(朝鮮日報 2016/03/20)

 米国の韓国学研究者でカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)教授のジョン・ダンカン氏に対し、数年前にインタビューをしたとき、記事に書けなかったことがある。ダンカン教授はこう言った。「西洋で韓国の成功を心から認めたのはいつだったか知っていますか。1988年のソウル五輪だと思いますか。違います。2002年のサッカー・ワールドカップ(W杯)韓日大会のときです。西洋人たちは『サウス・コリア(韓国)が日本と共にW杯を開催できるほど発展したのか』と驚きました」。ダンカン教授は「西洋人たちが日本を基準にしていることは苦々しく思うかもしれないが、それが事実だ」とも話した。

 個人的な経験だが、日本が韓国の広報大使の役割を果たしていると感じたことがある。2008年、早稲田大学で1年間研修を受けたとき、米国や英国、フランスなどから来た留学生たちと一緒に講義を聴く機会があった。彼らは最初、韓国についてよく知らない様子だった。韓国と北朝鮮を混同する人もいた。だが、数カ月一緒に過ごす中で変わっていった。韓国に対し関心を示すようになったのだ。

 当時は韓日関係が最もよかったときだ。日本テレビは連日、韓国関連のニュースを伝えた。韓国ドラマを放送しないテレビ局は見当たらなかった。有名な芸能人たちがバラエティー番組で「韓国の化粧品が優れているのは知っているでしょ。これを塗っているから、韓国の女性たちはきれいなんです。それでいて値段もこんなに安いし」と大げさに宣伝した。西欧の留学生たちが韓国に関心を持たないのはむしろ、おかしなことだった。韓国と北朝鮮の違いも遅まきながら知るようになった。

 「韓流」が欧州に広まり始めた時期には、日本の貢献が少なからずあった。日本のアニメやJ-POPにはまっていた欧州の若者たちが、日本のテレビや雑誌を見ていて、韓国に関する情報に接した。ドラマ『冬のソナタ』で「ヨン様」ブームが巻き起こったとき、欧州の日本マニアたちも韓国ドラマに関心を持つようになった。K-POPが欧州に広まったのもまた、日本の貢献があった。

 韓国の歌手BoAが日本でデビューしたのは2001年だった。その翌年にはオリコンチャートで1位に浮上し、年末のNHK紅白歌合戦に6年連続で出場、K-POPブームを主導した。韓日関係が冷え込む直前の2011年には、東方神起や少女時代、KARAも紅白歌合戦に出場した。同年4月、フランス・パリで欧州初のK-POPのコンサートが開かれた背景に、日本の韓流ブームがあったということは否定できない。当時、コンサートホールを埋め尽くした約1万4000人の欧州の若者たちは、スーパージュニアや少女時代のダンスをまね、韓国語で歌も歌った。こうして西洋に韓流ブームが巻き起こった。

 日本が韓国の隣に位置しているという事実は、韓国にとって否定的な出来事を多くもたらした。古くは壬辰倭乱(じんしんわらん、文禄・慶長の役)、そして前世紀には強制併合という侵略の歴史があった。だが、日本が隣国だということ自体は、必ずしも否定的なことばかりではない。日本は東洋で唯一、西欧諸国が先進国として認める国だ。韓国がその隣にあるという事実は、地理的な利点にもなり得る。これを最大限活用できるかどうかは結局、韓国の力量に懸かっている。李漢洙(イ・ハンス)文化部次長

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