(聯合ニュース 韓国語 2016/06/07)
韓国銀行、ソウル市立美術館、麻浦区レミアンプルジオアパート。
特別なつながりがないように見えるこれらの建築物の共通点は日帝強占期に朝鮮総督を務めた日本人の文字が彫られた礎石が残っているということだ。
イ・スンウ民族問題研究所責任研究員は、最近作成した『朝鮮総督が残した汚辱の跡‐植民統治者の揮毫が彫られた定礎石(礎石)と記念碑』という文で、私たちのそばに日帝強占期の残滓が依然として残っていると7日、伝えた。
周りでよく見られる古い建築物と造形物の礎石・表示石に書かれた文字が朝鮮総督などが書いたという事実を偶然に知るようになったイ研究員は、事例を収集して現状の把握に出た。
代表的なものが朝鮮総督(韓国統監)の揮毫が彫られた韓国銀行本店の礎石である。この礎石に彫られた揮毫は安重根義士に処断された伊藤博文が書いたものである。

▲韓国銀行本店建物の伊藤博文の揮毫が彫られた礎石
1920年代、昔の京城駅舎を新築した当時、斎藤実総督の文字を受けて付着したソウル駅の礎石も書いた人が誰なのか知らせる部分はつぶれていたが、依然としてその場にある。

▲京城駅の定礎。斎藤実総督揮毫(イ・スンウ民族問題研究所責任研究員資料から)
ソウル市立美術館には、1927年に京城裁判所庁舎を新築しながら斎藤総督の文字で製作した礎石が鮮やかな字体で残っている。

▲京城裁判所庁舎の定礎。斎藤実総督揮毫(ネットから)
祭基洞の先農壇に建てられ、仁川市立博物館に移された蚕霊供養塔の碑石の前面の下には小さな文字で『皐水』(「皋水」の間違い)と書かれているが、これは斎藤総督の号である。


▲蚕霊供養塔の碑石。斎藤実総督揮毫(ネットから)
延世大キャンパスには『興亜維新記念塔』という造形物がある。太平洋戦争を称賛する意味を込めて建てたもので、南次郎総督の文字が刻まれている。

▲興亜維新記念塔。南次郎総督揮毫(ネットから)
イ研究員は「朝鮮総督の文字が入れられた礎石などの造形物は、ソウルだけでなく全国で発見することができる」とし「古い記念植樹の横に打ち込まれた杭に書かれた文字も日帝の高位官僚が書いたものが多い」と説明した。
麻浦警察署近くに新たに建てられた麻浦レミアンプルジオアパート団地の進入路の終わりに設置された『善通物』という表示石もこのような記念造形物の一つである。
案内板には「善通物表示石はここに過去、水路である善通物川があったことを教える役割をした。善通物川は物が先に通過する小川という意」という標示石の歴史的意味とともに表示石が原型そのままに複製され、今の場所に移転されたという内容が含まれている。
イ研究員は「この表示石に文字を書いた人物は日帝強占期に朝鮮総督だった宇垣一成だが、こうした説明は抜けている」とし「ここに流れた水路も善通物川と受け入れられたことはない。案内板の内容に間違っている部分が多い」と指摘した。
実際、この表示石の左側には『朝鮮総督 宇垣一成』と漢字で書かれている。

▲麻浦レミアンプルジオアパート団地の『善通物』標示石。朝鮮総督を務めた宇垣一成の文字が刻まれている
イ研究員は「日帝が麻浦排水トンネルを造った時に入口の上端に『善通物』と書いた石版を作って付着したのでこのような誤解が生じた」とし「善通物川という表現自体が日帝強占期の産物であるわけで、朝鮮総督の文字をあえてお金を使って複製品まで作って展示しなければならなかったのかよく分からない」と説明した。
植民地時代の残滓だからと無条件でなくすことが出来るものではないが、辛い歴史の跡がソウルのあちこちに残っていることを人々が知らずに過ぎ去ることが残念だとイ研究員は指摘した。
彼は「日帝が残した跡も私たちの歴史だから保存はしなければならない」とし「ただし、私たちの歴史を正しく知り、果を得ることができる教育の手段として活用しなければならない」と述べた。(機械翻訳 若干修正)
どうせ撤去運動が起こるんでしょ。
【追記】 1さんが残念がっていたので、今さらですが画像を追加しました。
歴史通2016年7月号どうせ撤去運動が起こるんでしょ。
【追記】 1さんが残念がっていたので、今さらですが画像を追加しました。


斎藤総督の揮毫が見たかったからこの記事開いたの!