(KBSニュース 韓国語 2016/07/15)
「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本記に記されていることに、韓国とのゆかりを感じます。」
2001年12月、日本の明仁日王が自分の誕生日に公開の席上で自ら百済の子孫であることを告白した内容である。日本王室が明らかに百済の血筋という告白は日本社会に大きな波紋を起こした。私たちとしては当然の事実が日本には衝撃であった。
今年82歳である明仁日王は、2005年にサイパンにある韓国人戦没者慰霊塔を参拝した。太平洋戦争を起こした父裕仁日王の過ちを洗おうとする懺悔の歩みを見せたのである。
また、2015年8月15日には、第2次世界大戦について反省し、謝罪の意を明らかにした。子供の頃、戦争の惨禍を見届けた日王は心から沸き出た謝罪をしたものだった。
このように‘日本の静かな良心’と知らされた明仁日王が、「生きている間に退位する」と明らかにしたと日本宮内庁関係者たちが伝えた。明治維新以来、初めて生きている王が王位を譲るというものである。
このようなニュースが伝えられると日本のオンラインでは明仁日王が〈安倍の改憲を阻止するために退位という強手を置いた〉という文が飛び交い始めた。『秒刊SUNDAY』というオンラインメディアは「(日王が退位する場合)皇室典範改正が憲法改正より優先されるため、このような話が出たと見られる」と伝えた。
※秒刊SUNDAYの記事は、ネットではこんな説も流れているが「もちろん根拠はない」というもの。
日本のマスコミを通じて公開された日王の発言は「憲法が定めた象徴としての務めを十分に果たせる人が日王の位にあるべき」という内容だけである。ところが、日王が退任意思を明らかにしながら、あえて‘象徴日王’という言葉を使ったのは、彼が現行の『日本国憲法』(1946年制定)を守ろうとする意志と見られる。
日本を第2次世界大戦の惨禍に導いた『大日本帝国憲法』(1889年)の第1条は〈大日本帝国は万世一系の日王がこれを統治する〉と書かれている。これに対して戦後新しく作られた現在の日本の憲法の第1条は〈日王は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権を存する日本国民の総意に基く〉とされている。第2次大戦で敗北した日本人たちはこれを通じて日本の主権者は日王でなく国民であることを明らかにしたのである。『統治者』の地位から降りた日王は日本の『象徴』的な役割に留まっている。
日本の憲法が日王の地位を『象徴』に限定したのは、過去の日本の憲法が〈天皇は陸海軍を統帥す〉と明示したことにより、軍の命令権を持つのは日王だけだと規定しているためであった。象徴を明文化して軍統帥権を奪ったのである。
このように、現在の日本の憲法は日王を単純に『国民統合の象徴』として置いており、王室の政治介入を禁止しているので、この時点で『退位』という非常手段を使ったというのである。そのため明仁日王が『生前譲位』カードを突然投じた理由は、安倍晋三日本総理が‘戦争をすることができる普通国家に’改憲することを防ぐための超強手という分析が出ている。
なぜなら、自民党が公開した改憲草案に、現行の憲法上〈日本国民の象徴〉である日王を国家の『元首』に昇格する条項が含まれているためである。自民党の憲法草案に基づいて日王を『元首』として明文化した場合、日王は既存の儀礼行事のみ担当するのではなく、条約締結など実質的に国家を代表する権限を持つようになる。
一見、王の権力が大きくなるようだが、これは明治時代を導いた元勲勢力が政治的責任を回避するために明治日王を名目上、前に出した手法と同じである。すなわち、日本内閣と王室の間の権力関係で王室の位置づけはむしろ弱くなり、責任だけ負うのである。
これについて毎日新聞は、自民党の憲法前文は〈国民が日王を戴く〉上下関係として置いており、国民主権を侵害する素地があると指摘した。
このため、明仁日王が生前に王位を譲るというのは、最近の参議院選挙の勝利を契機に安倍総理が推進する憲法改正を阻止しようとするものという解釈が出て波紋が大きくなっているのである。
ニューヨーク・タイムズは、日王が譲位の意向を明らかにした時点が、平和憲法の改正が可能になった安倍の参議院選挙勝利の3日後に出た点に注目した。
憲法改正をめぐる明仁日王と安倍総理の葛藤は日本政界でも公然の事実として知らされてきた。敗戦70周年を迎え、明仁日王が史上初めて『反省』を追悼文に入れることが分かると、安倍総理は日王より一日先に主語を省略したまま『反省』と『謝罪』が入れられた談話文を発表した。敗戦に対する認識が異なるのである。
日王の退位意思の表明について日本政府は極度に言葉を慎んだ。政府報道官である菅義偉官房長官は記者たちと会った席で「コメントすることは控える」と回答を回避した。
安倍総理は、15~16日にモンゴルで開かれるアジア欧州首脳会議(ASEM・ASEM)参加のために出国するのに先立ち、羽田空港で記者たちと会った席で「事柄の性格上、コメントすることは差し控えたい」と述べた。
江戸時代以来、200年ぶりに王が退こうとすることが起こると状況が複雑になった。王位を譲る場合、最初の息子である徳仁王世子が継承しなければならない。しかし、徳仁王世子は息子がいないので王位は文仁王子に移ることもあり得る。現在、日本の王室関連の法律である『皇室典範』は女性が王位を継承できないようにしているためである。
百済と新羅、高句麗の子孫が交替して権力争いと文化の伝播を成してきた日本で、百済王室の血統を受け継いだという事実を自ら告白した明仁日王。歴史歪曲と軍国主義が復活する日本で平和を守ろうとする良心を全身で見せているのではないだろうか。ペク・チヌォン記者(機械翻訳 若干修正)

天皇家の執事―侍従長の十年半 (文春文庫)


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