勤労挺身隊問題、三菱重工業「協議の場設ける」
(聯合ニュース 2010/07/15) 


 日本の三菱重工業が太平洋戦争中に強制労働に動員した勤労挺身隊被害者の問題について、交渉の意志を示したことが確認された。日本による植民地支配からの解放後、強制徴用被害者に対する日本企業の補償が初めて行われるかどうかに注目が集まっている。

 市民団体「勤労挺身隊ハルモニ(おばあさん)とともにする市民の集まり」が15日に明らかにしたところによると、三菱重工業は14日に勤労挺身隊問題解決に関連する協議の場を設けることに同意するとの意志を「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」に伝えた。支援する会は、勤労挺身隊問題の解決に向け結成された日本の団体で、被害者の損害賠償訴訟などを支援してきた。

 「勤労挺身隊ハルモニとともにする市民の集まり」は先月23~24日、東京の三菱重工業本社を訪問し、勤労挺身隊問題の解決を促す韓国の国会議員100人をはじめ13万4162人の署名のコピーを渡し、交渉に応じるよう求めた。

 三菱重工業は議論の末、謝罪と補償がある程度必要との事実を認め、交渉のテーブルに乗るとの意志を示したという。

 同団体関係者は「三菱重工業は、日本に対する韓国内の否定的な世論を相当負担に感じていた。交渉は来月ごろ始まるとみられるが、補償や謝罪問題など、交渉がうまく行われるかは見守りたい」と述べた。




徴用66年ぶりに叫んだ挺身隊おばあさんの「万歳」
(聯合ニュース 韓国語 2010/07/15)

徴用から交渉成功まで..過程と展望

「スローガンを叫びましょうか? 万歳を叫びましょうか? 万歳にしましょう!」

勤労挺身隊おばあさんとこれらを支援する市民の会の恨(ハン)を抱いた叫びが絶えなかった光州三菱自動車展示場の前で、“万歳三唱”が鳴り響いた。


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『勤労挺身隊ハルモニとともにする市民の会(市民の会)』は15日午前、三菱重工業の交渉意志表明を歓迎する記者会見を行った。

三菱重工業の態度の変化に鼓舞したおばあさんたちは、「眠っていた良心を目覚ました。勝利を祝おう」という進行者の叫びに、万歳で応えて感激を分かち合った。

日本強占期に勤労挺身隊に引きずられて行って66年、解放65年、損害賠償訴訟11年ぶりの小さな歓呼であった。


◇三菱重工業「協議しよう」

三菱重工業は去る14日、『名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会(名古屋訴訟支援会)』に、“協議の場”を設けることに同意する、という意思を知らせる公文書を送った。

この会社は、協議期間中、韓国・日本の両国で挺身隊問題とかかわる三菱関連会社を対象にした集会や署名活動、不買運動を控えるよう要請した。

これは、先月23日に日本を訪問した、市民の会とイ・ヨンソプ議員などの提案に対する回答だ。

当時、市民の会は三歩一拝で三菱の謝罪と日本政府の賠償を促した。

これらは、13万4千人余りの署名を三菱重工業と日本政府に伝達し、7月15日までに交渉テーブルの用意に参加してほしいと通知した。

市民の会側は、三菱の今回の立場表明に対して、「200日近い光州市民の1人デモ、日本政府の年金脱退手当て'99円'に反発して署名した国民の怒りの前に跪いた」として「国籍を越えて人権と正義を回復しようとする韓日両国市民の連帯闘争と汎国民的抵抗が、解放以後65年間眠っていた戦犯企業の良心を目覚ました」と評価した。

三菱の今回の措置には、日本政府の戦後処理に対する見解が変わったことも反映されたという分析だ。

日本内閣第二人者であり、公式スポークスマンの仙谷由人・官房長官は、最近、日帝時代の強制徴用者などに対する日本政府の対応が不十分だったことを率直に認めて、政府次元の補償に意欲を見せたことがある。


◇晩時之歎...正義回復のための第一歩

市民の会は、三菱重工業の決断を歓迎しながらも『晩時之歎(時機を逸して嘆く)』という見解を明らかにした。

徴用被害者らが三菱重工業名古屋航空機製作所に引きずられて行って若さを捧げた後、66年ぶりに交渉の第一歩を踏んだためだ。

三菱重工業は1944年5月、全南出身150人余り、忠南出身150人余りなど、300人余りの少女を名古屋航空機製作所で徴用した。

これらは、同年12月の東南海地震で木浦、羅州、光州出身の同僚6人が亡くなる痛みを体験した後、解放をむかえ、1945年10月に身一つで帰国しなければならなかった。

数十年が過ぎてこれらを記憶していた人は、名古屋の一部の良心的な市民らだった。

1988年12月、名古屋の一部市民らは、三菱工場の中に当時の朝鮮人犠牲者のための追悼碑を建設した。

それから10年余りがまた流れた後、ヤン・クムドクおばあさん(82)など8人は、1999年3月、日本政府と三菱重工業を相手に損害賠償訴訟を起こしたが、2005年3月の名古屋地方裁判所、2007年の名古屋高等裁判所、2008年11月の東京最高裁判所で、すべて棄却判決を受けた。

