(中央日報 2022/09/29)
1950年代から韓国に駐留する米軍を相手に売春を提供した「基地村の米軍慰安婦」らに国が賠償責任を負わなければならないという大法院(最高裁)判決が下された。
大法院は原告98人が国を相手取り起こした損害賠償請求訴訟で、原告一部勝訴の判決を下した原審を確定した。
原告らは1957年から米国駐留地周辺の商業地区である「基地村」で米軍を対象に売春をした女性たちだ。彼女たちは韓国政府が基地村を作って管理・運営し、売春を助長するなど国の保護義務に違反し、身体的・精神的苦痛を受けたとして訴訟を起こした。
また、当時政府が性病にかかった女性たちを暴力的に管理したとも主張した。Aさんらは基地村の女性に1人当たり1000万ウォン(約100万円)の損害賠償金を支払うよう政府に要求した。当初訴訟には120人が参加したが、裁判の過程で一部が訴えを取り下げ訴訟人数が減った。
また、当時政府が性病にかかった女性たちを暴力的に管理したとも主張した。Aさんらは基地村の女性に1人当たり1000万ウォン(約100万円)の損害賠償金を支払うよう政府に要求した。当初訴訟には120人が参加したが、裁判の過程で一部が訴えを取り下げ訴訟人数が減った。
1審は性病で強制隔離された57人にだけ政府が500万ウォンずつ支払うよう判決した。政府が基地村を作り各種政策を通じて管理したことは違法でないと判断した。国に国民を保護する義務があるという理由だけで、保護の死角地帯にある国民の保護義務違反を認めることはできないという説明だ。ただ、性病患者を隔離収容できるようにした伝染病予防法施行前の1977年以前に女性たちを収容所に隔離収容した行為は違法だと判断した。
これに対し控訴審は国が基地村を設置して管理したことも違法と認定した。控訴審は基地村の女性74人に700万ウォンを、43人に300万ウォンを支払うよう命じ、政府の損害賠償人数と金額を増やした。控訴審は公務員らが基地村を運営し、教育などを通じて積極的に基地村の女性たちの売春を正当化したり助長したと判断した。また、1審と同じく性病にかかった女性たちを収容所に隔離し、医師の診断なくペニシリンを投与したことも違法だと判断した。
韓国軍慰安婦(ウィキペディア)一部抜粋 概要 朝鮮戦争やベトナム戦争では韓国はアメリカ合衆国を基盤とした連合軍に参加したため、韓国で設置された慰安所および慰安婦(特殊慰安隊)は韓国軍だけでなく米軍をはじめとする国連軍も利用した。現在も坡州市のヨンジュコルなどに存在している。 政策沿革 1947年11月14日 公娼制度廃止 1950 - 1954年 韓国軍慰安婦設置 1961年11月9日 淪落行為等防止法制定 1962年6月 米軍基地近隣104か所を特定(淪落)地域に指定し売春取締除外 1971年12月22日 政府主導で基地村浄化委員会発足 1970 - 1980年代 強制性病検診、基地村女性人権侵害がひどい 1990 - 1991年 梨花女子大元教授の尹貞玉が日本軍慰安婦問題を新聞で初めて告発。 1992年 尹今伊殺害事件(米軍兵士が基地村女性殺害) 1996年 性病管理所閉鎖(韓国政府による管理売春終わる) 1990年代後半 フィリピン等外国人女性に代替(民営化) 名称の変遷 韓国陸軍本部が1956年に編纂した公文書『後方戦史(人事編)』には「固定式慰安所-特殊慰安隊」とあり、朝鮮戦争中は「特殊慰安隊」、または「第5種補給品」とも呼ばれた。 朝鮮戦争後は「美軍慰安婦(美軍はアメリカ軍のこと)」「国連軍相対慰安婦(UN軍相對慰安婦)」と呼ばれた。 ほかに「挺身隊」や国軍挺身隊とも呼ばれた。 アメリカ軍や韓国軍などを相手とした女性達への当時の韓国政府や韓国報道機関による公式呼称は「慰安婦」である。 ![]() ▲国連軍を相手とする慰安婦の登録が1961年9月13日に実施された。東亜日報 1961年9月14日
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2014年06月25日


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