(朝鮮日報 韓国語 2016/06/17)
チェ・ポシク選任記者
『降り注ぐ砲火の中で肉弾突撃で北朝鮮軍の戦車を破壊した』故シム・イル(沈鎰)少領(少佐に相当)は6・25護国の英雄のうち最初の列にある。泰陵陸軍士官学校の校庭や原州市の顕忠公園などに彼の銅像が立っている。陸軍では毎年、最も優秀な戦闘中隊長を選抜して『シム・イル賞』を授けている。


▲2006年6月6日に原州市台壮洞の顕忠塔内の小公園内に建てられたシム・イル少尉(ママ)の銅像
国家報勲処が2011年に『今月の6・25戦争の英雄』を制定した時も最初にシム・イル少領が選ばれた。選定理由はこのようになっている。
〈1950.6.25の春川戦闘で第6師団第7連隊の対戦車砲隊の第2小隊長として北朝鮮軍の戦車型自走砲に対抗し、特攻隊5人を編成して手榴弾と火炎瓶で肉弾突撃、3台を撃破する戦功を収めた。彼の英雄的な行動は瞬く間に伝播して、すべての前線で肉弾攻撃により敵戦車を破壊する契機になった。〉
世間には、これよりはるかに劇的で生き生きと伝えられてた。〈シム・イル小隊長を先頭に5人の特攻隊が北朝鮮軍の戦車に飛び乗り、砲塔の蓋を開けて手榴弾と火炎瓶を投げて飛び降りるとすぐに火柱が立ち上がり…〉筆者の小学校の時の教科書にもこの英雄譚が載せられていたと記憶される。

▲去る2014年6月27日、江原道春川市新北邑の第102補充隊の前で6・25戦争当時のシム・イル少尉(ママ)と肉弾勇士が北朝鮮軍の戦車を制圧する場面が演出されている。
ところが、春川戦闘当時、第7連隊第1大隊第1中隊長だったイ・デヨン元駐越公使が、交戦4日間の状況と軍の配置図などを几帳面に記録した資料を渡してきた。
このような意見が添付されていた。「わが軍は過去に犯した虚偽捏造の誤りを果敢に正して正道を堂々と歩いていかなければならない。予備役陸軍准将イ・デヨン」
驚くべきことに91歳の老兵が正そうとしていることが、まさにシム・イル少領の英雄譚だった。
「このように偽りの神話が作られることは、当時は誰も分からなかった。春川戦闘でシム・イル小隊長は肉弾突撃でなく逃げた。私はすぐ上の高地でその状況を見ることができた。衆寡不敵であった。だが、対戦車砲1門を敵に渡して逃げたことは問題になった。彼の中隊長は激怒して『銃殺対象者』として上部に報告した。」
シム・イルは職務解任され、後に閑職である砲兵連絡将校を務めた。国軍が北進したが中共軍の介入で退却する時は、その中にいた。1951年1月26日、彼は他の将校1人、兵3人と共に妙香山の火田民(焼畑農業を行う農民)の穴倉に隠れた。だが、中共軍にすぐに包囲された。彼は兵1人と共に裏口から飛び出して銃に撃たれて亡くなった。その時、28歳であった。他の3人は中共軍の捕虜になった。数日後、このうち将校は監視が疎かな隙に乗じて脱出した。その将校を通じてシム・イルの戦死の事実が確認された。
シム・イルの親は第7連隊を訪ね、「学兵として行った3番目も生死不明だ。共匪(中共のゲリラ)討伐をしていた警察の2番目は不治の病にかかった。長男(シム・イル)まで死んだので、もう末っ子一人だけが残った」と泣いた。
これに後任の連隊長が「勲章を一つ授ける」と約束して帰宅させた。
これに後任の連隊長が「勲章を一つ授ける」と約束して帰宅させた。
副官が「シム・イルは春川戦闘で逃げたし勲章を与えるほどの戦功がない」と報告すると、連隊長は「おい、こいつは『ノモンハン戦闘(1939年)』(日ソ戦)式ですれば良いじゃないか。満州で日本軍が肉弾突撃してソ連軍の戦車の蓋を開けて手榴弾を入れたことだ。息子をこのようにたくさん国に捧げたのに、勲章を作らなくてはならない」と叱り飛ばした。
たとえ操作だが善意が土台になったのである。1951年10月、シム・イルに太極武功勲章が出た。親に勲章を伝達して終わったものと感じた。
ところが、国防部(省に相当)政訓局の将校が偶然に勲章の上申書を見て「すごい英雄を発見した」と国防雑誌に紹介した。
これをシム・イルの陸軍士官学校時代の教官だった大領(大佐に相当)が見て「教官時代に生徒に『ノモンハン戦闘』で精神教育をしたが、シム・イルがそのまま実践した」と広めた。
これをシム・イルの陸軍士官学校時代の教官だった大領(大佐に相当)が見て「教官時代に生徒に『ノモンハン戦闘』で精神教育をしたが、シム・イルがそのまま実践した」と広めた。
軍首脳部と親しかった彼はストーリーをもう一つ作り出した。「中共軍に包囲されて脱出したシム・イルが私を訪ねてきたので捜索中隊長の職務を与えて寧越戦闘に送りだしたが、敵弾に亡くなった。」
そのようにして寧越にシム・イルの慰霊碑が立てられた。
偽りの神話が作られるのをなぜその時に正すことができなかったのだろうか。イ・デヨン元公使はこのように述懐した。
「1970年代頃、春川戦闘当時の連隊長と会って『シム・イルのご両親が亡くなった後に正そう』と議論した。ところがシム・イルの母親は満100歳まで生きて2005年に死亡した。それまでに連隊長が先に亡くなり、戦友もあの世の人になった。結局、生きている私に責任が残ることになった。」
彼は、これまで国防部と6・25戦死編纂委員会にこのような証言を伝えた。だが『神話』として固まったものを今になって訂正を気にした。マスコミに身を置いてみれば、事実を記録することには時に勇気が必要だ。さらにすべての人が事実と信じたいことを事実ではないと正そうとする時は、自分のすべてを賭けなければならないほど危険である。(機械翻訳 若干修正)
他の“韓国の英雄”はどれくらい盛られ(無から有?)ているんですかね。
他の“韓国の英雄”はどれくらい盛られ(無から有?)ているんですかね。

