韓国選んだシン・キョクホと北韓選んだチョン・ジンシク...「問題は企業の自由があるかないかだ」
(時事週刊誌『未来韓国』 韓国語 2020/02/11)
(時事週刊誌『未来韓国』 韓国語 2020/02/11)
ソン・ジョンファン未来韓国発行人
元パキスタン大使
元国連代表部・アメリカ大使館政務公使
元安全企画部海外情報室長
1970年代初め・中盤、南北対話参加
去る1月19日、シン・キョクホ[辛格浩 重光武雄]ロッテグループ名誉会長が享年99歳で亡くなった。『夜明けの文明散歩』ブログに21日に掲載された『シン・キョクホ 対 チョン・ジンシク』という題の文と、日本の知人の現地調査などを通じて韓国と北韓[以下、北朝鮮]を選んだ在日企業家の興亡盛衰を見てみる。
◇ロッテ、系列会社161個の社員20万人年売り上げ90兆ウォン
シン・キョクホ名誉会長のロッテグループ[株式会社ロッテホールディングス]と、チョン・ジンシク[全鎭植 ジョン・ジンシク 日本の企業サイトでは「ジョン」]会長のさくらグループ[株式会社さくらコマース]の運命を分けたのは、在日企業家が自由がある韓国と自由がない北朝鮮のどちららを選択したかであった。
ガムから出発して2020年1月現在、2世経営者シン・ドンビン[辛東彬 重光昭夫(次男)]会長が系列会社161社、社員20万人を率い、年売上90兆ウォンに達する世界屈指の大企業になっているロッテグループと、シン名誉会長については、長く説明する必要がない。
国内でさくらグループは、北朝鮮と合弁会社を運営する朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)系の代表的な企業として知られている。1965年の韓日国交正常化を契機に在日同胞企業であるロッテが韓国に進出した時だけでも、さくらグループは日本でロッテよりも常勝疾走していた。
1951年3月に設立[さくら遊技場(パチンコ)。渡日は41年]、東京都府中市に位置したさくらグループの系列会社は、大型スーパーマーケット流通業、韓国料理店経営、プルコギ[火肉 韓国風焼肉]たれ中心の食品製造業、ボーリング・競馬などのレジャー産業、テコンドー道場、料理人専門学校、味研究所など多様で、日本の地域社会の発展に大きく寄与する会社と認識されている。
特に1979年に開発したプルコギたれ[生パック・ジャン(モランボン)]は途方もない販売高を記録し、企業の純利益を全て再投資、毎年10%成長という高度成長戦略を推進し、僑胞の間では朝鮮の味、または民族を商品で日本社会に浸透した民族企業のイメージが強い。
◇さくらグループ、北朝鮮と合弁事業で企業衰退
しかし、日本の知人の現地調査によれば、2019年4月現在、チョン・ジンシク会長の孫チョン・チャンソ[全彰碩 ジョン・チャンソ]が社長を務めているさくらグループの社員数は370人で、2018年の年間売上も184億円(約2024億6000万ウォン)に過ぎない中堅企業にとどまっている。社員が2200人余り、年間売上高が1200億円(約1兆ウォン)だった1996年に比べて後退した。
※↑の数字は「さくらコマース」単体で、グループのモランボン、さくらトータルサービス、さくら保険サービスなどは入っていません。このように、さくらグループの発展がロッテグループと比較にならないほどになった原因は、日本の20年にわたる長期不況と共に、慶尚南道固城郡[朝鮮半島南東部]が故郷であるチョン・ヨンシュク[全演植 ジョン・ヨンシュク]、チョン・ジンシク兄弟が『朝鮮民主主義人民共和国』を“祖国”に選び、日本で『朝鮮籍』に固執して北朝鮮を選んだためだ。
北朝鮮は、さくらグループ創業者であり兄であるチョン・ヨンシュクを朝鮮総連中央本部副議長、在日商工人連合会会長、北朝鮮最高人民会議代議員などに任命し、手厚く待遇した。
共同創業者チョン・ジンシクは、1986年以降に本格化した北朝鮮と在日朝鮮人企業の合弁事業、すなわち『朝朝合営』を実質的に率いた人物で、合弁事業推進委員長を務め、1987年に『朝朝合営』第1号として『朝鮮銀河貿易総会社』と合弁した『モランボン[牡丹峰]合営会社』を作った。
共同創業者チョン・ジンシクは、1986年以降に本格化した北朝鮮と在日朝鮮人企業の合弁事業、すなわち『朝朝合営』を実質的に率いた人物で、合弁事業推進委員長を務め、1987年に『朝朝合営』第1号として『朝鮮銀河貿易総会社』と合弁した『モランボン[牡丹峰]合営会社』を作った。
しかし、1980年代後半に始めた北朝鮮と朝鮮総連間の合弁企業は、1990年代に数万人の北朝鮮住民たちが飢えて死んだ『苦難の時期』[苦難の行軍]を経ながら失敗してしまった。
