(聯合ニュース 韓国語 2011/02/01)
3日、契約予定..民間の購入分も合わせ、住居環境改善
我が政府が設立した『ウトロ財団法人』が来る3日、日本,大阪で『西日本殖産』と、日本,京都府宇治市のウトロ地区3,808.40平米(約1,152坪、購入金額1億8千万円)に対する土地購入契約を締結する予定だと外交通商部が1日、明らかにした。
『ウトロ地区』は、日帝時代に日本,京都の飛行場建設に動員された私たちの同胞の子孫、約60世帯・180人余りが居住している所だ。
これで、昨年『ウトロ民間基金財団』が購入した土地2,753平米(約833坪)と、今回購入される土地を合わせて、計1,985坪が我が方の民間と政府によって購入されて、今後の住居環境改善事業が可能になった。
日本政府はそのために、ウトロ住民たちで構成された『ウトロ町づくり協議会』と、ウトロ後援団体の意見と世論を取りまとめる予定だ。
ウトロ地区の住居環境改善事業は、道路および浸水防止施設の建設、住宅改良、福祉医療施設の新築などが含まれる。
この事業は、宇治市、京都府、国土交通省ら3行政機関が共に推進することになっている、と外交部は伝えた。
1940年代初めに飛行場建設に強制動員された在日同胞たちは、ウトロ地区でバラックを建て集まって住むなか、強制撤去の危機に陥ったりしていた。政府は2009年10月に財団法人を作って土地購入を支援してきた。(機械翻訳 若干修正)
“差別の象徴”日本ウトロ問題「ボールは日本に」
(聯合ニュース 韓国語 2011/02/01)
政府が設立し『ウトロ財団法人』が、3日に日本企業から土地を購入ることによって、在日同胞差別と抑圧の象徴に浮び上がっていたウトロ地区の問題が解決の糸口を見つけた。今後、日本政府の問題解決意志が本格的に注目を集めるものと見られる。
行政区域上、日本京都府宇治市伊勢田町に属するウトロ地区の問題が韓日両国で関心を引き始めたのは、去る1989年だった。
この土地を購入した不動産会社(『西日本殖産』)が、この時から住民全員に退去を要求し、ついに京都地方裁判所に《建物除去・土地明渡し》訴訟を起こしたもの。訴訟は企業側の一方的な勝利に終わった。
しかし、在日同胞がこの土地に根をおろすことになった歴史を考えると、とんでもないことだった。
地区ができたのは、日帝強占期の1940年代に京都の軍飛行場建設工事に動員された朝鮮人勤労者1,300人余りが居住してから。これらは日本が敗戦した後、飛行場建設が中断されて失業者に転落し、これらが建てた学校は日本政府の弾圧で閉鎖された。
京都府が持っていた土地所有権が、数回の売却を経て民間企業へ移ったという理由から住民たちを追い出しに出たので、同胞たちとしては地を打つのだった。
事態がこれ位になると、1989年に良心的な日本人たちを中心に『ウトロを守る会』が結成され、この時からウトロの問題が浮き彫りになった。2005年には韓国市民団体の『地球村同胞青年連帯(KIN)』と韓国国会議員らが実態調査を始めたし、国連人権委員会の人種差別特別報告官がウトロを視察した。
日本政府が無視する中、韓日両国で活発な募金活動が行われた、住民たちはこれを元に2007年に一部の土地の購入契約を締結した。国会は2007年末、ウトロの土地購入に必要な費用30億ウォンを支援することを決めた。
問題解決にはこの時から3年近い時間がさらにかかった。大阪総領事館によると、『西日本殖産』が税金を滞納して、宇治市と『日本整理回収機構(RCC)』が該当の土地に差押権と抵当権を設定していたのが障害物だった。住民たちが設立し『ウトロ民間基金財団』は昨年、土地2,753平米(約833坪)について所有権移転登記を終わらせられたし、最近になって抵当権と差押権問題が解決され、政府が設立した『ウトロ財団法人』が3,808.40平米(約1,152坪)の購入契約と所有権移転登記を控えることになったのだ。
しかし、土地2千坪を購入したといって、高齢の同胞たちが安心して暮らすことができるわけではない。
韓日両国政府は、これまで数回の協議の末、韓国が購入した土地の上に日本側が公的賃貸住宅を建設し、住民たちに安い価格で貸すことに合意した。今後、宇治市と京都府、国土交通省がこれらを相手に調査をし、建物を建てるまでには2年以上かかる見込みだ。
家を建てたといって終わるのでもない。ウトロ地区の全体の土地は6,400坪程。
日本側が残った土地のうち相当部分を購入し、道路や公園、便宜施設を建設し、浸水防止工事もしなければならない。韓日外交関係者は「もう問題解決のボールは日本側へ移ったことになる」と話した。(機械翻訳 若干修正)
もちろん住民は……
| 京都ウトロ地区問題:住民たちは追い出されてしまうのか(上)(中)(下) (朝鮮日報 2007/09/21) (略) ウトロを強制徴用と関係付ける見方が多い。日本政府による徴用令により1941年から始まった韓国人強制労働の犠牲者、またはその子孫だというのだ。ウトロ地区の形成は、戦時中に軍の飛行場建設労働者たちが不毛の地だったこの地域に仮住まいを始めたことがきっかけだった。飛行場の建設が始まったのは1941年。こうして強制徴用とウトロを関連付ける先入観が生じた。 しかし、この地で働いていた韓国人労働者1300人は、当時の徴用令により連れて来られたわけではない。 ウトロ国際対策会議ホームページには「いくつかの誤解について明らかにする。(ウトロ地区の韓国人労働者たちは)銃剣による直接の武力により移住したわけではなかったとしても、故郷で生活ができなくなった植民地の国民が、経済的問題などさまざまな理由により、自らの思いとは関係なく植民地宗主国へと移住したケース」と説明している。 韓国の国務総理傘下「日帝強占下での強制動員被害者の真相究明委員会」も昨年末の報告書で、「強制徴用者ではなく、日本に居住していた朝鮮人がほとんど」と明らかにした。1930年代末、さまざまな理由で植民地朝鮮の経済的貧困を避けるために日本に渡った人たちだったということだ。 もちろん昨年12月に死亡したウトロ地区住民のチェ・ジョンギュさんのように、本来は日本の他の地域の炭鉱に強制徴用され、後日ウトロへと移住した住民もいる。しかし「徴用かどうか」は、ウトロの歴史的な意味を強調しようとして事実関係を明らかにしてこなかった韓国のマスコミの過ちであり、本質的な問題ではない。ウトロ地区の住民たちは日本による植民地政策の被害者であり、最後まで韓国の国籍を放棄しなかった韓国人であるという事実は変わっていない。(略) 記事全文→京都の『ウトロ問題』では、在日が在日を騙す恥ずべきことが起きていたニダ! |

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