「韓服を着てホテル...」 日本ネチズンのあきれた偏見
(クッキーニュース 韓国語 2011/04/15)



一流ホテルの韓服冷遇事件で日本ネチズンの呆れた偏見から、韓服の誹謗論議に繋がっている。『韓服=胸を露わにする下品な服』という呆れた主張がオンラインで広がりながら、事実であるように受け入れられている。

14日、日本有名ブログには日本の某オンライン媒体が伝えた、『新羅ホテル韓服立入禁止』という韓国の消息が次から次へと広がっている。

しかし、ニュースに接した日本ネチズンの反応は首を少し傾げさせた。

ネチズンの大部分は、「胸を露出した韓服でホテルに入れないように防ぐのは当然じゃないか」と反応した。

あるネチズンは短い韓服チョゴリの下から胸の一部が露出した写真まで掲載しながら、「こんな服を着てどこのホテルに入ろうとするんだ」と指摘した。

また他のネチズンは、「胸を露出した状態でホテルに行くの?韓国人は野蛮人だ」と嘲笑した。

韓服全てが胸を露出する服では無いという主張もあったが、それもやはり違った内容を含んでいた。このネチズンは、「最近は胸を露出して着ない」と言いながらも、「過去にそのような時代があったが韓国人はそれを率直に受け入れず、とにかく隠そうとばかりしている」という、ごり押しな主張を展開した。

また他のネチズンは、3~4人の女性が着物を着て新羅ホテルのイベントに参加した写真を掲載して、「韓服はダメだけど着物は入れた」と言う自負心も現わしたりした。

このような韓服の誹謗論議は日本人たちの偏見から始まった。数年間日本で韓服の展示会を開いている韓服デザイナーのイ・インヨン氏は、「普通の日本人たちは韓服の場合キーセン服を思い浮かべる」と説明した。胸を露出するチョゴリなど派手な袖のスタイルは、過去のキーセンの服だ。

彼は、「東京や大阪などで韓服の展示会を開けば、多くの観覧者がキーセン服以外にも様々な形態の韓服があるという事実に驚く」とし、「身分や状況によって服飾が異なるという説明をすれば、彼らも韓服を高く評価する」と話した。

彼は韓服の誹謗論議が単なる日本ネチズンの問題ではないとし、「韓国人も生涯に1~2回韓服を着て、または韓服は不便だという偏見を持っている」と指摘した。(本文翻訳 2ch HONEY MILKφ氏)




「韓服冷遇事件」↓

“韓服客拒否”新羅ホテルが公式謝罪
(中央日報 2011/04/14)

  「韓服(ハンボク)を着ているという理由でビュッフェレストランへの入店を拒否された」という韓服デザイナーの主張がツイッターとインターネットを通して広がり、李富真(イ・ブジン)新羅(シンラ)ホテル社長が13日、当事者に謝罪した。

  韓服デザイナーのイ・ヘスン氏は12日、新羅ホテルのビュッフェに入ろうとすると、「ドレスコード方針のため韓服とトレーニング服の客は入店できない」と言われて止められたという。この日夜、イ氏の次男がこうした内容をツイッターに載せ、波紋が広がった。

  ネットユーザーからは「新羅ホテルで韓服がだめなら正門の瓦はすべて撤去するべきでは」「なぜ名前を新羅ホテルにしたのか」など、さまざまな批判が出てきた。 イ・ヘスン氏は13日、ウィキツリーとのインタビューで「李富真新羅ホテル社長が訪ねてきて謝罪をした」とし「心からの謝罪として受け止めた」と明らかにした。

  新羅ホテル側は「韓服を着ているからといって新羅ホテルへの出入りが禁止されることはない」とし「ビュッフェレストランで時々事故が発生するので、顧客に気をつけてほしいと伝えようとしたのが、こうした注意事項をレストラン担当者がイ氏にうまく伝えられなかったようだ」と説明した。