意のある地域の人々はこれに反発して翌年3月に市民の会を結成し、挺身隊問題解決を促す2万8千人余りの署名を三菱重工業に伝達した。

これらの努力にもかかわらず、同年9月に日本厚生労働省社会保険庁は原告8人に対する厚生年金加入事実を確認してから3か月後、年金脱退手当てとしてラーメン1個の値段に過ぎない99円を支給して波紋が生じた。

市民の会は以後、三菱自動車光州展示場開場に反発して1人デモを始めたし、'99円支給'と関連し、厚生労働省を訪問するなど抗議活動を行った。


◇痛みを治癒するのはお金でなく謝罪

被害おばあさんと遺族などの第一の要求は、日本政府と三菱重工業側の謝罪だ。

ある遺族は記者会見で「お金は、光州の市民の会と名古屋の市民の会に寄贈する意志もある」として「補償金がいくらでも解決する痛みではないだけに、必ず謝罪が先行しなければならない」と強調した。

市民の会はこうした被害者らの意見を取りまとめて、最優先の条件として謝罪を前に出す予定だ
。

市民の会は、今月中に訪韓予定の名古屋訴訟支援会と被害当事者、遺族間との協議を通じて具体的な交渉方法、要求案などを決める方針だ。

市民の会は特に、80代になったおばあさんたちのために遅滞する時間がないと判断、最大限はやく交渉テーブルを設けて、光復節の来月15日前に具体的な協議案を引き出す方針だ。

三菱重工業の要請により、1人デモなど反三菱活動も暫定的に中断することにした。

市民の会代表キム・ヒヨン牧師は「三菱側の決定は、一時状況をまぬがれるためのものでなく、真心が含まれているようだ」として、ひとまず三菱の真正性を信じて交渉に臨むという立場だ。(機械翻訳 若干修正)




三菱重工業の勤労挺身隊徴用事件日誌
(聯合ニュース 韓国語 2010/07/15)

三菱重工業が徴用66年ぶりに、勤労挺身隊問題と関連する協議に応じる、という意向を明らかにした。

1944年、名古屋航空機製作所で韓国少女らを徴用した三菱重工業と徴用被害者らとの交渉が紆余曲折の末、成し遂げたのだ。

『勤労挺身隊ハルモニとともにする市民の会』と被害おばあさんらは、ひとまず三菱の真正性を信じて謝罪と補償のための協議に入る方針だ。

次は勤労挺身隊徴用問題関連状況日誌

▲1944.5.30 木浦、羅州、光州、順天、麗水など全南、忠南出身少女300人余り、三菱重工業名古屋航空機製作所に引きずられて行く
▲1944.12.7 東南海地震で木浦、羅州、光州出身の6人死亡
▲1945.8.15 解放(帰国は1945年10月中旬)
▲1988.12.7 一部の名古屋市民、三菱工場に朝鮮人犠牲者追悼碑を建設
▲1999.3.1 ヤン・クムドクおばあさん他7人が日本政府と三菱重工業を相手に損害賠償訴訟を開始
▲2005.3.24 名古屋地方裁判所『棄却』判決
▲2007.5.30 名古屋高等裁判所『棄却』判決
▲2008.11.11 東京最高裁判所『棄却』判決
▲2009.3.12 『勤労挺身隊ハルモニとともにする市民の会』結成
▲2009.6.25 勤労挺身隊問題解決を促す2万8千174人の署名を三菱重工業本社に渡す
▲2009.7.25 原告キム・ヘオクおばあさん死亡
▲2009.9.7 日本社会保険庁、原告8人に対する厚生年金加入事実確認
▲2009.10.5 三菱自動車光州展示場開設に反発、“1人デモ”突入
▲2009.12月中旬 日本厚生労働省社会保険庁が、厚生年金脱退手当て99円支給
▲2010.1.24 市民の会、ヤン・クムドクおばあさんなど『99円波紋』と関連して、三菱重工業と厚生労働省に抗議訪問
▲2010.6.23 市民の会、13万4千162人の署名を三菱重工業と日本政府に渡す、三菱重工業側との面談で7月15日までに勤労挺身隊問題解決ための協議体の構成を要求
▲2010.7.14 三菱重工業『名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会』を通じて協議体の構成案の受入れ意志を伝える




71564365.jpg「日本の最高裁の判決よりウリの感情が尊重されるのはあたりまえニダ♪」




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