(マネートゥデイ 韓国語 2017/02/22)

日本が独島に領有権を主張するこじつけを並べ、毎年2月22日に『竹島の日』行事を強行している。特に『竹島の日』を迎え、日本メディアは「韓国が武力で独島を占拠した。また、日本漁船と船員を拿捕・拘禁した」という内容の報道を出している。

本日、日本政府は「韓国が独島を不法占拠している」とし、島根県が主催する『竹島の日』行事に次官級である務台俊介内閣府政務官を送った。竹島は独島の日本名で、日本政府は去る2013年2月以来、5年間、この行事に中央政府要人を派遣してきた。

特に日本の極右指向の産経新聞は、オンラインニュースウェブサイトである『産経WEST』に〈15歳の時に韓国に拿捕された小川岩夫さん〉という題名の報道を出しながら、日本国民に竹島に関連した日本政府の強力な行動が必要だと強調した。独島を占有している韓国の行為が不法であり、したがって、日本政府と国民が韓国に強く抗議しなければならないという論調だ。

産経は、韓国による不法竹島占拠が1952年の『李承晩ライン』(別名 平和線)宣言の時からで、『李承晩ライン』を越えたとの理由で1954年8月(産経記事では「11月」)、小川岩夫さんが乗っていた漁船が拿捕され、1955年6月まで8か月間、韓国に抑留されたと報道した。

小川岩夫さんは産経に「竹島の日を迎えるたびに怒りがこみ上げる。私は単に長崎や対馬近くで操業しようとしていた。韓国警備隊の銃声を聞き、慌てて船内に逃げ込んだ」としながら「釜山港の海洋警察に行くことになった。以後、韓国検察は私に『李承晩ラインに入ったか』と聞かれたが、私はそれが何かも知らなかった」と述べた。

彼によると、以後、小川岩夫さんをはじめとする21人の人達は、狭くてじめじめした監獄で過ごさなければならなかった。彼は産経に、この時期が本当に辛かったと吐露した。

小川岩夫さんはまた「20日ほど過ぎると、私を含め数人の乗組員は郊外に移動した。食事は主に米と塩がすべてであった。一人あたり毛布1枚ずつ配給されて非常に寒かった」としながら「さらに拘禁された8か月間、一度だけシャワーをした」と、当時自分が韓国で受けた待遇について声を高めた。

産経は、このような抑留・拘禁生活者が高齢化し、生存者も少ないということを強調し、『竹島』に対する日本政府の強力な態度を促して文を結んだ。

産経は「私が拿捕された当時、日本政府は韓国政府と真剣な交渉をしなかった。今も島根県主催の竹島記念式典に首相などさらに高い高位職が出席しない国の姿勢が残念だ」という小川岩夫さんの言葉で結論付けた。(機械翻訳 若干修正)


寒さに体寄せ合った15歳の抑留生活 「李承晩ライン越えた」韓国に拿捕された元漁船乗組員・小川岩夫さん…「日本政府の姿勢は冷淡」
(産経新聞 2017/02/22)

 韓国による竹島の不法占拠は、1952(昭和27)年の「李承晩ライン」宣言が出発点だ。この線を越えたとの理由で昭和29年11月、乗っていた漁船が拿捕(だほ)され、韓国で約8カ月の抑留生活を強いられた元漁船乗組員の小川岩夫さん(78)=松江市=は、「竹島の日」を迎えるたびに怒りがこみ上げる。

■人権侵害どころか「わずか8畳に21人、部屋の隅に排泄用の樽」

 バリバリバリ-。昭和29年11月、島根県浜田市の底引き漁船「第2大和丸」に乗り、長崎・対馬沖で漁の準備をしていた小川さん。韓国警備艇の激しい銃声を聞き、慌てて船内に逃げ込んだ。網でつながった「第1大和丸」ともども拿捕された。

 中学卒業後の29年8月、船に乗り始めて数度目の航海。釜山港で船から降ろされると、海洋警察へ。検事局に連行されて取り調べを受けた。「『李ラインに入ったか』と聞かれたが、15歳で下っ端の私が李ラインなど知るはずもなかった」

 留置場を経て刑務所に収監。刑務所内は劣悪な環境で、わらの布団と毛布が与えられただけで、厳しい寒さが体にこたえた。8畳ほどの板間に21人が詰め込まれて、すし詰め状態で「部屋の隅に排泄用の樽(たる)が置かれ、最年少者の私はそれを抱きかかえる形で寝なければならなかった」ことが辛かった。

◇風呂は1度だけ

 20日ほどが過ぎ、小川さんを含めた数人の乗組員は郊外の収容所に移った。食事は、石が交じった丸麦のご飯と岩塩を溶いた湯。ここでも毛布1枚しかなく寒くてたまらず、男同士で体を寄せ合い震えていた。わずかな楽しみは、近所なら自由に外出できたことだった。30年6月に釈放されるまでの8カ月間で風呂に入ったのは1度だけ。日本政府の接触はなく、「帰国後、政府からは抑留期間中の日当として1日千円分が出ただけ。ほかの補償やわびもなかった」。

 小川さんはその後も漁に出た。31年4月には、浜田から一緒に出漁した船が拿捕され、五島列島付近まで一目散に逃げたこともあった。平成2(1990)~5年頃は、かにかご漁船に。漁場までは竹島付近を通るルートで、「ヘリポートや警備の隊員がひなたぼっこをする姿などがよく見えた」と振り返る。

◇体験を語り継ぐ

 国が記念日を定め、式典を主催する北方領土。米トランプ政権に対しても「日米安保の対象」と言質を取り付けた尖閣諸島-。これらに比べ、島根県主催の記念式典で首相や閣僚の出席もなく、領土権の確立に向けて有効な手立てを打ち出せていない竹島に対する国の姿勢はあまりに冷淡だ-と嘆く。「拿捕当時、政府が真剣に交渉していたら、抑留生活も無駄じゃなかったのに」。

 抑留体験者が高齢化し、生存者も少なくなる中、語り継いでいく必要性を痛感している。