島根県竹島のアシカ、120年前に古都で脱走、明治に猟を裏付け「極めて重要」 京都新聞前身で日本最古の記録発見(京都新聞/YAHOO 2024/09/17)
 日韓が領有権を主張する島根県・竹島(韓国名・独島)で、明治時代に日本人によってニホンアシカの猟が行われたことを示す最古の資料が確認された。京都新聞の前身「京都日出新聞」の記事で、竹島で捕らわれたアシカが見せ物小屋から逃げて人を驚かせたという内容。竹島と日本人の結びつきを示す貴重な記録という。

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▲竹島で捕獲されたアシカが脱走し、人々を驚かせた様子を紹介する1902年の京都日出新聞の記事

 記事は1902(明治35)年3月3日付で、「海獱(かいひん)観客を驚かす」という見出しが付いている。2月に無人の孤島リヤンコ島(当時の竹島の通称)で捕らえられたとする。ニホンアシカの生態に詳しく、記事の発見に尽力した鳥取大の井上貴央名誉教授(72)=形態解析学=によると、竹島周辺にはニホンアシカしか生息しておらず、記事における海獱はニホンアシカであると言えるという。

 「新京極六角下る初音座」において見せていたが、2度の脱走騒ぎがあったと紹介。「東京洋魚組合水産技師遠藤達造氏」が捕獲したアシカと記す。

 明治時代のアシカ猟について、従来は島根県公文書センター所蔵の「竹島貸下海驢(あしか)漁業」にある1903(明治36)年のアシカ猟に関する記載が最も古いとされていた。

 井上名誉教授は「記事は、明治に日本人が竹島に行っていたことを示し、重要だ」と指摘する。

 記事はアシカへの関心を高めたとみられる。1903年3月30日の同紙は、開園した京都市動物園に島根県の隠岐から来たアシカがいるとの記事を載せている。井上名誉教授は「初音座の話題をきっかけに、アシカを入れようとしたのかもしれない」と語る。

 隠岐でメチと呼ばれたアシカの記憶を伝える絵本「メチのいた島」を描いた島根県隠岐の島町の杉原由美子さん(81)は「発見を契機に、新たな研究が始まっていくといいと思う」と願う。

 竹島は隠岐諸島の北西約158キロの位置にある。アシカ猟は1900年代初頭に本格化し、皮などを生かした。