日帝略奪文化財取り戻そう
(京仁日報 韓国語 2013/01/28)
利川市五層石塔に続き高陽市『碧蹄館六角亭』還収推進
高陽市など道内各地方自治体と民間団体が、壬辰倭乱と旧韓末の列強の侵奪などを経て略奪された文化財還収に積極的に乗り出していて注目されている。特に光復(解放)70周年を控えて、私たちの民族のアイデンティティ確立と共に文化主権を回復しなければならないという世論が沸騰した中で推進されていて注目される。
27日、高陽市などによれば、壬辰倭乱と旧韓末の列強の侵奪などを経て、相当数の文化財が海外に不法搬出または略奪された。これに対し市は日本が略奪した『碧蹄館六角亭』の還収に出ることにして、近いうち還収委員会を構成、これを積極的に推進することにした。
また、高陽市は文化財庁の協力を得て、来る6月頃に日本,岩国市と還収協議を推進するという方針だ。
碧蹄館は朝鮮の2大関門の中の一つで、中国の使節を迎接し、王の陵お出まし時に仮宮としても使われたところだ。
しかし、第2代朝鮮総督長谷川好道が日帝強占期である1918年に自分の故郷である日本,山口県岩国市に移した。しかし、95年が過ぎた今まで帰ってこないまま日本に留まっている。
市関係者は「私たちの民族の歴史と先祖の魂が込められている文化遺産が本来の位置に戻るようにすることは、文化民族の誇りと国辱を回復し、国の品格を高めること」と話した。
また、民間団体である利川市利川五層石塔還収委員会は、日帝強占期に日本人が略奪した『利川五層石塔』の還収運動を行っている。この石塔は高麗初期に利川郷校付近に建立された。還収委は昨年4月、アメリカ博物館協会の年次総会で国際社会に実状を知らせることもした。
また、タバコと焼酎ボトルにも石塔還収広報文を掲載するなど大々的な還収広報活動を行っている。特に還収委は、これまで存在の有無が不透明だった利川五層石塔の相輪部の有無を写真を通じて確認して還収に積極的に乗り出している。
一方、文化財庁によれば、昨年末基準、海外にある私たちの文化財は20か国、14万点余りに達し、これまで国内に還収された文化財は10か国、9千751点で大部分は政府が取り戻した。
あわせて、不法的に搬出された文化財を還収するために、国際連合傘下の専門機関である国際連合教育科学文化機関(UNESCO)を中心に関連協約が制定されて運営されているが強制力がなく、長時間にわたり利害当事国の政府間交渉、寄贈、購入等を通じて返還が行われている。(機械翻訳 若干修正)
高陽市、日帝収奪の碧蹄館の六角亭還収推進
(ニューシス 韓国語 2012/12/12)
日帝強制占領期間の時略奪されて日本に移された文化財の中の一つである高揚碧蹄館六角亭に対して地方自治体が文化財庁など関連機関と共に還収に出ることにした。(略)

六角亭還収のために高陽市は去る6月26日、3泊4日間の日程で日本現地を訪問して調査を行い、関連建築物が建築学的にも歴史学的に十分な文化財的価値を有すると判断した。(略)
また、六角亭が碧蹄館と関連して残っている唯一の建築物という点も貴重な歴史的資産として考えられている。(略)(機械翻訳 若干修正)
六角亭 (山口県岩国市「紅葉谷公園」内)

六角亭は古くから韓国各地において身分の高い人々が、景観の良い場所に建て憩いの場所として利用されていたものだそうです。この地にあります六角亭は韓国京幾道碧蹄館(京城「現在のソウル」の北約20キロメートルの地点にある地名)付近にあったもので1918年に到来したものであるといわれております。 (案内板より)
碧蹄館の在りし日の姿 (1900年初頭。案内板より)


今の碧蹄館址は、仁祖3年(1625)、高陽郡の官衙を移して建てた客館の場所であり、日帝強占期に建物の一部が取り払われ、6.25戦争〔朝鮮戦争〕のとき、門を除いてすべての建物が燃えてしまった。その後、客館の門も壊れ、現在は跡だけが残っている。建物は、中央の亭舎と左右の翼舎で構成されており、正面3間、側面2間が並んで配置されている。(案内板より)
碧蹄館址(史跡第144号)

六角亭があった場所

清からの独立後は使用することもなく、誰も気にしていなかったんじゃないのかな?
2012年10月10日
眞露、ボトルに「大倉集古館の利川五層石塔」などの文化財還収広報ニダ!
2011年08月10日
大倉財団に「まず『略奪』という表現を使ったことを謝罪しろ」と言われたニダ!
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とりあえず再建して自分たちが維持できるなら返還を求めてみてもいいかもしらんがな。
たぶん誰も来なくて金にならないとか、すぐに焼失するとかすると思うけど。