(東亜日報 韓国語 2014/10/02)
《先月29日、江陵港を出発して3時間の間に船酔いに患い、鬱陵島に到着した。港から車で30分走ると海辺に連接した土窟『黄土九味』が見えた。幅40m、高さ5.2mであるこの土窟は不思議にも右側堆積層がきらめく赤黄色を帯びていた。このきれいな色の堆積層を研ぎ澄ませば丹青に必要な『石間朱(赤色の天然顔料)』となる。
朝鮮時代、鬱陵島の石間朱は定期的に進上されるほど最上の品質を誇った。粛宗実録壬午年(1702年)の記録に「三陟営将イ・ジュンミョンが鬱陵島より紫檀香と青竹、石間朱を朝廷に捧げた」という内容が記されている。》

朝鮮時代、鬱陵島の石間朱は定期的に進上されるほど最上の品質を誇った。粛宗実録壬午年(1702年)の記録に「三陟営将イ・ジュンミョンが鬱陵島より紫檀香と青竹、石間朱を朝廷に捧げた」という内容が記されている。》

文化財庁傘下の国立文化財研究所研究員4名が鬱陵島を訪れたのも、崇礼門の丹青復旧に要る『石間朱』を得るためであった。しかし、黄土九味は激しい風化作用で落石が頻繁に落ちてきて、入口を鉄条網で防いでいる。研究員は鉄条網をかろうじて越え、ヘルメットなど保護装具を取り備えて着た。
彼らは黄土九味のあちこちをレーザー計測装備で測った後、標準色相表を取り出して石間朱の色と詳らかに比較した。引き続き『X線蛍光分析器(XRF)』で鉄分や銅など岩石の種類と割合を測定した。研究所に持っていくサンプルを採取するために岩の表面をメスでそっとこそげた。現場を指揮したハン・ミンス学芸研究家は「各堆積層ごとに石間朱の色が違うのでサンプルを10個程度採取して実験してみる」と説明した。
さて残っていることは半日以上かかる『柱状図』を描くこと。各堆積層の断面を紙に一つ一つ描きこむ至難な作業だ。石間朱が入った堆積層の幅と粒子の大きさなどを詳細に表示する。ある学芸研究家は「石間朱の化学的特性を正しく究明するには堆積層がどの時期にどのように生成されたかを把握しなければならないため、入念に描かなければならない。写真ではできない作業」と話した。
研究チームによれば、石間朱がある堆積層は火山の噴火で噴出した火山灰が積もった凝灰岩で、5000万年前ぐらいに生成されたと推定される。チョン・ヘヨン文化財研究所学芸研究家は「石間朱内の酸化鉄の成分が赤い光を出す」として「自然が人間にプレゼントした貴重な贈り物」と話した。
1泊2日の鬱陵島調査を終わらせた研究チームは、石間朱のサンプルを大田研究所に持ってきて、天然顔料の標準色を具現化して伝統製法を明らかにする作業に着手した。
朝鮮王朝実録などの古文献に天然顔料の名称は出てくるが具体的な製法は書かれていない。
研究所では複数の天然顔料を加熱して温度によりどんな色の変化を起こすのかなどを測定する予定だ。イ・チャンジョン文化財研究所研究員は「伝統匠人とこれまでの遺物調査を通じて把握した天然顔料の標準色に到達するまで実験を繰り返す」と話した。
研究所では複数の天然顔料を加熱して温度によりどんな色の変化を起こすのかなどを測定する予定だ。イ・チャンジョン文化財研究所研究員は「伝統匠人とこれまでの遺物調査を通じて把握した天然顔料の標準色に到達するまで実験を繰り返す」と話した。
文化財庁は、2018年までに崇礼門の丹青を化学顔料ではなく天然顔料で復元することにした。文化財庁は昨年、崇礼門の丹青が剥がれていくなど不良復元論議が起き、庁長と担当局長が相次いで更迭されるはしかを経験した。
しかし、1970年代以降、丹青の顔料として比較的値段が安い化学材料のみ使用し、接着剤もほとんど日本から輸入し、伝統顔料の製法が消えた。
文化財研究所は天然顔料復元のために朝鮮王朝実録と承政院日記などに出ている記録をもとに、まず鬱陵島の石間朱と慶尚北道浦項市の磊城山の『磊緑(緑色の天然顔料)』から採取した。
研究所は今後、赤・青・緑・黄・白・黒・金・銀など8種類の色をすべて復元する計画だ。(機械翻訳 若干修正)
研究所は今後、赤・青・緑・黄・白・黒・金・銀など8種類の色をすべて復元する計画だ。(機械翻訳 若干修正)
>朝鮮王朝実録などの古文献に天然顔料の名称は出てくるが具体的な製法は書かれていない。
>1970年代以降、~~伝統顔料の製法が消えた。
1970年代まであった“伝統製法”が、朝鮮時代の資料に書かれていないことが問題なんですか?
伝統は輸入ですよね↓。
伝統は輸入ですよね↓。
| 朝鮮時代も国内産の顔料不足… 「中国・日本から輸入」の記録 (中央日報 韓国語 2013/01/03) ◆色のついた石と土が不足 朝鮮時代にも国内の天然顔料生産は活発でなかった。様々な色の岩や土が不足しており、『磊緑』・『磻朱紅』など三,四色を除きほとんど中国から持ってきていた。 特に赤い色の顔料のうち最も多く使われた『唐朱紅』は全量を中国から輸入した。 実際、『光海君日記』の光海君9年(1617年)の記録には、昌慶宮建設の責任を負った営建都監(宮廷や城郭などの建築を担当した機関)の官吏が「唐朱紅600斤の価格を計算してみると60銅にもなり、貿易するのがとても難しいです。我が国の朱紅でするのはいかがですか」と話したという内容が記されている。 朝鮮時代の宮廷の丹青の地色に使われた『三青』や『三緑』なども中国産だった。『承政院日記』の仁祖4年(1626年)の記録には、明国から毎年三青や三録などを持ってきたが、幸いなことに備蓄量が多くて今年は買って来ないと報告する内容がある。 『世宗実録』の世宗11年(1429年)の記事にも青黒い色の顔料である『深重青』の原石を日本から持ってきたし、画員を日本に送って製造法を学ぶようにしたという部分がある。(略)(機械翻訳 若干修正) |
2014年08月04日
崇礼門の丹青を塗りなおすニダ! ただし伝統顔料と伝統接着剤をこれから研究しなければならないので早くても4年後ニダ!