  新羅ホテル側は「顧客の気分を害するほど応対に問題があり誤解を招いたことは、サービス業として非常に大きな過ち」とし「これについて李社長が謝罪をした」と明らかにした。 李社長の謝罪訪問に同席した韓仁奎(ハン・インギュ)新羅ホテル事業総括専務も三星グループの公式ツイッター「サラムイン」で、「韓服姿のお客様に物議をかもした点について深くお詫びします」とし「韓服に引っかかって転倒するなど各種事故が何度かあったので、これについてご案内しようとしたが、現場に錯誤があった」と繰り返し謝罪した。

  また新羅ホテル側は公式謝罪文も発表した。ホテル側は謝罪文で「料理を自分で取りに行くビュッフェの特性上、昨年から韓服姿の顧客にはその都度(注意する点を)案内している。 職員の錯誤で案内が未熟だった。 他の顧客が韓服を着た顧客の服に引っかかって転倒するなど顧客の不満事項が発生したことで取られた措置」と釈明した。

  イ・ヘスン氏は映画「スキャンダル-朝鮮男女相悦之詞」「霜花店」などの衣装を制作した有名韓服デザイナー。 韓服を知らせるという目的で20年間、毎日韓服を着ている。 03年からはソウル清潭洞(チョンダムドン)で韓服店「ダムヨン」を運営している。




>胸を露出するチョゴリなど派手な袖のスタイルは、過去のキーセンの服だ。
 ↓、キーセン?


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露出度で見る韓服の変遷
(朝鮮日報 2006/05/29)

 遺跡から出土された朝鮮時代の衣装(韓服)を時期別に復元・再現した「500 年ファッションショー」が初めて韓国国内で開かれる。檀国大学の石宙善記念博物館(チョン・ヨンホ館長)は28日、これまで所蔵してきた1万点あまりの出土朝鮮衣装のうち、女性用約60点と男性用約40点を選び、遺物の直接分析や文献・風俗との対照を通じて総合的に再現し、公開した。同博物館ではこれらを来月2日にソウル・グランドハイアットホテルで開くファッションショー「朝鮮時代・韓服の趣と流行」で発表する。

 女性の衣装では、16世紀に流行したフリーサイズタイプから、朝鮮末期のボレロ(丈をウエストより短くした上衣)と同じくらい短い女性用チョゴリ(韓服の上衣)までとファッションの移り変わりが見られる。同博物館は服飾史研究の大家・石宙善(ソク・チュソン)先生(1911~96)を称えるため1981年に開館した。石先生は蝶博士・石宙明(ソク・チュミョン)先生の弟だ。今回再現された衣装は檀国大大学院伝統衣装学科の卒業生が製作した。


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◆16世紀(フリーサイズ時代)

丈が長く、身ごろも大きめで誰でも着られるフリーサイズタイプがほとんど。良い生地をふんだんに使い、大きめに作って着るのが身分の誇示や美的な基準になっていたと見られる。


◆17世紀(オーダーメイド時代)

体の寸法を考慮したオーダーメイドタイプが登場する。チョゴリの種類も少なくなり、少量の布で作るなど、実用的になった。身ごろも小さく丈も短くなる。相次ぐ壬辰倭乱(文禄・慶長の役)や清の朝鮮侵略によって経済的に苦しくなったためとの分析もある。


◆18世紀(タイト時代)

中・後期に入り、チマ(韓服のスカート)の腰部分(チマの一番の上で腰に巻きつける部分)が見え、チョゴリが体にぴったりつくようなボディラインがはっきりした服が流行した。「娼妓たちが男に呼びかけるときに着た服が、貴賎を問わず流行していて嘆かわしい」といわれたほどだった。


◆19世紀~20世紀初め(露出時代)

チョゴリの丈はさらに短くなり、身ごろも小さくなった。19世紀~20世紀初めには最も短いチョゴリが登場した。

チマとチョゴリの間を隠す「胸隠し」が必需品になった。

この時期の写真に多く見られる胸を露出した女性たちは胸隠しをしていないためのものだ。




相変わらず、「あった歴史」より「(こう)あるべき歴史」が優先されるようですね。