在日民族学校、甲子園進出の快挙…同胞社会の新たな歴史
(mdn 韓国語 2021/01/29)

在日民族学校である京都国際高等学校[学校法人京都国際学園「京都国際中学高等学校」]が第93回選抜高校野球大会、別名『春の甲子園』[毎日新聞社、日本高校野球連盟主催、朝日新聞社後援、阪神甲子園球場特別協力]に進出する快挙を成し遂げました。

日本で甲子園は3月と8月の2回開かれるが、毎日新聞社が主管する『春の甲子園』は前年度の秋期大会の成績が優秀な28校と学業成績が優秀な4校の計32校を選抜して競う大会です。

高校野球は日本の国民スポーツとして大変な人気を博しており、京都国際高校の今回の出場は野球部創設22年目の成果です。

京都国際高校野球部は昨年5月、高校野球春季京都府大会決勝で野球の名門とされる乙訓高等学校を4-3で破り、初優勝を果たしました。

1999年の創立以降、2015年までは地域大会8強にとどまっていたが、2016年から京都府4強に進入し、夏の甲子園地域予選で京都地域2位を占めるなど、京都の野球名門高としての地位を固めてきました。

韓国系民族学校である京都国際高等学校の出場は外国系学校としては初めてで、在日同胞社会だけでなく日本社会でも大きい関心を集めています。

京都国際高校は、1947年に在日韓国人[朝鮮籍]の子供のための中学校[京都朝鮮中学]として設立され、1963年の高等学校が増設され、2004年に日本政府から教育過程認可を受けて京都国際中学校高等学校[一条校]に校名を変えた後、在日同胞に対する民族教育の場として機能してきました。

京都国際の校歌は開校したときに作られた韓国語の校歌をそのまま使っており、甲子園の全試合をNHKで生中継する慣例により、日本全域に韓国語の校歌が鳴り響くことになります。

駐大阪大韓民国総領事館は「今回の韓国系学校の甲子園出場は、在日同胞社会の士気を高める契機となり、韓日友好協力の雰囲気醸成にも助けになると期待される」としながら「民団をはじめとする同胞社会は、こうした点を考慮し、すでに京都国際学園野球チームを大々的に応援して支援する動きを見せている」と明らかにしました。

京都国際学園は、在日同胞社会と日本市民の後援要請で野球部の大会出場を支援するクラウドファンディング口座を開設しました。

春の甲子園は来月23日に組み合わせ抽選を完了し、3月19日から末までトーナメント方式で試合を行います。

韓国では斗山ベアーズのシン・ソンヒョン[申成鉉]選手が、日本では広島カープの曽根海成選手と日本ハムの上野響平選手が京都国際出身で活躍しています。(機械翻訳 若干修正)


(朝日新聞 2021/01/29)

 第93回選抜高校野球大会(3月19日開幕、阪神甲子園球場)の出場32校が29日、発表された。昨秋の近畿大会で4強に進出した京都国際は、春夏通じて初の甲子園。今は部員40人全員が日本人だが、同校の前身は京都韓国学園。甲子園に韓国語の校歌が流れる。

 野球部は創部した1999年に外国人学校として史上初めて夏の選手権京都大会に出場。1回戦で前年全国準優勝の京都成章と対戦し、0―34で大敗した。04年に現校名に変更。06年からコーチとして指導し、25歳で監督になった小牧憲継監督(37)は「最初は野球どころではなかった。やんちゃな選手の集まりで、1試合をする集中力もなかった」と振り返る。

 それが、今では「接戦に強い」が持ち味に変わった。両翼が70メートルもない狭いグラウンドで守備を徹底的に鍛えると、1球に対する選手たちの集中力も磨かれた。

 京都3位で臨んだ昨秋の近畿大会は、1回戦で和歌山東を1点差で破り、準々決勝の神戸国際大付(兵庫)にも1点差で競り勝って4強入りを決めた。

 夏の京都大会では2018年4強、19年準優勝と甲子園に近づいており、19年秋、20年秋のドラフトでは2年連続でプロ野球選手が輩出。近年は地元の野球少年からも人気を集める高校になった。

 全校生徒は132人で、Kポップ好きや国際交流を学びたい生徒も入学する。英語のほかに韓国語の授業も受けているが、小牧監督は「韓国語の校歌はなかなか難しいんですよ」。甲子園で元気いっぱい歌えるよう、選手たちは各自で校歌の練習もしているという。(山口裕起)


(スポニチ 2014/08/24)

(略)はじめて甲子園で「校歌斉唱」が行われたのはセンバツが先。1929(昭和4)年の第6回選抜中等学校野球大会から採用された。勝利校に校歌斉唱を、と提案したのは、日本人女性初の五輪メダリストである人見絹枝氏(故人)だ。

 1928(昭和3)年のアムステルダム五輪で陸上・女子800メートルに出場し、銀メダルを獲得した人見氏は、表彰式で金メダルを獲得した選手の国歌が流れたことに、いたく感銘。その体験をもとに甲子園での校歌斉唱を提案し、翌春のセンバツ大会から採用されたのだ。

 一方、夏の大会で導入されたのは、遅れること28年後の1957(昭和32)年から。そして、勝利校の校歌斉唱が定着すると、甲子園で勝つことを「校歌を歌う」と表現されるようになった。

 しかし、せっかく厳しい地方大会を勝ち抜いて甲子園の舞台に立っても、出場校の半分は校歌を歌えぬまま甲子園を去らなければならなかった。そこで1999(平成11)年のセンバツからは、2回の表と裏に両チームの校歌を場内放送で流すことが慣例化。この大会以降は、春・夏を問わず、全ての甲子園出場校の校歌を耳にすることができるようになった。(略)