このように合弁企業が成功できない根本的な理由は、北朝鮮企業経営の原則、すなわち1961年12月、キム・イルソン[金日成]が提示した『大安の事業体系』ためだ。平安南道大安郡に位置した電気工場を現地指導したキム・イルソンが掲げたこの方式は、工場労働党委員会の集団的指導の下、工場と企業所を管理・運営していく社会主義的工場管理指針で、「最終決定は支配人(社長)ではなく党(秘書)がする」というものだ。キム・イルソンが決めたことは変えることはできない。1980年代、合営法でこの原則を緩和するという噂があったが、北朝鮮の首領唯一支配体制下では党の干渉は持続して、企業の創意性は重要視されなくなっている。
このように合弁企業が成功できない根本的な理由は、北朝鮮企業経営の原則、すなわち1961年12月、キム・イルソン[金日成]が提示した『大安の事業体系』ためだ。平安南道大安郡に位置した電気工場を現地指導したキム・イルソンが掲げたこの方式は、工場労働党委員会の集団的指導の下、工場と企業所を管理・運営していく社会主義的工場管理指針で、「最終決定は支配人(社長)ではなく党(秘書)がする」というものだ。キム・イルソンが決めたことは変えることはできない。1980年代、合営法でこの原則を緩和するという噂があったが、北朝鮮の首領唯一支配体制下では党の干渉は持続して、企業の創意性は重要視されなくなっている。
1995年に亡くなったチョン・ジンシク会長を引き継いだチョン・スヨリ[全守烈 ジョン・スヨリ]2世経営者は[スヨリは弟ジンシクの子で専務、社長は兄ヨンシュク(1993年死去)の子サンヨリ(尚烈)]、1996年11月22日に時事ジャーナルとのインタビューで『自由人宣言』をした後、「韓国がすでに世界11位の経済大国になって日本の対外貿易5位の国であるため、日本で企業を経営しながら韓国と交流をできないということは企業に大きな弱点にほかならない」と述べた。チョン・スヨル社長[専務]一行は1997年5月15日、韓国を訪問して約1週間とどまり、食品と流通業分野で韓国での協力パートナーを探すための活動を行ったという。
※2004年「モランボンコリア株式会社」設立。
しかし、さくらグループは企業を経営できないドロ沼に歩いて入って行った代表的な事例として、世界企業経営史に残るに値する。
※2004年「モランボンコリア株式会社」設立。
しかし、さくらグループは企業を経営できないドロ沼に歩いて入って行った代表的な事例として、世界企業経営史に残るに値する。
国家や企業という共同体が発展するには、民主、平等、正義、公正、創意、革新などがすべて必要だが、最も重要なのは自由だ。自由は他人の支配と外部の抑圧、命令と干渉を受けない中で、自身が自律的に考えて行動することだ。国家は個人の自由を優先し、派生する問題を補完的に解決する程度の役割を果たすというのでなければならない。
浮沈はがあったが、天然資源が多くない大韓民国は、自由民主主義と自由市場経済体制の枠組みで世界10位圏の経済大国に発展し、北朝鮮は個人の自由が極度に制限受ける首領唯一支配体制下で発展どころか疾苦から抜け出せずにいる。
自由が尊重される大韓民国では、シン・キョクホ名誉会長の自律的で創意的な企業家精神が花を咲かせて実を結ぶことができたが、自由がない北朝鮮社会では、チョン・ジンシク会長の自律と企業家精神が光を放つことができなかったのは当然の帰結だ。
大韓民国の発展のために、企業の創意的自律性を基盤とする発展が重要だということは誰も否認できないだろう。しかし、2年8か月前の2017年5月10日に発足したムン・ジェイン[文在寅]政府が最低賃金の引き上げ、週52時間に勤務時間を短縮、過度な税金、先が見えない大企業規制や改革圧迫などで企業の士気を落とし続け、企業の国際競争力を弱化させている。
政府から現金を受ける人たちがムン・ジェイン政府が発足してから非常に増えている。2020年予算を増やして青年、老人など約1100万人に現金を配るばら撒き福祉は事実上、買票をするものだ。
4・15総選挙を控え、大韓民国が、企業の創意的自律と企業家精神が政府の制限、干渉を受け、有権者である国民に現金散布をする国家にならないようにする国民の知恵と勇気が必要だ。世界で誰が聞いても知る大企業が本部をニューヨークに、工場をベトナムに移すという噂も静めなければならない。
ロッテグループのシン・キョクホ名誉会長の死去に際し、自由がない北朝鮮を選択したさくらグループのチョン・ジンシク会長一家の興亡盛衰を見て、『夜明けの文明散歩』ブログに掲示された文の結論に戻る。

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