(東亜日報 韓国語 2019/02/26)
軽井沢=ソ・ヒョンソク記者、東京=パク・ヒョンジュン特派員
・日本軽井沢はオリンピック以後、年850万人の観光客が集まるのに…
25日で平昌冬季オリンピックが幕を下ろしてちょうど1年になった。しかし、競技場として使われた江原道旌善郡可里旺山のアルペン競技場は葛藤の現場だ。復元を推進する山林庁と存続を主張する郡民の間で意見が分かれ、『オリンピック遺産』としての将来が不透明な状況だ。
一方、1964年東京オリンピックの時に乗馬種目が、1998年長野冬季オリンピックの時にカーリング種目が開かれた人口2万人の小さな都市日本,軽井沢は、2017年に854万人が訪れた観光都市として定着した。
一方、1964年東京オリンピックの時に乗馬種目が、1998年長野冬季オリンピックの時にカーリング種目が開かれた人口2万人の小さな都市日本,軽井沢は、2017年に854万人が訪れた観光都市として定着した。

▲込み合う軽井沢駅…閉鎖された平昌施設
昨年12月16日、日本,長野県のJR軽井沢駅が、東京から高速鉄道北陸新幹線に乗って到着した国内外観光客で込み合っている(左)。平昌冬季オリンピックボブスレー競技などが開かれた江原道平昌郡のアルペンシア・スライディングセンターはオリンピックが終わった後、年間20億ウォンに達する運営費負担問題で閉鎖された状態だ。
軽井沢が大衆的観光地になるには便利な交通が起爆剤になった。軽井沢は長野冬季オリンピックを1年後に控えた1997年、高速鉄道北陸新幹線の開通で東京駅と1時間10分で連結された。平日一日31本、週末と休日に35本運行する。自治団体は観光客誘致のために新幹線開通に合わせ、駅のすぐ後に200店を越える店舗が入店するアウトレットショッピングモールを誘致した。徒歩とバスで地域内の目的地に簡単に移動できるように動線を組んだおかげで、バスで50kmの距離にある日本3大温泉である草津温泉周辺地域も観光特需を享受する。
しかし、平昌オリンピック開・閉会式場と最も近い駅である高速鉄道(KTX)珍富駅(平昌郡)は自家用車やタクシーなしでは10km余り離れたリゾートとスキー場を行き来するのも不便だ。
しかし、平昌オリンピック開・閉会式場と最も近い駅である高速鉄道(KTX)珍富駅(平昌郡)は自家用車やタクシーなしでは10km余り離れたリゾートとスキー場を行き来するのも不便だ。

▲高速鉄道北陸新幹線に乗ってJR軽井沢に到着した乗客がホームを歩いている。(左)JR軽井沢駅には軽井沢で開かれた1964年東京オリンピックの乗馬競技、軽井沢の主な象徴物、1998年長野冬季オリンピックのカーリング競技を記録した象徴物が掛かっている。軽井沢は世界で唯一夏季と冬季オリンピック競技を行った都市だ。
※参考 ↑右写真

鉄道会社JR東日本が外国人に提供する1万円(約10万ウォン)無制限3日搭乗券は、2008年に2,877人だった一日平均の軽井沢駅新幹線乗客数を2017年には3,796人に増やした。だが、KTX開通による効果は観光基盤が相対的に良い江陵市が独り占めする状況で、平昌郡はこれといった効果を得られていない。平昌郡は「新幹線開通は周辺の地方自治体と多様な観光資源を発掘する契機になった」と述べた工藤朝米,軽井沢情観光経済課長の言葉にヒントを得るに値する。

▲1888年に軽井沢に初めて別荘を建てたカナダの宣教師アレクサンダー・クロフト・ショーの記念礼拝堂。軽井沢の発祥地とも呼ばれる所だ。(左)高さ2,560mの浅間山に染み込んだ雪と雨が6年間、地表面下に留まって湧き出る白糸の滝は軽井沢で最も有名な自然遺産だ。
見どころだけでなく“物語”も重要な資源だ。軽井沢は1957年に明仁日王と美智子王妃が初めて会ったところであり、世界的なグループ『ビートルズ』のジョン・レノンが生前5回も訪問したところという事実を“ストーリーコンテンツ”として活用し、これらの痕跡を訪れる“聖地巡礼客”を引き込む。ジョン・レノンが家族と泊まってロイヤルミルクティーの作り方を残した『万平ホテル』には、世界から来るファンたちの足取りが絶えない。
軽井沢は、1万1,300室の宿泊業者客室を活用したマイス(MICE・企業の会議・褒賞観光・コンベンション・展示会)[企業等の会議(Meeting)、企業等の行う報奨・研修旅行(Incentive Travel)、国際機関・団体、学会等が行う国際会議(Convention)、展示会・見本市、イベント(Exhibition/Event)の頭文字(観光庁)]産業で“持続可能な発展”を準備する。2016年の主要7か国(G7)交通長官会議[G7長野県・軽井沢交通大臣会合]に続き、今年6月には首相20か国(G20)環境・エネルギー関係の閣僚会議[G20持続可能な成長のためのエネルギー転換と地球環境に関する関係閣僚会合]が開かれる。
1964年と1998年にオリンピック競技が開かれたところは、ゴルフ場、プール、スケート場が調和を成したスポーツ公園として開発され、地域住民はもとより、海外スポーツチームの転地訓練地として年中開放されている。昨年、平昌オリンピックを控え、ノルウェー、イギリス、カナダチームがここで練習した。平昌のスライディングセンターを含むオリンピック競技施設の事後活用案および主体も決まっていない私たちとは対照的だ。

▲軽井沢町が1998年長野冬季オリンピックのカーリング競技が開かれた競技場を開発した総合スポーツ公園『風越公園』で子供たちが自転車とスケートボード体験をしている。(左)ここは冬には野外スケート場としても使われるなど一年中、国内外の観光客の誰もがスポーツを楽しめる。2017年に4,752万円(約4億8,000万ウォン)など毎年黒字を記録し、成功的なオリンピック遺産の活用事例になっている。
自然環境と交通、見どころを戦略的に活用したおかげで、軽井沢の人口の80%はサービス業に携わる。人口は今年2万人を超え、2016年に90億円(約911億ウォン)の税収を記録し、10年連続で黒字財政行進を続けている。工藤課長は「軽井沢を観光地を越え、世界の人々の“宿泊型リゾート”に育てることが目標だ」と述べた。
軽井沢は20世紀初めから温泉観光地に浮上した。1951年に『国際観光文化都市』に指定され、リゾートとゴルフコースが入った。平昌と似た海抜1,000mの高原地帯で、7,8月の平均気温は東京より5度低い摂氏25度にとどまり、避暑地として脚光を浴びた。元総理など政財界の実力者の別荘が1万5,882軒ある。(機械翻訳 若干修正)

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