向きが強い。13年2月に発足した朴槿恵(パククネ)政権も、安倍氏の歴史認識には懐疑的だった。

 同年12月に安倍氏が靖国神社を参拝すると、朴氏は「村山談話や河野談話を否定する言行で、協力の環境を壊している」と批判。安倍氏との首脳会談の条件として、慰安婦問題での誠意ある対応を求め続けた。

 日韓の対立が解けないなか北朝鮮の核ミサイル開発は進み、米オバマ政権が双方に関係改善の圧力を強めた。2015年末、日本が元慰安婦の支援を目的に10億円を拠出し、最終的かつ不可逆的に問題を解決するとの慰安婦合意が交わされた。複数の日本政府関係者によると、安倍氏は消極的だったが、谷内正太郎国家安全保障局長(当時)が合意を強く説得した。

 だが、17年5月に政権交代した文政権は、前政権の業績を否定し、慰安婦合意も空文化させた。公式謝罪や賠償ではないと反発する世論を重視した。

■文氏、安倍政権と良好な関係を築こうとしたが…

 安倍政権は強く反発したが、文氏は安倍政権と良好な関係を築こうとした。文政権のブレーンは「最優先課題の対北朝鮮外交に理解を得たかった」と話す。南北協力の実現には対北朝鮮制裁の緩和が欠かせず、米国とともに日本の理解も必要と考えた。安倍氏の最重要課題は拉致問題。日朝の橋渡し役を担えば、対日関係も改善できるとの計算が働いた。

 18年3月に北朝鮮に特使として派遣され、金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長と会談した徐薫(ソフン)国家情報院長(現・大統領府国家安保室長)はその1週間後、東京で安倍氏らと面会した。日本政府関係者によると、徐薫氏はこの場で、トランプ米大統領と「ぜひ会談をしたい」と希望する正恩氏の発言を伝え、日朝交渉に協力する考えも示した。文氏も同年5月、安倍氏との会談で「朝鮮半島の平和には南北対話のみならず、日朝の関係正常化も必要だ」と述べた。

 シンガポールで史上初の米朝首脳会談が行われた翌月の同年7月には、北村滋・内閣情報官(現・国家安全保障局長)と朝鮮労働党統一戦線部の金聖恵(キムソンヘ)統一戦略室長がベトナムで極秘接触した。複数の日韓関係筋によると、聖恵氏は当時、正恩氏の実妹、与正氏に近い人物と分析され、北村氏が聖恵氏との密会を徐氏に依頼し、実現したという。だが、拉致問題で双方とも原則的な立場を繰り返し、物別れに終わった。

 同年秋、韓国大法院(最高裁)が日本企業に元徴用工への賠償を命じる判決が出ると、日韓関係は極度に悪化した。韓国側は鄭義溶(チョンウィヨン)・国家安保室長や外交省の趙世暎(チョセヨン)・第1次官(いずれも当時)らを東京に派遣。日本企業と韓国企業、韓国政府が資金を出し合って賠償に充てる「1+1+α」など複数の解決案を水面下で提示した。だが、日本側は関心さえ示さず拒否した。

 大統領府に近い関係者によると、鄭氏ら政権幹部は安倍政権の姿勢に「こちらの努力に全く報いようとしない」と不満を漏らすようになったという。

 米朝交渉が停滞し、日朝交渉の見通しも立たなくなると、歩調を合わせるかのように安倍政権の対韓外交はより硬化した。19年7月には対韓輸出規制の強化を発表。文政権は対抗措置として翌月、日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を日本側に通告した。米国の圧力で一転、協定の維持を決めたが、関係悪化の要因である徴用工問題を積極的に解決しようとの動きは双方にない。(ソウル=鈴木拓也)

■日中関係、「前半は氷河期だった」

 「安倍政権前半の日中関係はまさに氷河期。我々を決定的に怒らせた一件がある」。中国外交当局者は、そう明かす。

 2013年秋のことだ。前年の野田政権による尖閣国有化を機に、日中関係は1972年の国交正常化以降、最悪と言われる状況に陥った。第1次政権の安倍首相は、最初の外遊先に中国を選び関係改善に動いたが、第2次政権では憲法改正に意欲を示すなど中国を刺激し続けた。

 その頃、中国高官に日本の官邸幹部から電話が入った。「そろそろ歩み寄らないと互いに困るでしょう。首相が靖国神社に参拝しないことを条件に、首脳会談を実現させないか」。官邸幹部はそう告げたという。

 首相の靖国参拝は、両国の歴史問題に深く関わる極めて敏感な問題だ。それを政治カードのように扱う提案に、共産党政権内では怒りが広がったという。中国はこの申し出を拒否。安倍首相は数カ月後に靖国参拝を決行した。

 14年に北京で開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)で安倍首相と習近平(シーチンピン)国家主席は初会談にこぎ着けたが、その後も戦後70年の首相談話発表や安保法制の制定などで中国を刺激する首相に、習指導部は警戒を続けた。

■転機は首相の親書

 転機は17年に訪れた。習氏肝いりの巨大経済圏構想「一帯一路」の国際会議に、二階俊博自民党幹事長と側近の今井尚哉首相秘書官を派遣。一帯一路に前向きな姿勢を示す首相の親書が習氏に手渡された。

 日本経済の中国依存が強まるなか、関係改善を求める経済界に押された形のアプローチだったが、習指導部も南シナ海問題など周辺国との摩擦を多く抱え、外交の立て直しを図る時期だった。思惑は一致し、18年の李克強(リーコーチアン)首相訪日、安倍首相訪中につながった。

 安倍首相が尖閣を巡る対立や歴史問題などを争点化させず実利優先の対中姿勢へ軸足を移したことで、日中が複雑な国際情勢のなかで戦略的に結びつく余地が生まれた。

 日中接近の流れは、深まる米中対立なども背景に強まっていった。両国が首脳往来の総仕上げと位置づけてきた今春の習氏の国賓訪日は新型コロナウイルスの影響で延期されたが、双方が経済協力の強化を求める構図は崩れていない。特に米国との通商紛争を抱える中国には、日本への期待が大きい。

 しかし、習指導部の対日姿勢には影が差し始めている。日本が香港国家安全維持法に遺憾を表明したり台湾の世界保健機関(WHO)参加を支持したりする動きは、中国には内政干渉に映る。一帯一路への協力が具体化しない点も、中国側の疑念を呼んでいる。

 外交当局者によると、習氏は昨年末、訪中した安倍首相との会談を終えると「日本との建前の議論はもういい。現実的な成果を求めよ」と指示したという。

 対中政策が安定する意味から、中国側も安倍政権の長期化は歓迎するようになっていた。ただ、外交当局者は、習氏と安倍首相の間に、難題の解決に必要な指導者同士の信頼関係は育たなかったと見る。

 「2人の関係でできるのはここまでだ。その意味では、辞任はいいタイミングだったかもしれない」(北京=冨名腰隆)