(SBSニュース 韓国語 2016/04/04)
<アンカー>
日本のある美術館が自分たちが持っている韓国文化財のすべてを私たち側に初めて公開しました。他の日本の博物館にも良い手本になるか注目されます。東京でチェ・ホウォン特派員です。

<記者>
東京の『日本民藝館』が開催した『朝鮮工芸の美』展です。


日本民藝館の設立者である柳宗悦(やなぎむねよし)氏が1916年から収集した朝鮮の陶磁器と絵画、工芸品など300点余りが紹介されました。

朝鮮白磁の中の韓国の虎の大きくてぎらぎらした目つきは、同じ時期に想像だけで描かれた日本の虎とは全く違います。


牛角を薄く削ってその上に絵を描いた画角箱は朝鮮仏教美術の真髄を示しています。
王孫出身の画家である李厳先生の花下狗子図。絵の中の子犬三匹は韓国にある李厳先生の花鳥狗子図と全く同じです。

[ドイ/日本人観覧客:不快感を与えない、平和な美しさを深く感じることができます。]
展示に先立ち、日本の日本民藝館側は自分たちが所蔵する韓国文化財1600点余りのすべてを2年間、私たちの国外所在文化財財団に公開しました。
[杉山享司/日本民藝館学芸部長:私たちが所蔵する韓国文化財の全量を韓国側に任せて文化財的価値をきちんと明らかにしたかったです。]
東京国立博物館、大倉集古館など多くの日本の美術館や博物館は、まだ韓国文化財の所蔵状況をしっかり隠しています。
今回の日本民藝館の事例が、韓国文化財を保有する他の日本の美術館が韓国側の資料調査要請に応じる契機になるのか注目されます。(機械翻訳 若干修正)
こんな↓ふうに創業者や寄贈者を泥棒呼ばわりしていて協力が得られるわけはないですね。
日本民藝館 | 柳宗悦と日本民藝館 (ウィキペディア) 日本民藝館の創設者である柳宗悦は、日本各地の焼き物、染織、漆器、木竹工など、無名の工人の作になる日用雑器、朝鮮王朝時代の美術工芸品、木喰(もくじき)の仏像など、それまでの美術史が正当に評価してこなかった、西洋的な意味でのファインアートでもなく高価な古美術品でもない、無名の職人による民衆的美術工芸の美を発掘し、世に紹介することに努め、「民芸運動」を創始したことでも知られている。(略) 柳は、1914年(大正3年)、朝鮮陶磁研究家の浅川伯教(あさかわのりたか)との出会いを通じて朝鮮の美術に関心をもつようになる。(略) 1921年(大正10年)には東京・神田にて日本初の朝鮮美術展を開催、1924年(大正13年)には、浅川伯教と弟の浅川巧の援助を得て、ソウルの景福宮内に「朝鮮民族美術館」を開設するに至った。(略) 柳は日本各地に個性的な仏像を残した江戸時代の遊行僧・木喰の再発見者としても知られ、1923年(大正12年)以来、木喰の事績を求めて佐渡をはじめ日本各地に調査旅行をしている。(略) 現代日本語の表現として定着している「民芸(民藝)」という言葉自体が、この時期柳らによって使い始められた造語である。(略) 柳は、当時ほとんど研究が進んでおらず、美術品としての評価も定まっていなかった日本各地の民衆的工芸品の調査・収集のため、日本全国を精力的に旅した。柳は、こうして収集した工芸品を私有せず広く一般に公開したいと考えていた。(略) 実業家大原孫三郎(株式会社クラレ、大原美術館、大原社会問題研究所などの創設者)より経済面の援助を得て、1936年(昭和11年)、東京・駒場の自邸隣に日本民藝館を開設した。木造瓦葺き2階建ての蔵造りを思わせる日本民藝館本館は、第二次世界大戦にも焼け残り、戦後も民芸運動の拠点として地道に活動を継続してきた。 |
こんな↓ふうに創業者や寄贈者を泥棒呼ばわりしていて協力が得られるわけはないですね。
2011年08月10日
2015年04月15日

