[日韓の現場]文大統領の実像<5>ベトナム戦争で米不信 「三つのノー」同盟揺るがす
(読売新聞 2020/02/15)

 韓国で1974年、民主化を求める学生運動の指針書といわれた評論集「転換時代の論理」が出版された。記者出身の評論家李泳禧(リヨンヒ)漠陽大教授の著書だ。

 その中に収録された論文「ベトナム戦争」に啓発された学生の一人が、当時、ソウルの慶照大で学んでいた文在寅(ムンジェイン)氏だった。2017年の大統領選直前、韓国紙・東亜日報が各候補に尋ねた「国民と読みたい一冊」として、文氏はこの評論集を挙げている。

 冷戦の最前線に位置する韓国の朴正煕(パクチョンヒ)政権は米国のベトナム介入を支持し、ベトナム戦争に参戦した。文氏は学生仲間と、下宿などでベトナム戦争について語り合っていた。

 論文は、ベトナム戦争に介入した米国が、ベトナムの民衆には「帝国主義的な干渉勢力」でしかなく、民主主義を守るという米国の大義名分は「欺まん」だと結論づけていた。

 ベトナム戦争に強い違和感を抱きながらも、的確に表現する言葉を探していた文氏に、明確な答えを与えてくれたようだ。11年出版の自伝「運命」で文氏は、この論文が「ベトナム戦争の不道徳さ」を記しており、「衝撃的だった」と振り返った。「米国を無条件に正義と考え、米国の主張を真実だと信じる韓国社会の欺まんを赤裸々に示している」ともつづっている。

 文氏は学生時代、韓国の軍事独裁政権に反対する活動に加わり、1975年4月には、朴正煕政権を批判するデモを主導したとして投獄された。同盟国の米国はソ連や中国の共産主義を封じ込めるため、韓国の軍事独裁を容認していた。文氏は、独裁政権を背後から支える米国に対しても不信感を強めていったとみられる。

 韓国政府関係者や大統領ブレーンたちは一様に「文氏はめったに自分の考えを変えることのない原則主義者だ」と口をそろえる。学生時代に心に刻まれた米国への不信感は、公職に就いた後も揺らぐことはなかった。

 文氏は、政治の師である盧武鉉(ノムヒヨン)氏が2003年に大統領に就任すると、請われて民情首席秘書官として大統領府に入った。当時、ブッシュ(子)米政権からイラク派兵の要請を受けると、慮氏は最終調に国防省などの意見を受け入れ、派兵に踏み切った。だが、文氏は、イラク戦争を「正義の戦争と見るには抵抗がある」と、最後まで反対したという。

 米中両大国との関係を巡り、文氏は、盧武鉉時代を「(保守政権時代に)米国偏重に大きく傾いた外交からバランス外交へ進もうとした」(自伝)と誇っている。17年5月に大統領の座に上り詰めると、この路線に沿って対米関係を見直していくことになる。

 典型といえるのが、いわゆる「三つのノー」原則だ。韓国外交省が17年10月末に発表したもので、拒否するものとして①在韓米軍に配備されたミサイル防衛システム「最終段階高高度地域防衛(THAAD=サード)」の追加配備②米国のミサイル防衛システムへの参加③日米韓安保協力の軍事伺盟への発展――の三つを示した。米韓同盟を揺るがしかねない内容だ。

 この原則は、韓国大統領府と中国外務省の高官が発表直前に協議し、決めたものだった。

 中国は、THAADの高性能レーダーが中国国内の監視に使われるとして、配備に反対していた。「三つのノー」は、米韓同盟の切り崩しを図る中国が、経済力を背景に韓国に受け入れを迫ったものだとの見方もあるが、韓国政府関係者は「文政権の外交方針に合致した面もある」と明かす。

 文氏は同盟国・米国への追従を潔しとせず、米中バランス外交を志向した結果、中国や北朝鮮という脅威に対抗する日米の陣営とは一線を画すようになった。学生時代からはぐくまれた対米観に裏打ちされていることを考えると、容易に変わることはなさそうだ。(おわり)
(この連載は、ソウル支局・豊浦潤一が担当しました)

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【クリップ】ベトナム戦争 社会主義陣営の北ベトナム側と、米国の支援を受ける南ベトナムとの間で起きた戦争。米国は1965年に本格的に軍事介入したが、約5万8000人の米兵犠牲者を出した末、73年に撤退した。75年4月、北側が南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン)を制圧して戦争は終結。南北ベトナムは社会主義国として統一された。米国は「共産主義の拡大を防ぐ」という目的を果たせずに敗北し、多額の戦費支出や国内の反戦運動の拡大などで社会は打撃を受けた。

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