(大田日報 韓国語 2019/01/16)

イム・ヨンス燕岐郷土博物館長

上のタイトルは群山港で花闘[以下、花札]を売っている小さな店に書かれている文だ。

私が初めて遊びを研究する時に選択したのがまさに花札である。当時、新聞に載った記事は、我が国の人々が最も多く遊ぶ遊びが花札遊びだが、これは日本から渡ってきた賭博なので心配だという内容だった。そして、花札に付いて回る修飾語は『敗家亡身』、『亡国の近道』、『賭博中毒』などだった。

花札は、商人によって日本に流入した一種のポルトガルの紙片遊びである『カルタ(Carta)』から由来した。日本人たちはこれを徹底して日本の遊びにした。『ハナフダ』というものを作り、遊び兼賭博行為に利用されていたものが、朝鮮末期に対馬商人によって朝鮮に持ち込まれて現在に至る。

1926年に出版された『朝鮮賭博要覧』に次のような内容がある。

〈今から約30年前(1860年頃)内地(日本)で花札を朝鮮に輸出し…(中略)…内地(日本)の花札を使った博戯が盛んに行われた。〉

日本は花札を1909年に60万セット、翌年に86万セット、1911年に120万セットを輸出し、1900年代初めの5年間に合計376万セットを海外に輸出した。この期間に日本で消費された花札が321万セットだから輸出が54万セットも多かった。

また、1918年までの4年間、朝鮮に輸出したのが何と5,000万セットを越えた。これは、日本国内の消費量の約20倍に達する数値だ。日本が韓国に花札を躍起になって輸出したのは、いたずらに独立運動に専念せずに花札遊びにはまって時間を過ごせという目的が明確だ。

ところで、日本の花札が我が国に入ってきて変わったものがある。

日本では1月を松、2月を梅、3月を桜、4月を藤、5月を菖蒲、6月を牡丹、7月を紅萩[萩]、8月を空山[すすき]、9月を菊、10月を丹楓[紅葉]、11月を雨[柳]、12月を梧桐[桐]と呼ぶ。

3月の桜[ポッコッ pŏt-kkot]を私たちは「サクラ」と呼ぶ。これは桜を日本語で「サクラ」と呼ぶためというが、ここには隠れた意味がある。

すなわち、変節者を呼ぶ時に「サクラ」と呼ぶ。いい変えれば『日本奴』という意味が込められている。

また、日本では11月が雨、12月が梧桐だ。12月が最も高いが、これは日本の人々が尊敬する人物が壬辰倭乱[文禄・慶長の役]を起こした『豊臣秀吉』であるためだ。日本では古代、主な人物がその家を象徴する花を一つずつ選んで象徴として使っていたが、豊臣秀吉は桐を選んだ。そのため、最高の席である12月に書き入れたが、我が国の人々は『梧桐』[オドン odong]を強く発音して『糞』[トン ttong]と呼び、12月から引きずり下ろして11月と変えた。豊臣秀吉が侵略の元凶であるためだ。

このように、花札は日本の言葉が含まれている日本の遊びだ。いつからか、花札の絵があたかも私たちの絵であるかのように錯覚を起こすほど、私たちの生活の中に深く根付いている。特に名節[正月など]の時、久しぶりに会った親戚たちが輪になって座って大人たちが遊ぶ花札にはまっている姿はあまり良くない。特に結末の姿が一層良くない。お金を取られた人も、お金を取った人も気分が良くないのが花札遊びだ。(機械翻訳 若干修正)